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8月には恒例の

そろそろ終戦記念日が迫ってきたためか、マスコミもいつものように戦争特集をやりはじめている様子である。もう終戦から75年である、と言うことは赤ちゃんであったとしてもあの戦争を覚えているものはもう後期高齢者になっているということである。つまり、ほとんどの人は戦争を直接経験したことのない世代になっているということであろう。

うちの祖母などは実際に空襲を体験していたので、もう何十年か前の話だが、一緒に梅田にお出かけしたときに、多分読売新聞の記者にインタビューされて、嬉しそうに語った経験談が終戦特集の何十人のインタビューの中の一人として2行ぐらい載せてもらったことがある。そのときにはまだ、たまに義足の元傷病兵さんが駅前に座っていたりして、まだ戦争は本当に過去にはなっていなかった。

けれども、通っていた小学校にあった、既に使われなくなった戦時中からの木造校舎は建て替えになるということで、卒業の頃にはもう立派な鉄筋の校舎に建て替えられていた。木造だった国鉄の駅も鉄筋の建物に建て替えられて、いつのまにか、義足の傷病兵さんも姿を見ることはなくなっていったわけである。まだ国鉄が分割民営化してJRになる前の話だったと思う。

修学旅行でも広島では実際に被爆した語り部さんから話を聞いた覚えがある。恐らく今もあるのだろうけれど、おばあさんの影が残った銀行の石段を見て恐怖で夢に出るんじゃないかと思った記憶がある。数年前のNHK特集で、その石段に座っていたお婆さんを目撃していた人がいて、おばあさんが熱線で蒸発したわけではなく、恐らくは爆風で吹き飛ばされて、そのときに炭素粒子が石段に焼き付いたのだという説明がなされていた。恐らく事実はそうなのだろう。当時の小学生の私は原爆の熱線で蒸発したお婆さんの粒子が石段に焼き付けられたのだと思って恐怖に震えていたわけである。

こういうことを書くのもこういう記事があったからである。

75年前の空襲の遺物がもうほとんど集まらなくなっているそうである。左派にしてみれば、時間の経過など些細なことだ、集まらないのはネトウヨの呪いではないかと信じる向きもあるかもしれないが、やはり、時の経過とは残酷なもので、いかに大事件であったとしても75年は長い年月であったというべきではないか。

「はだしのゲン」もよく読んだ漫画であるが、もう作者は鬼籍に入っておられるのだねえ。平和に眠っておられることであろう。お墓に「人類にとって最高の宝は平和です」と書かれてあるが、世界では今なお平和でない、まだ人々が殺し合いをやめない場所はある。けれどもこの日本は今、平和であると思う。そして、重要なことはこの平和をいかに守り続けてゆくべきかということであろう。

この点では意見の相違が出ることであろう。なぜなら多くの人が様々な違う意見を持っているであろうから。しかし、短絡的に物事を強制するのではなく、多くの意見を俎上に乗せてきちんと議論してゆくべきであろう。さて、日本人は果たしてそこまで成熟しているのであろうか。

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