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「お母さん苦しそうだけど僕は何もできないからせめて同じ苦しみを味わって分かってあげるね」

はいこんにちは~。
「世界中で一番あなたの孤独を分かってあげたい。顔で笑って心で泣いているあなたに。」
カウンセラーなすたかひろです。

自分を縛る鎖が欲しい

罪悪感は自分を縛る鎖です。
窮屈なので無理やりに収まってる感覚は与えてくれますが、開放感、自由を与えてはくれません。
ギプスのようなものですね。
罪悪感があると自分を罰する気持ちが強くなるため自分が幸福を感じられない状態にしたり、幸せから自分を遠ざけたりします。
「私には関係ないわー」って思ってるあなた〜。
罪悪感は自分を縛る鎖なので、自分の幸福も縛ります。
全く感じなくさせるというよりは大体70〜80点くらいの幸福にセーブさせる感じ。
物足りないけどしんどくはないぐらいですね。(この時点で本当はしんどいんですが、罰せられるべき私はこの程度で充分と自分を納得させうる点数でもあります。)
だから「なんか知らんけど物足りんな〜」って日々を過ごしてる方はホントは罪悪感まみれかもしれません。
まあでもみんなが等しく持っている感情であり、持っているのが普通です。

罪悪感が生み出す行動

ごめんなさいって感じたら、やりたくないけど相手の機嫌をとりにいったりするでしょ?
申し訳ないなあ…っていう穴埋め。
これは補償行為。
許してくれたらホッとするけど嬉しくはない。さらに罪悪感から自分がやりたくないことをやっている。

もう一つは犠牲。
「やりたくないけど相手のいうこと聞いとくか…。」っていう我慢。
要は自分を後回しにしてる状態ですね。
やっている行動はとても献身的で尊いのですか、本人には喜びが伴ってない。

なすのもっている罪悪感

さて、ここでタイトル回収していきましょう。
なすの持っている罪悪感。

「お母さん、助けてあげられなくてごめんなさい」

なすはずっと誰かを背負ってきました。
最初は母親。
次はネットの友達。
高校で出会った元カノ。
今の彼女もですね。
クライアントまで背負おうと頑張っています。
現在進行形。
他にもまだまだあるよ。
両親の期待。クライアントからの期待。会社からの期待。
期待ばっかりですね笑笑
まあ期待って背負う物なので仕方ないです。
皆さんも多分たくさんあると思います。
読んでくれてる方も一旦立ち止まって考えてみませんか?
書いてみるのもおすすめです。
自分がどれだけ背負ってるか。
こういう記事見てくれてる方ってたくさん背負ってると思います。
お疲れさま。
で、背負っている今、心の底から幸せだと思えますか?
むしろ窮屈じゃないですか?
潰されそうになってませんか?
大変ですよね、背負うって。

なんでなすは色んな人を背負おうとしたのでしょうか。
母は苦しい人でした。
我慢や犠牲を繰り返し、自分を抑えて他者を優先させる人。
「お母さん幸せなのかなー?」ってずっと思ってました。
今でも思ってます。
子供ながらに助けてあげたいけど助けてあげられない歯がゆさ。

「お母さん、助けてあげられなくてごめんなさい」

この言葉はずっと感じながら生きてます。
言語化できたのはほんの1、2時間前ですけどね。
できたてほやほやの言葉です。
ホヤって美味いんですかね?
食べたことないから誰か教えて笑笑
閑話休題
「助けてあげられなくてごめんなさい」という感情はどんな感情ですか?
罪悪感ですね。
もし、あなたの目の前に大切な人がいて暴力を受けているとします。
あなたは何もできないししてあげることも出来ません。
どうしますか?
なすには、同じところを傷付けて苦しみや痛みを分かってあげることしか出来ませんでした。

‪「お母さん苦しそうだけど僕は何もできないからせめて同じ苦しみを味わって分かってあげるね」‬

つまり、母のように我慢や犠牲で母の痛みを分かってあげようとしたんですね。
我慢や犠牲を通して母と繋がろうとしていたともいえます。
子供にとって母親は世界で一番大事な存在です。
そんな人が苦しそうにしているのに何もできないなら自分を傷付けることなんて当たり前のことだと思います。
親はそれを望んでいなくても、子供は望んで自分を傷付けるくらい親のことを愛しています。

苦しそうな母親を放って自分だけ幸せになれますか?
「私だけ幸せになることなんてできない」って思いますよね?
だって自分が幸せになってしまったら母親の苦しみを分かってあげられる人は誰もいなくなってしまうから。
母親を背負ったら次はどうしましょうか。
人生は止まることなんて無いので色んな人と出会いを果たします。
その中で苦しそうな人と出会うと母親への罪悪感が騒ぎ出します。
「おい!あいつも苦しそうやぞ!!お前が見捨てたら誰も苦しみを分かってやれるやつはおらんのちゃうか!!」
はいまた背負いますね〜。
そうやって一人また一人と背負う人が増えていきます。
重すぎて動けないんですけど、這いつくばってまでその状態で前に進みます。
そんな人が幸せになれるかなんて想像に難くないですよね。
そんな時に心理学と出会います。
思っちゃいましたね。
「これで皆を救える!!わいはなすや!!カウンセラーなすたかひろや!!」
このネタ分かる方、お年を大分召してるようで…。
こんな状態で出会う心理学なんて、そんなん蜘蛛の糸だし暗闇に差す一筋の光のようなものですよ。
「これしかない」って思いました。

でもどれだけ心理学を学んで誰かが救われても、同じ数だけ背負う人がやってきます。
どうしてこうなってしまうんでしょうか。
「自分だけ苦しみから解放されたらお母さんの苦しみを分かってあげられる人は誰もいなくなる!!」っておもったらどうします?
自分がどこにも行かないように縛り付ける鎖が必要ですよね。
だから背負う人達を鎖にして自分をどこにも行かせないようにアンカー(錨)にするんですね。
「僕はここにいるからねー」って。
時には心理学を鎖に使ったりも。
すべては誰かを背負うために。


カウンセラーなすたかひろはこうして生まれました。
そして今でも思っています。
「誰も救えないのに自分だけが幸せになるなんて絶対出来ない!!」
分かっています。自分を幸せに出来ないカウンセラーがクライアントを幸せになんて出来ないことは。
でも一緒に悩んで一緒に答えを見つけることは出来ます。
「絶対出来るから!!大丈夫やからとりあえずやってみよし!!出来んかったらそのときは一緒に考えよ!!また会いにきてや!!」って背中を押すことも出来ます。
なすの願いは「ただ周りの人を幸せにしたい」ってコトなんです。
これからもよろしくお願いします。

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また僕に会いに来てください。
「世界中で一番あなたの孤独を分かってあげたい。顔で笑って心で泣いているあなたに。」
カウンセラーなすたかひろでした。

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