少子高齢化すなわち人口減少時代を乗り切るためには

少子化の現状

超少子化である。

もう諸所で報道されたり話題にされたりしているが、令和4年の出生人口は77万人で戦後最低になっているし、出生率も1.26と過去最低タイになっている。

ついでに高齢化の副産物として死者数も156万人と過去最大になっており、人口の減少は差し引き約80万人弱になっている。

これに対して楽観論者は「なあに、明治維新の頃には日本の人口はわずか3千万人だったのだ!それを考えると少子高齢化など何の問題もない。人口減少結構結構」と笑っているわけである。

国の高齢化ー国民の平均年齢

多分こういう楽観論者が見落としていることが一つある。明治維新の頃の日本人の年齢である。

今の日本の平均年齢は48歳くらいである。つまり平均的に生産年齢人口を脱しているのである。女性はもう子供を作れる年齢を過ぎてきているのである。(ごく少数は50歳でも妊娠する猛者もいる)

現在の日本人の平均寿命は80歳を超えているので、まあ50歳からでもあと30年は生きられるという計算もあるかもしれない。子供はもう作れないけれど、生きるだけなら可能である。

一方で明治維新の頃は人間五十年の時代である。平均寿命は乳幼児死亡が大きなファクターであるので、平均寿命が50歳だとしても、乳幼児が多く死んでいたことで平均寿命が下がっているだけで、70歳の人も80歳の人もいたのであるという意見を言う人もいるかもしれないが、出生率も高かった日本の明治時代の平均年齢は恐らく20代前半であっただろう。

20歳の国と50歳の国ではその持てるエネルギーがそもそも違うわけである。

若者を搾取する老人

明治維新の頃のエネルギーを現代の日本は持っていない。多くの老人がただ自分の生に執着して若者をそのイケニエにしたがっているだけではないか。自分には子がないから他人の子を遠慮なくこき使って自分の幸せにしたいという人が多いのである。自分の子供なら少しは遠慮もするだろうが(それでも毒親というべき人はいて問題になっている)他人の子に何の遠慮があるものか、過労死させたところで無関係の人である。どんどんこき使って死ねば見なかったことにすれば良いという人は実際にそれを実行するかどうかは別にして多いのである。

実際には多くの老人には奴隷を使う才覚などないので、「我々は我が子にも逃げられて老老介護をするしかないのである。ぜえぜえ、我々がどれだけ苦しいと思っているのだ!我々の身の回りの世話をしてくれる奴隷の若者を寄越せ!」と叫びたい高齢者は多いのではないか。

これはやむを得ないことであって、体力の衰えた老人は若者が簡単にできることでも容易にはできないのである。そういう老老介護の果てには面倒を見切れなくなって介護する相手を殺害してしまうという悲劇が時々、マスコミの話題として賑わせることになる。そういう老人の夢想は「若者を無料で自由にこき使うことができたらどんなに楽なことであろう」ということであろう。

つまり、子供たち、若者たちを搾取して、彼らの種籾を横取りしてむしゃむしゃ食べてしまいたい老人は日本にはたくさんいるのである。無論、数多いる老人の中にはそうではないと主張したいという人もいないではないだろう。

けれども、既にヤングケアラーの問題も指摘され、家族の世話のために十分に学校に行けない子もいるし、外国人実習生の間には「日本はヤバイ」という共通認識ができてしまっている訳である。日本や外国人の若者を搾取しているのは日本の老人たちであることは認めざるを得ないであろう。

移民は解決策になるか

政府は少子化対策を懸命に打ち出そうとしているが、そもそも老人たちの同意を得られていないのでお金は老人たちが独占することになり、若者には絵に描いた餅だけを配ってきたのがこれまでの政府の少子化対策である。もちろん、何の効果もなかったわけであるが、今回の少子化対策はどうだろうか。まあ、きっと、総論賛成各論反対の声に押し切られて骨抜きになるのじゃないかという気はする。老人にとって少子化対策は何の利益もないわけである。子供などゼロになっても彼らには何の痛痒もない。

そうなれば残るは移民解禁である。移民で海外の若者に日本に来て貰えば日本人の子供がゼロになっても日本という国は存続できるのである。

左派リベラルや官僚たちはイージーに移民を解禁しさえすれば全ての問題は解決する、日本人どもが少子化の果てに絶滅して消えたとしても世界の安月給を喜び酷使されることに喜びを感じる移民たちが大量にやってくるから大丈夫だ、と考えているかもしれない。けれども、世界の多くの人達は日本の老人たちが求めているほど都合の良い存在ではないかもしれない。

