緊急事態と国民の自由の制限について

これ、「緊急事態の時には国民の自由が守られない」と言うのは当然で、平時は国民の自由を最大限守る義務が国家にはあるが、緊急時には国民の安全を守る時には国民の自由を制限しなきゃならないという目的で緊急事態法が制定されるわけである。

まあ、今回のコロナでは感染者の死亡率は1.6%くらいであった。つまり200人に3人くらい死んだと言うことである。季節性インフルエンザではこれが千人に1人位になる。

だからこそ、季節性インフルエンザは厚労省が5類に指定しているが、今回の新型コロナは2類相当に指定されているわけである。今回のオミクロン株は弱毒化していると言う話があるが、コロナも死亡率が季節性インフルエンザ並みになれば5類に変更してもいいのではないかと思う。

で、コロナが2類であれば1類は何かというと、例えばペストである。腺ペストは死亡率が50%くらいあるそうである。つまり感染したら2人に1人は死ぬわけである。これは中世に猛威を奮って流行し、中世ヨーロッパで人口が増えなかった原因の一つとも言われている。

最近、問題になっていた1類感染症はエボラ出血熱である。これはコロナが騒がれる前まで数年にわたって西アフリカなどで流行が続いていた。これにかかった人の死亡率も数十%と言われていて、流行した村で全滅したところもあるくらいである。

て、WHOも対策に乗り出していたわけであるが、流行が広がった一つの理由に村の呪い師がある。WHOや政府は流行地に病院を建てて患者を収容して治療にあたったわけだが、それで困ったのは村にいた呪い師であった。つまり、村の呪い師は特に詳しい医学的知識があるわけではないが、簡単な傷の処置をして、重病の病人は呪いをして死にゆく場合もそれを見送っていたわけである。ところが、村にエボラの患者が出ると、政府の役人や病院のスタッフがやってきてそのエボラの病人を運んで行ってしまったわけである。

困ったのは病人を取られてしまった呪い師である。彼らはそこで、その病人の家族達に「あのWHOは医者の姿をしているが、本当は悪魔だぞ。連れて行った病人を呪い殺して食べてしまうつもりなんだ」と吹き込んだわけである。驚いた病人の家族達は病院から自分の家族、エボラにかかった病人を強奪して連れて帰ったわけである。そして呪い師の下で祈祷をしてもらってこれで悪魔が祓われたと安心したわけである。

当然エボラは出血熱であり、ウイルスを大量に含んだ血を噴き出していたわけである。その血を浴びた家族も呪い師もエボラに感染し、その感染が村中に広がってついには村が全滅したと言うのである。

多分、これをみた「自分が文明人であると自認する高学歴の日本人」は、「なんて学のないアフリカ人だ、少しは勉強すればいいのに」なんて嘲笑するかもしれない。大丈夫。日本でもアメリカでも、今回のコロナワクチンについて、ワクチンを打てば不妊が起こるとか、ワクチンは殺人ワクチンであり打ったら死んでしまうとか、中に入ったmRNAが被接種者のゲノムに逆転写されてどうにかなってしまうという謎の説を真面目に信じ、このnoteでも大真面目に書いていた人が何人もいるはずなのである。

そう言う人は日本でも米国でも反ワクチン運動を繰り広げて、その中で感染した人が出て、重症化して死んでしまった人も出たはずである。もちろん、死亡率は1.6%なので98.4%の人は感染しても死ななかったはずである。「私は反ワクチンでワクチンを打たずに感染したが死ななかったぞ」と言う人もたくさんいるのが当然である。死んでしまった人がニュースになったのはそれが珍しいことだったからである。

で、本題に戻ると、「市民の自由を認める」とはこの「反ワクチンの自由」を認めると言うことに他ならない。幸い、今回のコロナは死亡率が1.6%で済んでいるので、反ワクチンが騒ごうとも大きな影響はなかったわけである。

けれども、もし日本でエボラ並みの致死率を誇る感染症が流行したらどうするか。その時にアフリカの村の呪い師みたいに「この感染症はイ○ルメクチンさえ飲んでいれば予防できるのだ、ワクチンなど不要!ワクチン接種を勧める製薬会社は悪魔の秘密結社だ!」なんて叫ぶ人が人々にワクチン接種を拒否させたらどうなるか、である。

空気の読めないサヨクやJリベラルは「はあ?日本のコロナで問題になったのは病院が入院させなかったからじゃないか」なんて言い出しそうだけれど、その手前でワクチン接種を拒否させれば患者の拡大が大きくなりすぎて、患者数が増えすぎると、いくら病院があっても足りなくなる事態も十分に考えられるわけである。大体、インフルエンザだって入院させない人の方がほとんどである。

もちろん、ハンセン氏病のように病原菌や病態が解明されて治癒可能になったのに、治療法がなかった時代のやり方を変えずにどんどん永久隔離し続けたのは間違ったやり方なのである。

けれども、だからといって市民の自由こそ重要と叫んで「村の呪い師」の自由を認めると、エボラ出血熱のような致死率の高い感染症の流行では村が全滅しかねないのである。この場合には村の呪い師の自由を抑制してでも感染の拡大を抑制して他の村人達の健康を守る方が正当化されるであろう。

特に感染症などについては相手もあることなので、国民の自由を原理的に守ることが必ずしも最適ではないこともあり得るのである。それが緊急事態ということである。

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