自家醸造解禁への動きが盛り上がってきた気がするので、制度と影響を考えてみる

一昨日3月6日、Facebook / Twitter上に以下のような問題提起がありました。

現在は主に海外向けに日本酒自家醸造キット「MiCURA」を販売している伊澤優花さんが、国内BtoB販売(小売店等への販売)開始にあたって、想定される反対意見への反論を述べているものです。

伊澤さんは仙台伊達家御用蔵であり、320年以上の歴史を持つ勝山酒造(宮城県)の蔵元の娘さん。海外を中心に日本酒マーケターとして活躍されている方で、上記の問題提起も非常に理路整然としています。この後延々と自家醸造の解禁について書きますが、その是非はともかく、ビール同様自家醸造キットの販売自体は合法であるわけなので、伊澤さんの主張通りMiCURAのさらに幅広い展開が可能になるよう願っています。

(現在、日本国内ではアルコール度数1度以上の飲料を作るには製造免許の取得が必要であり、免許がない場合の製造は違法です。本記事も、違法な自家醸造を推奨するものではありません。)

その前日である3月5日には、『諸国ドブロク宝典』の再刊がTwitter上で盛り上がっていました。1989年刊行の、各地の家庭で自家醸造されるどぶろくの製法をビジュアル的に紹介した書籍です。

WAKAZE杜氏の今井さんがおっしゃっている通り、WAKAZEのどぶろくやどぶろくにヒントを得た製法のお酒、またどぶろく特区等で増えている各どぶろく蔵の人気が後押しした再刊なのではと思います。

さらに昨年10月には「日本ホームブルワーズ協会」が発足しています。国内クラフトビール界でリスペクトを集める伊勢角屋麦酒の社長・鈴木成宗さんが立ち上げた団体で、まずはビールの自家醸造特区実現から、日本での自家醸造解禁に向けた取り組みを進めておられます。(僕も会員です。)

詳細は一度ぜひ、鈴木成宗さんの以下の動画を見ていただければと思います。

そんなわけでにわかに、自家醸造解禁への動きが盛り上がっている気がします。(主観)

自家醸造が禁止された経緯

MiCURAを作る伊澤さんも、伊勢角屋の鈴木さんもおっしゃっている通り、(宗教的背景とは別に)自家醸造が禁止されている国は非常に稀です。たとえば中国とかでも自家醸造は禁止されていません。
いったいなぜ、日本はこんなことになっているのでしょう?

自家醸造が禁止されたのは1899年(明治32年)、今から120年ほど前のことでした。
経緯はこちらのブログ記事に詳しいですが要約すると、

・当時の政府は富国強兵を志向しており、財源を必要としていた
・当時酒税は国税収入の3割以上という重要な地位を占めていた
・そのような中、酒税の増税が検討されたが製造業者は反発した。一方、製造業者は自家醸造の禁止を望んでいた。
自家醸造の禁止と、酒税の増税を同時に行うことで、政府と製造業者の利害が一致した

というようなことで、当時の政治的経緯であったことが分かります。
(リンク先は税理士さんの個人ブログですが、原典は国税庁の発行する税大論叢であり、原典に関連する記述が認められます。)

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(以下、深刻な画像不足のため、たまに猫の画像を挟みつつ進めていきます)

1896年の自家醸造制度から、現代の制度を考える

1899年に自家醸造が禁止されたということは、それ以前には日本にも自家醸造の制度があったということです。どのような制度だったのか、ここで見てみましょう。

最新は自家醸造禁止の3年前、1896年に制定された自家醸造法ですが、原典は以下リンク先の30ページ〜31ページで確認できます。
https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/minutes/api/emp/v1/detailPDF/img/000903242X04018960323
(貼り付けてから気が付きましたが、URLが「帝国議会」)

重要と思われるポイントを抽出するとともに、現代ではどのように考えられるか、考察してみましょう。

1.免許取得が必要
自家醸造とはいえ、免許の取得が必要です。
万一の健康被害を防ぐための啓発のためにも、禁止事項の取締りのためにも、これは現代で自家醸造を解禁するためにも必須だと思います。

2.免許交付は一世帯に一人だけ
当時と家庭や家族の形態が異なるので、これはこだわらなくても良いのではないか?と思います。
仮に制度化しても、誤魔化しようがいくらでもあり管理コストに対して効果が見合わなそうです。むしろ一世帯で二人以上免許を取ってくれた方が、税収は増えるのでコストパフォーマンスが高そうです

3.収入制限あり (直接国税十円以上の納税者は禁止)
金がある人は造るんじゃなくて既存の製造業者のためにも購入しろ、ということだったんだと思いますが、これも現代には当てはまらないかと思います。
アメリカのホームブルワーもどちらかといえば年収が高い人が多いそうです

4.酒蔵、酒屋、飲食店、宿泊施設等は不可
自家醸造後、販売やそれに近いサービスとしての提供インセンティブが生じる人は免許が取得できない、ということです。
議論の余地はありますが、免許制度の形骸化を防ぐためにもこれは必要ではないかと僕は思います。

