【底辺少年院卒】お金を持つと使い方は変わる?
私は貧乏だった頃も今も、お金の使い方は基本的に変わっていない。
食事は必要最低限しか摂らないけれど、移動手段にはものすごいお金を使う。
お金を持つというのは、ただ選択肢の幅が広がるだけだ。
選択肢が増えると人は善人にもなれるし腐り果てることもできる。
今日はそんな話をつらつらと。
自分がなににストレスを感じるのか
私は食事に一切興味がない。
妊娠中でこんなことをいうとネット上のママさんに叩かれそうだが、料理はほとんどしないし子どもが産まれたからといって変わる気もしない。
毎日同じお弁当を食べていて飽きるという感覚もなければ、美味しいまずいという感覚もあまりない。
サイゼリヤ、マクドナルド、スーパーの惣菜にウーバーイーツ。
これだけあれば、一生不満なく食生活を送れる自信がある。
逆に、移動手段にはものすごいお金を使っている。
飛行機はビジネスにしか乗らないし新幹線はグリーンしか取らない。
在来線も特急指定席があれば迷わず取るし、タクシーもバンバン使う。
というのも、私は車の免許を持っていない。
幼少期にトラックに轢かれて以来、自分が運転するのもトラウマだから一生取る気もない。
人が運転する助手席に乗るのはいいのだが、自分だけの移動は基本的に公共交通機関を利用している。
そうなると打ち合わせや買い物でどこかへ出向く際、満員の時間に重なることがある。
まして東京の山奥に住んでいる私は、基本的にどこへ行くのも1時間以上かかるのだ。
ギューギューの車内で1時間以上過ごすのは想像以上に苦痛だし、特に夏場なんて呼吸すらろくにできない。
そんな状況をプラスいくらかで回避できるのであれば、移動手段にお金をかけることは私にとって無駄ではない。
しかし、この価値観も人によりけりだろう。
私の母は同じ移動手段なら絶対に安い方がいいという考えだし、昔付き合っていた人と旅行する際にビジネスに乗ると言って聞かなかった私と大喧嘩になったこともある。
お金を持つと、ストレスを減らすことにお金を使えるようになる。
うつ病患者に100万円あげたら病気が治ったという論文が出ていたが、結局ストレスを減らすことができれば悩みも鬱も消し去れるのだ。
美味しいごはんを毎日食べることがストレス解消になる人もいれば、誰かやなにかに貢いで依存されることで満たされる人もいる。
ハイブランドを身に付けることがストレス解消になったり、いい家、いい車、いい時計を持つステータスによってストレスを溜めずにいられる人もいるだろう。
なににストレスを感じるかは千差万別だ。
どんなお金の使い方も間違いではない。
ただし、その時々によって生活レベルを上げたり下げたりすることに執着のない人だけ富が続く。
変わるものがあっていいけれど、変わらないものもある。
これができない人は、必ずまた貧乏に戻り再浮上することはない。
みんな生活レベルを下げるのが嫌なだけ
とっとと給付金をよこせ!
とか
お金がない!
とか言う人の中には、本当にそのような状況に陥っている人もいる。
しかし、そこまで追い詰められた生活を送っている人はTwitterで政治家を叩いたりしない。
叩いてないというか、まじのまじにそこまで追い詰められたらネットで誹謗中傷なんてしてる場合じゃないからだ。
お金がないと言う人のほとんどは、食うに困らないお金を持っているだろう。
屋根のある家で寝れているし、明日のごはんを買うお金もある。
人様に不快感を与えないくらいの服も持っているだろうし、割高だと分かっていてコンビニ弁当を買う余裕もあるはずだ。
ではなぜ、お金がないと言うのか。
生活レベルを下げたくないからだ。
スマホをガラケーに買い換えるのは嫌だし、オートロックマンションから木造アパートへ越すのも嫌だし、定食をカップラーメンに変えるのも嫌だ。
今の生活を維持するためのお金がないのであって、生きていくお金がないわけじゃない。
断言するが、世のお金持ちのほとんどは生活レベルを下げることになんの抵抗もない。
収入に関わらず出費のほとんどは貧乏な頃と大差がないし、変わるとしても持ち物や住む家くらいだろう。
これは経営者を見てるとよく分かるものだ。
会社の業績が下がっても自分の取り分だけはしっかり持っていく社長は、いずれ必ず貧乏になる。
だが、身銭を切って生活レベルを下げた分で社員に今まで通りのお給料を払う社長は、必ず持ち直せる。
むしろ、今までよりずっと業績は上がるだろう。
前も書いたかもしれないが、私の中では医者と風俗嬢に違いはない。
同じように、ホームレスと年収1000万にも違いはない。
「上なるものは下なるものに」である。
世間体や人の目、プライドや見栄を守るためにお金がないと言っている人のところに、お金は集まらない。
そんなくだらないもののためにお金を使っているうちは、本当の意味でのお金の使い方を知らないからだ。
私は収入が減れば減るほど、募金の金額を増やしている。
困っている人を見たらすかさず助けて、将来の自分への貯金としている。
お金と親切は巡り巡って、必ず自分に返ってくるものだ。
それでもプライドや見栄のために、お金がないと言い続けるのだろうか?
