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毒親

昔の話をするともう老人であるが、今のサヨクはエゴイズムに過ぎるのである。「自分の周りにだけ理想的な人がいてくれればそれでいい。私の見えないところではどうでもいいからうまく世界が回るように各人奮闘努力してくれ」というアレである。

例えばフェミニズムについても、昔の(失礼)フェミニストは「結婚なんて牢獄だ、フリーセックスでなにが悪い」と叫んでおられたわけである。意見は違うが論旨一貫している。

ピル解禁もその理屈では同意しないが理解はできる。右派としてはSTD蔓延防止の観点から反対するが、それは意見の違いであって、多様性と言っていい。

最近のフェミニストは「男が女性を性的に見ることがいけない」という。それなら男のいない女性だけの世界とかそもそも周りに人のいない山奥とか原野で暮らせばいいじゃない、って思うわけである。そうすると、「そんなことを言って!女性の生きにくさがわからないんですか?エロ親父どもの生息する社会で生きなきゃいけない女性の苦しみをわかってください」というわけである。

実際わからんのである。

こういうおっさんを強制収容所にでも入れて「きれいなニッポン」を実現すれば良いのだろうか。それってナチスのやったこととあまり変わらないけれど。

あとは、「私は毒親に育てられたので私が無茶苦茶言ってもそっちが我慢してください」という人。某先生が毒親という言葉を広めたからみんな使っていると思うのだけれど、多分、その先生の意見は「毒親から自由になって自立して強く生きよう」というのが趣旨だと思うのである。「私は毒親に育てられたかわいそうな子だから私のわがままを聞いて、依存させて」というのはちょっと違うと思うのである。そういう人はネットに書くよりも、まず心理カウンセリングにでも行って治療を受けたほうがいいのである。


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