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隠居

フェミニストや左派から蛇蝎の如く嫌われ、目の敵にされている家制度であるが、家制度の利点には後継の子供を制度として育む以外にも他の利点がある。それは隠居制度である。

1隠居とは

戸主すなわち家父長は無事に家督を譲るべき後継を育て上げると、一定の年限に到れば家督を若者に譲って自らは隠居することができた。隠居すると生活費くらいは少し出してもらって自由気ままな余生を送るわけである。

かの伊藤若冲も絵を描き始めたのは40歳で家督を譲ってからだというし、伊能忠敬もあの日本地図を描き始めたのは60歳になって、家督を譲った後だというのである。確かに60歳くらいであれば、まだ体も動く人が多いし、それまでの仕事を心機一転して自分のやりたい別の仕事をやろうという気にもなるやもしれぬ。何しろ、子育てという大きな仕事が終わっているのである。少しくらい自分のやりたいことをやってもよいではないか。

2熟年離婚と引退後の競走馬

今の日本の家族制度には家制度はないので、定年退職を迎えたおっさんはすることがなくて家でゴロゴロしているそうである。そりゃ会社一筋で生きてきて燃え尽き症候群だというかもしれない。そういう姿を見て、もしくは予想して定年を機に離婚する熟年離婚というのもあるそうである。

今の家族の考え方なら、父親、夫とは家族を養うために生活費を稼いでくるだけの存在であったわけだから、定年退職して家事もできず、家でゴロゴロしているだけのおっさんはもう利用価値がなくなったということで、真の意味で「粗大ゴミ」としてサッサとゴミ箱に捨てればいいじゃないというのはある意味合理的な考え方なのかもしれない。

競走馬のサラブレッドも競馬を引退すると、よほどの有名馬で種牡馬となる以外は大多数は殺処分されているわけである。

最近はクラウドファンディングなどで救おうという動きもあるようだけれど。

人間の場合は一応、積極的安楽死は禁止されているので、男はゴミ箱行きで、行方不明にしてあとは知らないという処理方法なのだろう。見なければ生きていても死んでいてもわからないという事になる。まあ、捨てられたおっさんもホームレスででもたくましく生きてゆく力があればいいけれどね。

3未婚の進む日本

そういうことを考えるとまあ、家制度を壊したのはいいけれど、問題はなにも解決していないわけである。新自由主義的方針もあって、男の非正規が増加して、結婚して家族を養える収入に満たない男性が増えたこともあるのだろう。女性の上方婚傾向も強固であるから、男でも低収入の人から結婚を断念している人が増加している。もちろん、女性の方も低収入の夫はno thank youということだろうけれども。

5年前で50歳での未婚率は男性で23%になってしまった。女性は18%くらいなので、男の方にバツ1で結婚した人が多いということなのだろう。本来は今年に調査するはずだけれど、コロナで延期になっているかもしれない。政府は「50歳以降で結婚する人もいるかもしれないじゃないか!もう生涯未婚率なんて言葉は使わない!」ってブチ切れる始末になっている。この生涯未婚率は今後、急激にめちゃくちゃあがることはないだろうけれど、男性では30〜35%くらいにはなるのではないだろうか。2015年の40歳時の未婚率がそれくらいだからである。

少数派のアセクシャルやアロマンスの人達は「私たち、結婚なんてしたくないんです」というが多分、マジョリティの女性はまだ結婚に希望を持っている。なんと言っても8割くらいの女性は結婚しているからである。多分、結婚に希望を失いつつあるのは男の方である。

ディストピアの世界ではしばしば、精子を購入して人工授精で挙児に至る未婚女性の群れを描きたくなるが、米国ではそういうビジネスも開始されているが、日本ではまだ違法である。なんのかんの言っても日本は保守的なので精子ビジネスが解禁されるのはずいぶん先になりそうな気はする。

