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新自由主義

日本では核家族化が進行している。

少し以前の記事だが、現在日本では親子家族の核家族というより単独世帯が増加しているようである。

戦後高度経済成長期の日本

この核家族は世帯主が増加するのだから多くの兵隊を徴兵したい軍部には都合が良かった。だからこそ敗戦までの日本政府としては核家族化を推し進めたのではないか。戦後は企業の都合であろう。農村から働き手を引き抜いてくるためには働き手を中心とした核家族が生活できるような環境を形成する必要があったということであろう。つまりは団地である。団地の小さな区画に働き手である夫とその妻が住む。そして2人の子を育てるというのが厚労省の標準家族であった。

企業は終身雇用と豊かな福利厚生で「金の卵」として働き手を集め、保護してきた。つまり、企業は疑似家族の核となり、多くの従業員を支えたわけである。これが高度成長期の日本であった。政府は「小さな政府」と言ってのんびりしていても人々は企業の稼ぎで幸せな暮らしが可能だったわけである。

バブル崩壊と小泉政権の新自由主義

それが変わってきたのはバブル崩壊以降であろう。豊かになった人たちは企業に頼らなくてもそこそこ暮らして行ける小金を蓄えた。正社員にならなくてもフリーターとして夢を叶えようなどと浮かれていたが、バブル崩壊以降は地価が下がり、企業が土地を担保に借金して金を回すというモデルが困難になった。

その後、小泉改革で規制緩和が行われた。企業にとって従業員はもはや「金の卵」ではなく、利潤のために使い潰すモノとなってきた。企業のブラック化である。人件費の圧縮が叫ばれ、サービス残業上等の風潮がまかり通るようになった。小泉改革の頃はまだ、人々は「これを切り抜ければ豊かな生活が待っていると思って耐えていたが、次第にギブアップする人が増えてきた。何しろ、1週間、企業に泊まり込んでプログラミングする人が普通になってきたのである。病院で働く医師と同じレベルのブラックさになったわけである。しかも安い給料で。医師は流石にそこそこの給料をもらっていたし、使命感もあったから例え家庭が崩壊しても患者さんのために泊まり込むのが当然だという意識があったが、過労死する医師が出現したり、医療裁判で医師側から見れば不本意な判決が続出したために立ち去り型サボタージュが頻発して医療崩壊が起こってしまった。

企業の方は当時、「給料よりも『ありがとう』を貰え」というような経営者がもてはやされて福利厚生もガンガン削られ、終身雇用も崩壊しつつあったと思うのである。公務員も採用が絞られて「入庁5年ですが、僕、まだ課で1番の若手なんですよ」って自嘲された時代であった。

政権交代も無意味だった

政権交代して民主党政権になったけれども状態は改善せず、企業のブラックさも変わらなかったわけで、中途解雇されたり、そもそも企業への就職に見切りをつけた人の中にはデイトレーダーとして投機で食い始めた人もいたことであろう。民主党政権は株価のケアをしなかったので空売りさえしていれば簡単に儲かった時代でもある。民主党政権末期には日経平均が1万円を切ってしまったわけであるから。

結局、民主党政権は新自由主義、小さな政府志向だったので問題がどこにあるかすらわからなかったのであろう。円高にして小売業が儲ければいいじゃないか。従業員はこき使って固定費を下げて儲けることにどんな倫理的問題がある?過労死するのは個人の不摂生の問題、くらいの認識であったのではないか。

まあ、安倍政権になって円高誘導を止め、輸入業ばかりが儲からないように是正したことで何とか日本は生き延びたわけである。おかげで株価も上がり、地価も上がった。企業は無理に固定費を圧縮しないでも生きられるようになったであろう。そのことは雇用情勢の改善にも繋がったわけである。若者にしてみれば新卒採用が増えてくれるのは何にも増してありがたかったことであろう。

新自由主義vs. 福祉国家

ただ、新自由主義であることは変わらない。社会福祉の方面では例えば難病指定のように、それまで負担ゼロだった分野が範囲の拡大と引き換えに一部自己負担が課されるようになったり、援助額の減額が行われるようになった。

難病の介護って仕事の片手間でできるほど簡単なものではない。親が子を介護する時には1人が働き、1人が介護するという役割分担ができるが、シングルマザーなどだともう生活保護が現実の選択肢として見えてくるわけである。老人の介護においても子供世代、すなわち現役世代の介護離職というのが問題になったことがある。今はあまり騒がれないけれど。

税金を減らした分は国民が自分たちでなんとかしろということである。

所得税を減らして消費税を増やすことはある意味、朝三暮四なのだけれど、福祉国家の体裁を保つためには何とかして国の収入を増やして国民に支払わなければならないという国の意思なのであろう。何しろはじめに述べたように核家族化なのである。小さな核家族では一旦ことが起こっても、親戚たちも皆核家族であるため、大した援助はできない。結局、国以外に援助してくれるところがない人たちが多いのである。

国の方針は高所得の人の税金を減らすのが目的なのだからその分、比較的、低所得の人にしわ寄せが行くことになる。何しろ、ケイマン諸島などの無税国家の存在がバレちゃったのである。高所得の人に税金を課そうとしても上手いこと無税国家に資産を逃避させてしまうことを前提にしなければならない。

新自由主義でゆくならば

かつて、塩川正十郎先生が

「国民年金だけで議員は生活できると思うか?」と質問された際に「ほんなん、できるかいな。ぼくら(議員)はあんたら(国民)と生活のレベルが違うやないか!(毎月)100万かかるよ。みんな、人間平等だと思っていたらとんでもない間違いだ」と発言している

https://ja.wikipedia.org/wiki/塩川正十郎

そうなのだけれど、逆に言えば国会議員に「私は清貧ですから国民年金だけで十分生活できますよ。節約、節約」と言わせてはいけないのである。無税国家の預金通帳の額を増やさせるのではなくて、日本で稼いだ金は日本で使ってもらわないとどうにも経済が回らないわけである。

そういう意味で言うと、単身のデイトレーダーも新自由主義では好ましくない存在であろう。ガンガン儲けているデイトレーダーが高級車に乗って毎日フランス料理のフルコースでも食べて日航のファーストクラスでガンガン旅行でもして高級ホテルを利用しまくるならそれでもいい。けれども、中古の自転車に乗ってカップラーメンばかり食べて引きこもりの生活を送りながら、ひたすら預金通帳の額が増えてゆくのを楽しんでいるようではいけないわけである。

司馬遼太郎の小説だったかもしれないが、幕末に勝海舟が低い身分から抜擢されて二千石の大身に取り立てられた時、周囲の人達は衣服を高級な裃に新調させ、屋敷も大きなものにし、家来も十人ばかり雇わせたそうである。そして「これが二千石の格である。」と言ったそうである。

新自由主義にすると、勝ち組負け組の差が激しくなるので勝ち組はきちんとお金を使って周囲に恩恵を施さねばならない。

現代で言うとzozoの人がやったことは新自由主義の勝ち組のやるべきことに近い。彼は何十億の豪邸を作り、ロケットで宇宙旅行に行く予約をして、Twitterで気まぐれに百万円(だったか)をプレゼントする企画を立てたのである。左派リベラルなら「ぐぬぬ、プロレタリアート独裁万歳!マルクス万歳!」と涙を流して復讐(?)を誓ったかもしれないが、ああやって散財することが新自由主義を継続してゆくためには重要である。



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