パンデミック条約

パンデミック条約というものが人権制限をする!人権を守るためにパンデミック条約を否定せよ!っていうnoteを見たわけである。

いや、確かに今回のコロナ禍では日本人も累計で7万人くらいしか死んでないのだから個人の自由を尊重せよというのかもしれない。

まあ、今回のコロナは若者は死ななかったのでなんだ大したことはないじゃないかという印象を持っている人も多いのかもしれない。けれども例えばエボラ出血熱は致死率50%〜90%という高率である。

結果的には起こらなかったので厚労省も胸を撫で下ろしているだろうが、先般の東京オリンピックでこういう高致死率の感染症が日本に流入することを厚労省も一番心配していたのではないだろうか。

このエボラ出血熱ではその治療にあたった医師がエボラに感染して命を落とすなど悲劇的なエピソードに溢れているわけであるが、もっと間抜けなエピソードもある。

エボラのパンデミックは西アフリカ諸国で再燃を繰り返しているわけであるが、当地では医療があまり進んでおらず、シャーマンがいて村人の治療を受け持っていたわけである。シャーマンは当然ながら簡単な薬草の知識しか持っておらず、重病の時は祈祷するわけである。まあ日本でも加持祈祷するお寺はあるのでそういうことであろう。まあ、当然、病人はそれでは治らないので、村人も高貴なシャーマンにお祈りしてもらって命を終えたのだからその人は幸せだったと納得していたということであろう。

で、エボラのパンデミックである。WHOのスタッフなどは現地でとにかく患者を健康な人と隔離して感染の拡大を防ごうとしたわけである。患者の出血した血液にはエボラウイルスが満載しているのでその血液がつかないように宇宙服のような服を着て治療にあたっていた。

けれども収まらないのはシャーマンである。重病人の加持祈祷は自分の役目であるのにWHOは患者を謎の服を着て白い謎の建物に連れて行って返さないのである。つまり、シャーマンに仕事をさせないのは悪魔であろう!こう叫んでびっくりした家族は病人を悪魔に連れていかれたので取り返さなければということになってWHOの病院に押し入って出血している患者を素手で抱えて村に連れ帰ったわけである。

シャーマンは「よくぞ悪魔から患者を取り返してきた」と喜び勇んで患者の出血した血を浴びながら加持祈祷を行なったわけである。そしてその村はエボラで全滅した。

こういう事例が実際にあったわけで、本当にパンデミックが起きた場合には自由とか人権を言っているとウイルスなどにやられて犠牲者が激増するわけである。残念ながら病原体は修行を積んだ高僧が「悪魔よ去れ!」と言っても聞き入れてはくれないのである。

このコロナでもマスコミなどはアマビエなどの妖怪を紹介したが、実際に治療にあたったのは救急やICUの医師や医療スタッフたちである。また、救急搬送した救急隊の働きがあってこそということになるわけである。

「いや、そんなことを言ってもハンセン氏病はどうなんだ」というサヨクがいるかもしれない。あれはペニシリンができるまでは治らなかったのである。戦前は一旦感染したら不治の病であった。だからこそ感染拡大を防ぐために隔離する必要があった。けれども問題となったのは治療が可能になっても漫然と隔離を続け、治癒しても死ぬまで治療施設から出さなかったという怠慢や患者を一段低いものと見て差別的対応をした行政や司法などの不適切性だったということであろう。

昨年だって鳥インフルエンザが大流行して人間にはほとんど被害はなかったが、鶏たちが大量死して卵の値段が高騰したのである。それを運んできた渡り鳥たちも大量死したが、渡り鳥たちは自由に空を飛び、どんどんと感染を広げたわけである。

人の感染症も同じであって、感染者が自由に行動するならば感染はどんどん広がってゆくのである。犠牲者を減らすためには一定の行動制限を行なって感染拡大を抑制しなければならないのである。

確かにハンセン氏病の問題は反省しなければならない苦い経験だったと言える。治癒したものやもはや感染の恐れのないものの行動制限は憲法違反である。けれども、感染を広げて犠牲者を増やすかもしれない患者の行動制限を行うことは公共の福祉と言える。

決して濫用してはならないが、感染拡大を防ぐということは大義である。そういう意味で、ハンセン氏病の失敗を決して忘れず、けれども感染症の拡大を防ぐための手段には制限を加えることなく、必要時には患者や人々の行動を制限してでも感染の拡大を防ぐ手を打ってゆくことが感染症対策には求められるのではないか。

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