普通に考えて経済大国日本、豊かな日本に移民したい人は経済的に恵まれた生活を志向するであろう。わざわざ日本に来て貧乏な生活を望むってどういうこと?ということになる。日本から南米に移民した人だって、貧しい生活を乗り越えて南米の土地持ちになることを願って移住を決断したことであろう。そういう利益なしにただひたすら搾取されることを望んで移民する人っていう左派リベラルや官僚の望む海外からの移民像っていくらなんでも都合が良すぎるのである。

少子化とGDP

今後、日本が生き残ってゆくにはこういう無能な老人たちには退場してもらって、きちんと若者が稼がなければ日本は滅びるわけである。仮に人口が四分の一に減るならば今のGDPを維持するためには一人当たり4倍稼がなければならない。老人は稼げないわけであるから若者は老人の分も含めてもっとたくさん稼がなければならないのである。

老人たちはそういう現実は(こういう理屈は小学生でもわかるであろうけれど)都合が悪いのでボケたふりをして見なかったことにしているだけではないか。もし、今のGDPが人口相応に四分の一になると大体100兆円くらいになるとサウジアラビアとかオランダと同じくらいになって韓国の下になるので韓国愛の強い左派リベラルにしてみれば日本が韓国の下になって嬉しいですということのみを目指して人口減少を目指しているのかもしれない。(日本の滅亡を望む純粋な左派ならば有り得なくもない)

日本の現状とありうべき姿

現実を考えるとそこでギブアップしそうになるが、じゃあ日本より一人当たりGDPが4倍の国はあるのかというとあるにはある。

このランキングによると日本の一人当たりGDPは3万3千ドル。その4倍の12万ドルを叩き出している国はルクセンブルグである。一人あたり12万7千ドルである。他に北欧のノルウェーやアイスランドも10万ドル近辺である。やってやれないことはない(かもしれない)。

ルクセンブルクは主要産業が金融業と鉄鋼業だそうである。人口を減らすならばこういう得意分野に特化した投資を行うことで多くの利益を上げるような産業構造に変換することも必要かもしれない。インバウンドだ!という人もいるかもしれないがコロナでインバウンドが火が消えたようになったのを見ると不安定すぎるのである。また、せっかく日本に観光客が来ても最近は団体ツアーを外資系のお店に誘導されるようになって日本企業の売り上げが下がっているという話も聞くのですぐにマネされるような軽薄短小であればどうにもならないと言える。観光業にしても、他国が簡単に真似できない日本の伝統文化をきちんと観光の目玉として育成し続けられるかという長期的な視点が求められるだろう。今は円安で外国人を吸引している面もあるし、そういう人たちをリピーターとして育て上げられるかという視点も重要である。

牛肉オレンジや自動車、ITで日米で貿易摩擦という火花を散らした過去があるので日本が新しい産業を追求すれば何処かと摩擦を起こすのではないかという不安から消極姿勢をとりがちになっているのかもしれないが、新産業を開発してゆかなければ結局は世界から取り残されてしまうのである。古いままで新しいことに挑戦せずに安住してきたのが今の日本ではないか。

進歩を止めるなら優秀な人材は必要ないのである。老人の言うことを素直に聞くイエスマンだけでよい。下手に老人より優秀な人材が現れては困るのである。新しいことには挑戦せずに、陳腐化した技術を固守していれば緩やかなダウンヒルを描きながら落日を楽しむことができるだろう。リスクなど不要なのである。

けれども、繁栄を維持してゆきたいならばそう言う後ろ向きな姿勢ではいけない。リスクを取って新しいことに挑戦する人材を多く育成する必要がある。そうなると教育、文部科学省を活性化させる必要が出てくる。今は教員の募集が低調で多くの人が教員を目指さなくなっているという。財務省も少子化なのだから正規教員を雇わずに有期雇用の講師を増やせば経費節減になると言っているようである。もちろんそれではいけない。子供たちをいかに教育して有能な人材を輩出させるかをまず考え続ける必要があり、それに国家が全力を傾ける必要がある。そこで「稼げる人材」を養成することで新しい産業を模索してゆくことこそ重要ではないか。

社会人教育やリスキリング(最近話題には上らなくなってきたかな)も大事だが、まず、次世代を担う子どもたちのことを考えることが優先である。それが曖昧なまま大人たちの技能を更新させても意味は少ないし有害ですらあるだろう。

まずは大人たちが前向きになることこそ重要である。

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