力士に舐めプされた話

これは僕が園児だった頃の話なので、ずいぶん昔のことになる。
通っていた保育施設が少々特殊で、神社と相撲部屋が隣接し一体化していた。
大人になってから考えてみると幼子の教育上、良からぬ影響があったのでは?と勘ぐるような混沌ぶりである。

そんなわけで、そこの園児はたびたび宗教的な影響と力士的な影響に晒されることがあった。
その思い出の一つに、力士に舐めプされたことがある。

隣接している相撲部屋は全国的と呼べるほどではないが、なかなかに名の通った力士を輩出していたらしい。
何年かに一度、ファンサービス……と呼べるのかは知らないが、保育士と父母観衆のもと「お相撲さんと触れ合おう!」というイベントが催されていた。
力士と幼児の力関係から実際には児戯とすら呼べないのだが「力士と相撲を取ってみよう」という触れ込みで、保育園児たちと力士が戯れるイベントだ。
イベントの最中、僕は万能感に溢れる恐れ知らずのクソガキだったので、力士を当然倒すつもりでぶつかった。
地面を蹴って全身を前に突き出し、いざ、巨木の幹のような力士の脚に僕がぶつかると、その自信は寄る辺なく砕け散った。
最初の感想は一つ。
動かない、だった。
運動場の砂を吹き飛ばすほどのパワーを秘めた僕の突進は力士の脚を1ミリも動かすことはなかった。
そんな馬鹿な!と思った。いくら子供だからといってこれはあんまりではないか?
ここまで幼児と力士に差があるのか?なんで動かないの?ほんとはイカサマしてない?
必死に力士の脚を押し続ける僕を、力士が見下ろしていた。
視線を上にあげて、僕は力士を見た。
力士は笑っていた。僕の全力を、そよ風にすら及ばないと言いたげに力士は笑っていた。
そして、大きな、大きな手で僕の体を掴むと、そっと僕を脚から引きはがして、脇にちょん、と置いた。
圧倒的な力の差、世の中にはどんなに努力をしても思い通りにならないことがある。
呆然とする僕の胸に芽生えた次なる感情は、当時はそのような名称すらなかったある現象についての怒りだった。

「舐めプされた!!!!!!!!」

口に出した訳ではないが、はっきりと覚えている。
僕の全力で脚が動かなかったのは確固たる事実なので、それはいい。
だが、その後の力士の行動は真摯たるものではない。
もし力士が本気を出していたなら脚に激突してきた僕は放り投げられていたはずだ。
真剣にやっている相手に対して面倒くさいなと感じさせるような舐めプを、僕は力士からされたのだ。
全力で向かってきた相手に「君の力は十分に分かったから終わりね」とでも言いたげに脇に捨て置くのは、大人として正しいかもしれないが戦士としては間違っている。
こっちが全力出してるんだからそっちも全力で相手をするのが筋であるし、よしんばそうせざるを得なかったとして、幼児にも分かるレベルで手を抜くな。
読んでいる人には分からないかもしれないが、僕は本当に悔しかったし怒ってもいる。何なら今もまだ怒っている。純度100%の憎怒である。

その後も、僕は何度も力士の脚に突進したのだが、力士は舐めプを繰り返すだけで話にならず、最終的には他の大人によって僕が引き離された。

力士よ、それだけ強くて立派な体格があるのに、手加減を幼児に推察されるほどにお前は不自由なのか?
僕よりも何倍も強く、何倍も恐ろしいお前が。
幼児に対して十全に力を解き放てはないほど、この世界は狭苦しいのか。
僕は悔しかった。力士に舐めプされたこともそうだが、力士が舐めプせざるを得ないような僕と僕を取り巻く世界の不甲斐なさが。

舐めプという言葉が世に浸透するほど舐めプは根強く人の業として形を残している。
僕は舐めプを悪だとは思わない。
だが、相手に舐めプだと悟られるような舐めプは悪だ。

舐めプした相手から逆恨みされないよう力士は全力を出して幼児と相撲すべきだし、どれだけ矮小に見える存在にも僕らは敬意を払って生きなければならない。
全ての人間が舐めプしなくてもよい世界を祈って、この話を終わりとする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?