ちょっとした絶望

そろそろ高齢者層に感染が波及してくる兆しが見えてきたからかな。

人命か経済かって、若者だけの感染で高齢者が安全であればいうまでもなく経済をとっていたということだろう。まあ、若者は感染してもあまり死なないしね。

若者に感染が拡がればどうしたって高齢者層に感染が波及することは避けられない。そうなると、高齢者は重症化しやすいので不幸な転機を辿る者も増えてこざるを得ないだろう。これは理の当然である。

本来なら最初からそういうことは予測できているのだけれど、テレワークだって喉元過ぎればなんとやらで緊急事態宣言が終了するとさっさとやめたいのが日本人の本音であろう。危険が目に見えなくなったのだからハイリスクの行動をして何が悪い。それより経済再開だ。カネを稼がせろ。コロナなんて風邪みたいなものじゃないか。そう叫びまくっていた人たちが数限りなくいたのである。

そういう人たちは若者に感染が拡がっても「コロナは風邪みたいなもの。」と一切意に介さなかったのに、高齢者層、つまり、自分たちに被害が及びそうになるといきなり掌を返すのだろうか。ゲンキンだなあと思うこともあるが、そういうことって容易に予測可能だと思っていたのだけれど、この国の経済の指導層はそんな簡単なことも予測できないレベルだったのかと思うとちょっと不安大である。

そういう意味でいうと私はあのGo Toキャンペーンも継続すればいいと思っている。自分で「コロナは風邪みたいなもの」って言っていたのだから自分が感染してもいいじゃない。

他人には「感染しても風邪みたいなものだよ。死んでも自己責任。」と言っていた人が自分が感染するかもしれないという状況になるとあっさり感染防御に走るのはその利己主義を見て怒るよりもむしろ呆れてしまうよ。

老人たちの命の選別は「優生思想」だ!許さない!と叫んでいたサヨクの人もひょっとすると、若者の命を選別して殺してゆくことには何の躊躇もなく賛成するのではないか。それは確かに優生思想ではないかもしれない。それは戦争で特攻隊を煽った狂気の軍国主義思想というべきではないか。

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