なぜお金持ちは慈善事業をするのか
私も昔は自分の稼いだお金を他人にあげるなど理解ができなかった。
祖母はばら撒くようにあげていたけど、ただのお人好しで苦労を買って出ているだけだと思っていた。
しかし、お金を持ち使い方を知るようになってその意味が分かった。
お金は持っていても意味がない。
使って初めて意味を成す。
あくまで引き換えチケットでしかないから、お金を持つということは手段であって目的にはなり得ないのだ。
では、どう使うのが正解だろう?
今日のテーマであるストレスを減らすために使うのも正解だろうし、自分の欲を満たすために使うのも正解だろう。
人のために使うのもまた、正解ということだ。
なぜお金持ちが人助けに信じられないほどの大金を注ぎ込んでいるかというと、人はある程度欲が満たされると欲しいものがなくなる。
美味しいものも高級品も食べ尽くしたし、家や車や身に付けるものも一通りある。
自分がストレスなく過ごせる生活環境があって、収入が途絶える心配もない。
そうなると人は欲しいものがなくなる。
物欲が消える代わりに、精神欲が出てくるのだ。
してもらった、してあげた、ということに価値を感じるようになる。
だから稼ぐ人ほど、他人にされたこと、したことをいい意味でも悪い意味でもずっと覚えているのだ。
恩を返す=親切にする=その人に恩返しされて=こちらもまた恩返し(親切)をする
その繰り返しで、この人なら絶対という信頼関係ができてくる。
日本にはチップや募金の文化があまりない。
宗教文化が他国に比べて根強くないことも大きな要因だろうが、困ってる人に現金を渡すというのは金額が大きければ大きいほど偽善者だのなんだのと叩かれる原因になったりもする。
自分にできないことを他人がしていると叩く根性は、個人的に見ていてとても惨めに感じるものだ。
そういう輩は無視しておけばいい。
自分が困ったときだけ被害者ぶる人は、惨めな死に方をするのが自然の摂理だ。
話を戻すが、精神的欲求を求めると最終的に「どうやったら人を幸せにできるか、笑顔にできるか」というところにたどり着く。
貧困国の難民を救うお金持ちは、決して世間の目を気にして見栄やプライドのためにお金を使っているわけではない。
彼らの暮らしが今よりずっと良くなり、なんの心配もなく笑顔で過ごせる。
自分がそのお手伝いをしたという結果に対して、満足感を得ているだけだ。
物欲には終わりがある。
高級品に限度があるように、どんなに洋服が好きでも満たされるまで集めてしまえばそれ以上に欲する気持ちは他所へ向くものだ。
精神欲には、終わりがない。
誰かを幸せにしようと思い一生をかけても相手を幸せにできたという実感は湧かない。
自分の幸せや満たされる感覚は得られても、対誰かでは確信を持てないからだ。
世間の評価よりもずっと、精神欲が満たされるのはほど遠い。
キャバ嬢がホストにハマりAV女優になるまで時間がかからないのと同じように、誰かに尽くすというのはキリがない。
だからこそ、やる価値があるのだろう。
お金と親切は必ず自分に返ってくる
DV男ばかり好きになる自分に嫌気が差していた頃、こんなことを言われた。
「恋愛は鏡、相手は自分を写している」
殴る相手の心理ばかり考えていたが、自分の足元を見てこれまでのことに気付けた。
同じように、お金も親切もいずれ自分に返ってくることを学んだ。
お金は回りものだ。
使えば使うだけ返ってくるが、使い方によって天にも地にも導かれる。
親切は貯金と同じ。
今日誰かに優しくしたら、明日誰かに優しくしてもらえる。
綺麗事でも絵空事でもなく、世の中には誰にも逆らえない「秩序」があるのだろう。
お金持ちが慈善事業をするのは世間から評価を得たいからではない。
そうすることで自分が幸せになれる「真理」を知っているだけだ。
その真理に目を向けるか、関係ないとひねくれるかはあなた次第だろう。
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