いずれにせよ、これからは多くの男が結婚戦線から自主退場し、一部のステディな幸せな家庭は残るが、アクティブな男がバツ1バツ2で複数の女性と時間差をつけて婚姻、離婚し、結果的に多くの女性がシングルマザーとして子育てをする一方で、結婚戦線から自主退場した非モテ男たちは税負担増を拒むため、シングルマザーへの財政的援助は増えないままになるか、今後の高齢化の進展に伴う高齢者福祉の負担増に奪われてむしろさらに減らされるかもしれない。このように、左派やフェミニストたちの願う、望む方向に向かえば今後の日本は一部の人たち以外の多くの人たちは幸せになれない世の中に向かいそうなのである。

4家制度の復活について

それならばいっそのこと、家制度を復活させるのはどうだろうか。そうすれば、まず若者、子供を育成する意味が与えられる。社会にとって子供は今のようにお荷物とか厄介なもの、無駄なものという風には捉えられなくなる。若者は今のように単なる歯車、労働力ではなくなって、将来家督を継ぐ重要な人物ということになる。

老人は粗大ゴミではなく、隠居として自由な立場を持てるわけである。もちろん、祖父母と孫は一つのファミリーを形成するので祖父母が父母世代を助けて孫の世話をすることにも一定の合理性が出てくる。

じゃあ次男坊、三男坊はどうするんだ、家督を継ぐこともなく財産ももらえるアテがなくなるじゃないかという意見も出るだろう。そういう時には養子縁組である。後継のいない家に養子として入って後継となればよいのである。

少子高齢化のこれからの日本では独居老人の増加が問題視される。今でも独居老人のケアには行政が苦労していることであろう。予算も人員もない中で大変な話である。これも、後継がいれば独居の状況が減るので役所の負担も随分軽くなることであろう。

無論、個人主義を唱え、大きな政府、つまり税金を政府がたくさんとって、そのお金で家族がいなかろうが豊富な資金と人員で各個人をケアできるならそれでも構わない。けれども、日本では新自由主義が盛んで、自分だけは特別にケアしてほしいが、ほかの奴等などどうでもいい、税金も払いたくないし、公務員もどんどん減らせ、という奴らばかりである。そういう社会では個人を無防備に放り出してしまえばどんどん死ぬだけである。個人は脆弱である。強くあるためには集団にしなければならないのである。

5小さな政府と自助・共助・公助

集団にする時に一番基礎になるのは家族である。家族を大きくして外敵に当たれるようにしなければならない。この外敵とは攻めてくる敵ではなくて、一般には貧困や不景気である。政府や行政が助けない分、家族で身をより合わせて寒風に耐えてゆく必要がある。そこで足りなければ共助である。つまり、地域社会で助け合う必要がある。隣に住んでいる人の顔も見たことないでは困るわけである。ある程度プライバシーの共有もやむを得ず、お隣とおかずのやり取りもせねばならないのである。下の赤ちゃんが熱を出した!という時に上のお兄ちゃんは両親が救急病院に赤ちゃんを連れて行っている間、お隣のおばちゃんの家で大人しく待っていなければならないのである。それでもどうにもならない時、例えば今回の大雨で堤防が決壊した時などに初めて行政の救助が重要になってくるわけである。これが自助、共助、公助であろう。

そこまで民の領域で対応しますから税金は無しにしてくださいというなら話としてはわかるのである。今は税金は減らせ、政府は個人の面倒をもっと見よ、という意見が左派リベラルの大勢を占めているではないか。そんな都合のいい話が継続するわけないのである。

今後、現役世代の減少と高齢者世代の増加がますます顕著になることは日本ではほぼ確定している。しかも、国民は個人主義を勘違いして、自分だけに特権をよこせ、自分以外は奴隷にしてもいい、というわけである。個人主義の推進のためには国民の財産を国に集めて国が再分配して使う必要がある。けれども、国民はそれには反対で小さな政府がいい、税金減らせというわけである。自分たちがなにを言っているかすらわかっていないのであろう。

むしろ、家制度を復活させ、若者世代が隠居の高齢世代を支え、政府がそれぞれの家を援助するという形にする方が高齢者をしっかりと支えられるのではないだろうか。


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