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遺影さがし

何もしたくないなぁとボンヤリしているところに老人ホームからの電話。「写真がご用意できました」。16時を過ぎて初めて化粧をして、家を出る。

スマートフォンを頼りに老人ホームまでの道のりを自転車でフラフラ。バス通りはソメイヨシノが立ち並んでいて、散歩する人たちが足を止めてはその花を見上げている。風は少し冷たい。


1週間前にも同じ道を走った。その時は病院に向かっていたのだけど、浮かれるほどあたたかな陽気で、水色の空にピンク色の花がよく映えていた。やっと冬が終わって、こんなに気持ちがいいときに、おばあちゃんは亡くなっていくんだなあ、ということが、あまりにもちぐはぐで、不思議に思った。

途中の公園で、謝りながら桜の枝をほんの少し頂戴して、母親の自転車の籠に放り込んだ。おばあちゃん喜ぶかな?とふたりで期待を持って、病院に向かった。目が開いたところで、ほとんどこちら側に意識のない祖母の前に花をかざしても、瞳は虚ろなまま。すぐに眠りに入ってしまい、期待はぽろぽろと掌の上をこぼれ落ちていったのだが、かすかに残るそれで、「目が開いたときに見えるように」とペットボトルに生けた桜を脇机に飾ったのだった。


A苑は、生前祖母がデイサービスで利用していた。幼い私は何度も何度も、その送迎車を家の玄関や、通学路で見かけて、車中の祖父母に向かって手を振ったのだが、その車が帰っていくところに訪ねたのは今日が初めてだった。

キョロキョロとしながら自転車を停める私を、職員の方はすぐに見留めて、深々と頭を下げてくれた。「この度は、急なことで……」。丁度、送迎の時間帯だった為、皆パタパタと忙しく駆け回っており、申し訳なく思った。写真を取りに奥に戻っていく背中を視線で追いかけながら、私は玄関の外から中のようすを伺った。ロビーで迎えを待つ年長の人々。本当は一瞬でも中に通して貰えることを期待していた。祖父母が長い時間を過ごした施設を見てみたかった。しかし、私は部外者だった。

「あまりいい写真が無くて」と、受け取った紙袋の中には3枚の写真と1枚のCD-ROM。写真の内の1枚は祖父だった。個人情報の問題で、施設内で撮影したデータは1年毎に消去してしまうそうだ。その中でも無理をお願いして、わざわざ用意をしてくださったことに感謝し、その場を後にした。遺影に使えそうな写真ではなかったが、私が記憶するより若いときの祖母が写っていた。いい写真だった。

バス通りの桜の樹の間を再びフラフラしながら、写真を取り出して掲げてみる。そうやって祖母の目に桜が映るわけではなかった。


祖母の遺影に使える写真が、どうも見つからない。新しすぎる写真はダメだった。この数年の祖母は痴呆が進んで、表情を殆ど失くしていたし、入れ歯も入れずに過ごしていた。いい表情をしているものに限って画質が粗く、引き伸ばせないと葬儀屋に断られた。

伯父が推薦する写真がある。17年も前のそれは、確かに笑顔で、画質も良いのだが、あまりにも若すぎた。私と母のイメージの祖母よりもずっと恰幅がよく、腕が太く、健康そうで、エネルギッシュで、快活そうだ。きっと伯父の中のイメージに最も近いのが、この祖母なのだろう。

もっといい写真はないか。私と母は昔の写真を箪笥や棚の奥から引っ張り出し、畳の上にばらまき、目的のものを探した。

祖父は写真を撮るのが好きだったので、枚数は山ほどあった。しかし決して腕のいいカメラマンではなかったので、やはり目的に適うものは見つからなかったのだが、懐かしい思い出の詰まったそれぞれに見入ってしまった。祖父母と、伯母と、母の旅行写真。祖父母が、従兄弟や兄を抱える写真。親戚一同や近所の方々の写真……次々とこれらに目を通していく内に、私は感心しながら、同時にがっかりしていた。なぜなら、「私の写真がない」!!!!!!

これだから、末っ子は損だ。末っ子はいつも損をしている。洋服はお下がり。お年玉は少ない。珍しさがなくなっては、写真も撮ってもらえない!お兄ちゃんばっかり、ずるい!きいー!といった、この世のすべての末っ子が抱く不満と嫉妬をおぼえながら、父が所有する写真にとりかかった。祖父の写真とは違って、こちらは父、母、兄、私の写真ばかりで、なかなか祖父母の写真は出てこない。

しかし、何枚も何枚も写真を捲ってやっと見つけたそれに、私は思わず泣いた。祖母の腕のなかに、まんじゅうのように膨れた顔の赤ん坊、そしてそれを横から見つめる祖父。ふたりは笑顔で写っていた。まんじゅう顔のブサイクな赤ん坊は、私だ。

それから、何枚か私や兄が、祖父母から愛情こめた視線を受けるのを見つけた。私は祖父が笑う人だということを知らなかった。(私が物心ついてからの祖父は、年を取りすぎていた。)この時、祖父も、祖母も、幸せだった。そして私は無条件に愛されていた。それを知っただけで、私は満足だった。


結局、遺影に相応しい写真は見つからなかった。やはり伯父が推薦するそれにするしかないようだ。これだけ懸命に探して見つからないのだから、祖母自身が、この写真を使うのを望んでいるのではないか?痴呆になる前の、若々しくて、逞しい頃。それが祖母にとっての、祖母が望むイメージなのかもしれない。

そう結論付けて、無理やり自分達を納得させ、私と母のお気に入り(画質が粗くて遺影には使えないとのこと)は、お焼香の台の上に乗せてくれないかな、なんて目論んでいるのだった。


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