ただし、当時と事業運営の中心的な形態(個人か、企業か)が大きく異なると思われるため、経営者や個人事業主に対しては上記のような禁止事項を適用する一方で、従業員等に関しては許可または条件を緩和するようなことは検討しても良いのではないかと思います。

5.上限は二石(360リットル)
自家醸造の上限は二石(360リットル)で、それ以上は違法とされていました。たぶん普通に考えたら自家消費目的でこんなには造らないんじゃないかと思いますが、上限はあったほうが良いかもしれません。

現代では0.5石〜1石程度でも問題ないのではないでしょうか?経済的な自家消費酒が求められた当時と、美味しいお酒を自分でも造るのにトライしたいという現代の自家醸造のニーズは異なりますし、一世帯に二人以上の免許取得者が存在する可能性も踏まえて、当時より少なめに上限を設定するのは合理的であるように思います。

6.酒税は年間に三〜八円(当時)
酒税は製造量が一石(180リットル)までの場合は三円、二石(360リットル)までの場合は八円でした。
当時の一円の価値は、諸説あり観点によっても異なるのですが、庶民の場合

当時の一円 = 現在の二万円程度

と言われていますので、税額は年間6〜16万円ということになります。
https://manabow.com/zatsugaku/column06/

個人的には、年間6万円程度なら払ってでも自家醸造をしたいという人は一定数いるんじゃないかと思います。僕自身もこの金額だったら免許を取ると思います。

7.許可を受けた自宅内以外での製造と販売は禁止
自宅以外の場所で製造すること、製造した酒を販売することは禁止されています。前者は免許取得者の管理上必要でしょうし、後者は「自家醸造」という概念からして必須となるでしょう。

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自家醸造制度導入の経済的インパクト

以上見てきた通り、自家醸造制度の基礎はすでに明治時代に整っており、これをベースに現代に自家醸造制度を再成立させることは可能ではないかと思います。
そこで、この制度を導入した場合の実際の経済的なインパクトを妄想してみたいと思います。

1. どれぐらいの人が自家醸造を行うのか?
自家醸造が盛んなアメリカでは、110万人のホームブルワーがいると言われています。これはアメリカの人口(約3.3億人)の約0.3%です。
日本でも最大限まで自家醸造が盛り上がった場合は人口の0.3%、39万人のホームブルワーが誕生するかもしれません(この全てが日本酒を造るわけではない点は注意)。ただ、これは最大限盛り上がった場合かつアメリカの方が簡便でコストが低い制度になっていると思われるため、ざっくりこの5分の1程度、8万人ぐらい(人口の0.06% = 1,700人に1人ぐらい)のホームブルワーが生まれると仮定して今後の検討を進めたいと思います。
(8万人はTwitterで言うと富士通のフォロワー数と同じぐらい、KURANDさんのフォロワー数より少し多いぐらいです。)

2. 税収はどれぐらいになるのか?
上記の仮定に基づき、8万人が毎年6万円を納めるとすると、48億円になります。現在、清酒の製造により納められている酒税の額は600億円程度なので、その8%ほどの額になります。
自家醸造家へのハードルを下げるため、毎年の税額を3万円にしたとしても24億円で、清酒による酒税の4%程度になります。

さらにいえば、この数字は結構保守的な気はしています。自家醸造が解禁され、それこそMiCURAのような自家醸造用キットや、自家醸造家向けのオンラインフォーラムやSNS、書籍、Wiki等での情報流通が盛んになれば、もっと増えるのではないかと思っています。

仮に米国と同様に人口の0.3%、39万人が年間6万円を納めた場合には税収は230億円程度になります。年間3万円でも100億円を超える金額です。
今回は計算がざっくりにすぎますが、アルコールの消費が減少トレンドにある中、酒税収入を増やすための案として真面目に検討してみる価値はあるのではないでしょうか

3. 製造量はどれぐらいになるのか?
アメリカではホームブルワーが造るビールの量は、アメリカで造られるビール全体の1%程度と言われています。日本のホームブルワーの全てが日本酒を造るわけではありませんが、仮に清酒の製造量(400,000kℓ程度)の1%と考えてみると4,000kℓになります。

仮に39万人で上記の量を造っているとすると一人当たり約10ℓということになりますので、まぁそんなものかな、という気はします。
(毎年10ℓの酒を造って自家消費するのは、作業量からしても、自宅の設備スペースからしても、飲酒量からしても結構大変だろうと想像できます。)

自家醸造を解禁することで、既存の製造業者の売上が減る懸念が表明されることがありますが、清酒の製造量を見るとすでに毎年8,000kℓを上回るペースで減少が続いています。これは、先ほど見た自家醸造による製造量の倍以上です。しかも、その自家醸造による製造量は盛り上がりきったアメリカの自家醸造から試算した量なので、実際にはこれよりも少ない量からのスタートになるでしょう。

グラフ

(グラフ:2008年〜2017年の10年間にかけての、清酒製造量の減少傾向。国税庁統計より作成。)

毎年8,000kℓ以上製造量が減っている段階で、その半分にも到底満たない量の自家醸造によるインパクトを気にする必要が、果たしてどれだけあるのでしょうか?この点は様々な意見があるかと思いますが、先ほど見た税収インパクトと比較検討して、どちらが良いか選択していく必要はあるのではないでしょうか?

