ケアリングに関する男女の逆転についての覚書
原始的国家、とりわけクレタ島のミノア文明に関して言われるのが、政治からケアリング(社会的、個別的福祉)に至るまで女性が社会の中心でありリーダーであったということについて。
これに関して、太古の世界ないし中世に至るまでは女性にもケアリング能力が存在していた事実はあるが、これを現代にまで無条件に横滑りさせるのは歴史の過程を見ていないと言わざるを得ない。
少なくとも、現代に関して言えば女性社会は「排除の原理」によって成り立っているのは、男女別の「いじめ」の実態や、男女それぞれが形成する「派閥」の様相からも感覚的にも納得し得るし、実際の社会実験によっても証明されている。
すなわち、現代の女性というのは、支配と資源の一方的浪費という極めて「男性的」な性質を持つ、(フェミニズムの用語を用いれば)「名誉男性」である。
つまり、原始社会や中世から現代までの間には「断絶」が存在するということであり、過去の女性がどうだったかをもって現代の女性を同じものとみなすことはできないということ。
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そもそも論として、こうした男女における「対立と分断」は西洋由来のものであり、近代の西洋の世界侵略に伴って全世界に拡散したものである。
ゆえにここでも前近代への回帰、西洋的思想の批判・拒否ということが社会をより良きものへと変革する上で重要となってくる。
日本に関していえば、前近代社会での日本では極めて高度な「男性によるケアリング」が成立していたことが事実として残っている。
一例を挙げると、宮本武蔵と立花道雪である。
前者は比類なき兵法の名人であり、後者は西国一と称された自身が指揮を執った戦闘では生涯不敗を誇る猛将である。
ともに「いわゆる男性的」存在の象徴とも言える属性を持つ人物であるが、しかしどんな女性でも逆立ちしても及ばないほどの、極めて高度なケアリングを行っていた事実が存在する。
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まず前者である流祖・武州玄信公(宮本武蔵)の例をみていく。
宮本武蔵には、常に多くの弟子が回りに存在し、弟子の希望に合わせて常日頃から稽古をつけていた。
その中で、弟子が廻国武者修行に、あるいは大名に仕官するために暇乞いをして旅立つ時に、宮本武蔵は
「どこへ行っても金銭が無ければ落ち着きがたいもの。その用意はあるか?」
と尋ねて自宅の廻り縁に吊るしている金銀の入った木綿の袋を取ってきて弟子たちに与えていた、というもの。
以上は『武州傳来記(丹治峯均筆記)』所収の話であるが、普通は月謝を取るのが当たり前で、教わる側が教えてくれた側に謝礼を払うところ、教える側(宮本武蔵)が、弟子の今後のことまでも考えて路銀を用立ててくれているという話である。
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後者の立花道雪に関するエピソードについて。
立花道雪曰く、「武士として生まれついた者で手柄を立てられぬ者など存在しない。もし居るとしたら、それは本人が無能なのではなく大将が励まさない罪によるものだ。だから他家でうだつの上がらない武士がいるならば立花(戸次)家中に来るがよい。見違える武士にしてやろう」
とのこと。
ある時、なかなか手柄を立てられずに人知れず悩んでいる武士がいた時、出陣の前にその武士に語ったところによると
「戦功は時の運である。そなたが優れた力量を持つことはよく承知している。だから抜け駆けで功を立てようなどと焦って死ぬことはまかりならん。それは犬死というもの。最後まで戦い抜いてこそ武士というものである」
と皆の前で励ました。
これに感動したその武士はその戦において比類なき働きをし、それを見た立花道雪は
「かの者を見よ。やはりこの道雪の目に狂いはなかった」
と諸人の前で激賞し、立花家中の将兵はこぞって立花道雪のために忠義を尽くしたという。
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以上を見るに、両者に匹敵するほどの「ケアリング」を成し得ている者、果たして現代に幾人ありや、ということ。
このような歴史的過程を見ていれば、古代社会の先人たちの性質に「タダ乗り」することはできない。
それは属性を超えて、個々人がどのように己の認識、精神を磨くかということに尽きるものであるということ。
そして社会的にもまたかくの如し。
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