見出し画像

生産設備の方が大事。しかしそれだけではダメな理由:なぜ野生の原理が必要なのか?

単純に食料問題だけを考えると、この記事のように第一次産業の生産設備や技術を持っている人が生き残り、都会の人間は餓死して死に絶えるのは間違いない。

しかし、記事のコメントにもあったとおりで、フランス革命の例を取って考えると、たしかにフランス王家とその取り巻き貴族などの特権階級はギロチン送りになったものの、勝ったのは農民かといえばさにあらず。

農民はその後の近代軍の徴兵制によって、ナポレオンに「無尽蔵に使い捨てできる兵力」として徴発されて、これまた大多数がナポレオン戦争で大量死するという現実を迎えた。

===============

なので、こういった人類の歴史を俯瞰してみれば、なぜ私が「野生の原理」を唱え、食糧やエネルギーのみならず、軍事力の自給自足も必要かということが分かるはず。

軍事力とは最終的な「意志の自由」を担保するための、言い換えれば自ら(とその属する共同体)の主体性を確立する=他者の要求に対してNOを突き付けることができるようになるためのものであるから。

なので、単に農家をやっているだけでは、都市部から流れてきた流民の襲撃に対抗することができないし、いわゆる「キラキラ層」の指令で動く政府からの収奪にも対抗する手段を持たない。

そういうことから、アメリカの主に南部や中西部のカウンティ(郡部)に住んでいるコンサバティブ系の住民(共和党支持、銃規制反対、個人の自由と権利と独立の擁護などの共通項で括れる人たち)がメインメンバーになっているミリシア=私設民兵団のように、武装して自らの生存基盤=生存圏を自らの力で物理的にも護ることができるようになることが重要だと考えている。

===============

また、現代日本を歴史のアナロジーで考えれば最も近い社会状態は平安時代末期の頃、すなわち律令体制の崩壊期であると考える。

無能な政府と混乱する政治、そして収奪される地方と肥え太る中央、そして格差の拡大・・・。

このような平安時代末期にあって、では次の時代はどうなったのかと言えば知らない人の方が少ないであろう。

そう。武士の登場とそれに支えられた地方の自律化である。

西洋というか日本以外の地域では、生産階級は基本的に非武装であり、また統治されるということに慣れ切っていた。

そのためフス戦争やドイツ農民戦争、フランス革命の後のような状況が現出しても生産階級が自律としての自立を図ることはついになかった(細かく言えばパリコミューンなどがあるがそれは例外的かつ短命に終わった)。

しかし日本の場合は最近漫画などでも明らかになっている通りで、地方の生産労働に従事している者であっても自律的な統括機構を地生えで生み出し、さらにそれを支える「共同体独自の武力=固有戦力」も自らで用意している。

それは失敗に終わったマキャヴェリの市民軍と異なり、軍事アドバイザーや傭兵として牢人である武士を雇い入れ、その武士から教わりながら実戦経験を積んだり、あるいは武士の戦いに足軽・雑兵として参加することで実戦経験を積みながら村固有の戦力として定着していった。

そしてそんな時代が800年以上も続いた。

===============

以上から考えるに、今後の身の振り方としては、一日も早く自前の食料・エネルギーの生産設備を保有することに向けて動きながら、その生産設備を稼働させるための技術を自身に蓄積していくこと、そしてそれと並行して、まずは個人の護身、それも自分の身体のみならず自分の資産も防衛していける武力と智慧を身につけていき、それをある程度の共同体まで拡大させていくという基本路線に沿った展開をしていくのが、今後の王道となる。

また、それと並行して、思想面での転換も図る必要がある。
というのも、近代という時代精神はすでに終焉したと言ってもいいからである。
巨大な中央政府による保護はもはや無いに等しく、むしろ中央政府がグローバル勢力や外国勢力と組んで自国民をグローバル勢力に売り払うということをする時代になっている。

よって、自らが自らを統括する=自律的に行動する、すなわち野生の原理で生きるということをこれまで以上に、それこそ戦国時代レベルで求められるのが今後の世界となっていくであろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?