見出し画像

ハチャメチャな男だった祖父の思い出

以下、SNSで投稿した文章を修正して再掲しています。
友人が「今まで出会ってきた変なおじさん」についてブログに書いていて、
それに触発されて書いたもの。
いろいろ優しいコメントを頂いて嬉しかった!


私の出会ってきた変な人間たちを思い返してみると、
電車でお金渡そうとしてきた酔っぱらいおじさんベロベロ丸とか
私がティッシュ配りのバイトしてる時に「頑張ってるねえ姉ちゃん、ラーメン行こうぜ!」って誘ってきて
「俺についてきな……」という感じで颯爽と店まで歩いていったおじさんとか
(私はついていかなかったので、おじさんは一人で颯爽と歩いていた)
色々いるけど、一番印象深い変な生き物は、うちの祖父だな~と思う。

若い頃はイケメンだったらしく
(当時の写真見せてもらったけど、切れ長の目で飄々としたプレイボーイという感じでひっくり返った)
もうおじいさんになっているにも関わらず、そんなことはお構いなしに、
女性を見るとよく「お嬢さん綺麗だね、どこ行くの」と口説いていた。なんなん?
母や祖母が「おじいちゃん!!やめて!!」と静止しても聞かなかった。
祖父いわく「きれいな女性は口説かないと失礼」とのこと。なんなん?マジで。

今思うと祖父は加害ヤバおじだったのかもしれないな……と思いつつ、
身内の贔屓目ではあるが、女性を不快にさせるような絡み方をする人ではなかったんじゃないかな、と思う。
なんというかカラッとしていたし、本気で女の子になにかしようという気はなく、気さくな人だった。
ただ都会の現代人基準で考えると距離感がバグっているだけ、かな……???
いやどうだろうな……。不快な人はいたかもしれないな。すみませんでした。

前述したラーメンおじも、祖父のような人だった可能性があるのかな。どうだろう。
ちなみにラーメンおじに不快さは感じなかったよ。ついてはいかないけどね。

以前、うちに何かの営業にきた新入社員の女性がいたのだけれど、
祖父も会社で長く営業担当として勤めていたから、
彼女を家にあげてお茶を出して、縁側でなにか仕事について話し込んでいた。
あの時、新入社員さんはどう感じていたんだろうな。
嬉しかったかもしれないし、「なんだこのジジイ」と迷惑に思っていたかもしれない。
ただ祖父としては親切心というか、老婆心だったろうなと思う。

でも家族に対しては、全くの別人だった。
毎日、昼から酒を飲んでいて、よく暴れる人だった。
常に悪酔いベロベロ丸なので警察呼ぶ事態になったこともあった。
警察を投げ飛ばしていた。やめて。うちの祖父が本当にすみませんでした。
(この件に関しては本当に確定で祖父が加害者だから、
身内だからといって、加害者をかばうような、懐かしむような日記を書くことに申し訳なさもある。
ただ、私のブログなので……そのあたりは多めに見て欲しい。でも本当に申し訳ない)

私は祖父にたいそう可愛がられていて、小さい頃は祖父にとても懐いていた。
いつも和服を着ている人で、抱っこされたときの着物の匂いがとても好きだった。
という時代もすぐに過ぎ去り、私以外の家族にはあたりがキツイ祖父をすぐ嫌いになっていった。

そんな祖父の葬式の時、
母と祖母は「キツイところもあったけど、根は優しくて家族を守ってくれるいい人だった」と泣いた。マジで???
そんなん私聞かされてないんですけど。

母と祖母は祖父の色々な面を知る機会があったのだろうけど、
私にはあまりなかったし、
母や祖母が「じいちゃんマジでクソ」という愚痴をそのまま鵜呑みにしていた。

死んでからそんなこと言うなんてちょっとズルじゃない?
そんなわけで私だけ彼のために泣くことができなかった。

葬式に集まった親戚や、祖父の会社の人たちが、
みな口を揃えて「面倒見のいい人だった」と言う。
祖父は誰よりも早く会社に行き、掃除をして、花瓶の水を取り替えている人だったらしい。
祖父の後輩にあたる人が、「本当にお世話になった」と言いながら号泣していた。

そうなのか。
そうなんだな~。

祖父はよく、会社の人などを家に招いて宴会をしていた。
小さかった私は酒をつぐ手伝いなどをさせられて、
客人たちに可愛がられることもあったが、子供は苦手なんだよなあ~と言われて傷つくこともあった。
あんまり好きなイベントではなかった。
でもあの時、招かれた人たちはみんな、笑っていたなあ、と思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?