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懺悔輪舞曲のレビュー:プレイヤー体験を再考すべき作品

マーダーミステリーの総合的な評価のメルクマールとして「プレイヤー体験の濃淡」があります。
参加者全員が数千円を支払う公演型では特に気を遣うべき点のはずですが、「懺悔輪舞曲」は残念ながらプレイヤー体験に大きな幅があり、何なら半分くらいのプレイヤーキャラクターが最低限保証されるべき基準に達していません。
犯人探しや推理自体は十分に商品レベルの高いクオリティではあるものの、プレイしたキャラクター次第で満足感があまり得られないまま終わってしまいます。

制作側の意図としては、論理的な推理による犯人探しと全員が関わる一つの物語を体験してもらいたいのでしょうが、物語の体験とそれによる没入感や情動を感じられるのが一部のプレイヤーに限られてしまっています。

「プレイヤー体験の濃淡」というのは犯人探しやストーリーにきちんと関われているかどうか、プレイヤーが疎外感を感じないかどうかです。
いわゆるバッファーキャラ(プレイ人数が可変の場合にプレイヤーが少ないとNPC扱いになるキャラクター)が「淡」になることが多いのですが、必要十分ではありません。バッファーキャラであっても濃い体験のこともあれば、バッファーキャラでなくても淡のこともあります。
もちろんキャラクターごとにバックグラウンドも違えば、ゲーム的な配役(犯人や探偵ポジションなど)も異なるので、主人公的な扱いのキャラクターとそうでないキャラクターが出るのは致し方ありません。プレイヤー体験とそれによる満足度が違うのは理解していますが、主人公でないにしても視点人物ではあるべきです。
勇者ではないにせよ勇者一行の戦士や魔法使いといった仲間なのか、はたまたサブクエストの登場人物なのかでは、「村を出てから魔王を倒すまでの勇者の冒険譚」におけるそのキャラクターの位置づけに大きな隔たりがあります。

ナラティブをあまり重要視していない作品であれば濃淡は生まれづらく、疎外感を強く感じることもありません。
しかし本作では没入感を高めるためにナラティブを重視したことが、かえって仇になっています。
自分以外の参加者が物語に感動している、あるいは推理で快感を得ている中で、自分だけが取り残されているからこそタチが悪いのです。みんなは名作だと盛り上がっている感想戦で水を差すこともできず、プレイ後にも疎外感を感じることになります。
本作の場合は疎外感を感じるプレイヤーの方が多いのですが、満足度が高いプレイヤーも存在しています。その中で公言できるのはよほど自信がある人だけでしょう。

さらにいえばゲーム終盤に用意されている仕掛けが画蛇添足です。
制作者の狙いによると、すべてのプレイヤーが主人公だと感じてもらったかったそうですが、唐突感しか感じられませんでした。
またキャラクターの心情に沿うとその行動を取る必然性がなく、「エモさの押し売り」でしかありません。
率直に言って「ほら、この演出はエモいでしょ。みんな感動してね」という意図が透けていて興ざめです。

ただし「懺悔輪舞曲」は完全な駄作というわけではありません。
犯人探しというマーダーミステリーの根幹、そして犯人を探すための導線という点ではは申し分ありません。証拠は十分に提示されていますし、論理的に犯人を見つけ出すことができます。

マーダーミステリーには推理、没入感などさまざまな要素があって、それがほかのゲームにはない魅力を生み出しています。
それだけにどれか1つでも欠けると作品全体の評価を棄損してしまう難しさを感じる作品です。
そしてプレイヤー視点では、一度しか遊べず、配役も選べないので、当たりとはずれで満足度が大きく上下する博打のような作品は遊べないというのが単刀直入な見解です。

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