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そのほかの社会的インパクト

ここまで経済的なインパクトを見てきましたが、そのほかにも社会的に様々なインパクトがあることが想定されます。

たとえば人材獲得。日本酒の製造に関わる知識や技術は専門性が高いうえに身につける機会が少ないため人材が少なく、一方で酒蔵さんも高い給料を出すことが難しい経営状況であることも多いため人材確保は難しい状況にあります。

自家醸造が解禁されれば、消費者でありながら勝手に試行錯誤して知識や技術を身に付けてくれる人々が出てきます。実際、欧米の有名クラフトブルワリーを作り上げたのは自家醸造出身者が多いです(Brew Dog、グースアイランドなど、あげればキリがありません)。

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製造業者だけでなく、酒販店や飲食店の従業員教育にも効果があるでしょう。日本酒がどのように造られているのか、正しい知識を身につけた従業員を教育するのにはかなりのコストがかかります。

座学での学習に加えてやはり一度、あるいは何度か蔵の作業を見たり体験したりしてみる必要がありますが、すべての従業員にこのような教育を施すことは現実的とはいえないでしょう。

自家醸造であれば、もちろん蔵で行われているように完全な形ではないにせよ、一通りの製造作業を自分で実際に手を動かしてやってみることで、製造過程への正確な理解が深まりやすくなるのではないでしょうか。

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また自家醸造が解禁されることで「日本語で」醸造技術に関する情報流通が促進されるであろう点も見逃せないと思います。最近海外のSAKEを飲む機会も増えましたが、海外に比べて日本が技術的な優位性を保てる期間はそう長くないのではないか、という不安を感じています

先日、クラフトビールを造る友人と話していて言われたのが「日本酒は日本語の醸造技術の論文が多いので羨ましい。ビールの場合、技術情報の中心が海外なので、日本人でも英語で論文を書くことが多い。」ということでした。

僕はビールの方が科学的な醸造方法に関する情報の流通が多いだろうと思っていたので、これは意外な点でした。日本酒において、日本が海外に比べて技術的な優位性を保てているのは、情報が日本語で流通しているから、というのは大きいと思っています。

一方、自家醸造が可能なアメリカでは既にSAKEの醸造に関するフォーラムも盛り上がっており、情報が蓄積されていっています。伊澤さんのMiCURAについても中国からの問い合わせが増えており、中国語での解説動画作成に最近は力を入れているそうです。ただでさえ、日本語話者は世界に圧倒的に少ないのです。

日本語での情報流通を促進しなければ長期的に技術情報の中心は他言語に移るかもしれませんし、日本語での情報流通を促すためには醸造技術を学びたい日本人を増やすしかないのではないでしょうか?
酒造りそのものだけでなく、技術情報の流通も国際競争が始まるのです。

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盛り上がりを盛り上がりで終わらせないために

自家醸造の解禁は、経済的なインパクトもさることながら競争力、とりわけ他のクラフト文化や、他の国のSAKE造りやそれに関わる情報流通との競争力を高めるうえでも重要だと感じています。様々なクラフト文化が盛り上がり、SAKEが海外でも造られるようになった現在、制度の再考を行うべき時期が来ていると思います。

冒頭、自家醸造解禁への動きが盛り上がっている(主観)と書きましたが、このような時期は1990年代にもあったようです。

家庭での酒の手造りは民主憲政の世になってもアゲインストの風ばかりが吹きあれていたのだ。
それがいま、国際化の急激な進展、自民党政権の五五年体制の崩壊、細川政権による「生産者重視から生活者重視へのコペルニクス的転換」などの相乗効果によって、にわかにフォローの風へと風向きは変り、「手造り酒の解禁、自由化」にも厚い雲間から、ひと筋の明るい光がさしはじめている
(穂積忠彦、笹野好太郎『酒つくり自由化宣言』1993, 農文協, p.1-2)

しかしこの時の動きは結果として制度改変には結びつかなかったようです。

今の盛り上がりを盛り上がりで終わらせないためには、自家醸造を単に権利の問題として扱うのではなく、経済/社会的な影響といった観点で具体的にメリットを訴求できるようにしていくこと、そのための制度を具体化していくことが必要なのでしょう。

日本でも、すでにビールではその動きが始まっています。日本酒が他のクラフト文化や、他国のSAKEに置いて行かれないために、自家醸造をタブーとせず検討し始めるべきなのではないでしょうか?

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