学校を『家庭の用事』で休むこと

職員室の雑談。学校関係の人でなければ、どんな会話がなされるのかイメージが沸かないかもしれません。「ナカの人」として感じる事は、異動して別の学校に行っても、その多くは似ている、ということです。

やはり生徒に関することが多いです。活躍した、といういい話の場合もあれば、そうでないことも。また「雑談」といっても、その事が積み重なってその後の生徒への指導、支援につながる情報限になることも多いです。

時折話題になるのが、『この間の部活の試合、○(生徒名)は家の用事で出なかった』というもの。昔なら、運動部でそんなことはあり得ない、という空気感でした。私の主観になりますが、現在、教員の中でも、このご時世だから『それも仕方ない』というのが増えてきたように感じます。積極的に『家族の方が大切だから当然』というのは、まだ少数派かもしれません。

まして学校の授業そのものを『家庭の用事』で休むことは、まだまだ先生方の中では(否定的な立場で)『あのウチ、私用で休ませるんだよ』という扱いの場合も多く感じます。その根本には、休まない事が立派だ、という発想があるのでしょう。それが具現化した象徴が、皆勤賞だと思います。

しかし最近、愛知県で「ラーケーション」という制度が始まったようです。
https://www.nagoyatv.com/news/?id=020595
これは年間数日間、事前に届け出れば私用で休んでも欠席とはしない、というもの。ラーニング+バケーションの造語で、家庭でのそうした休みの中でも学びになるものがあるから、という趣旨のようです。
私は、これには賛成です。もちろんそのための要件や配慮など、やらなければいけないことはあります。休んだ分の自分や周りへのフォローは基本的に自分で行うことなども、子どもに教えていく必要があります。しかしその上で、年間○日と明示的に休んでいいというのを制度化したことは大切だと思います。それは大人の働き方の意識にもつながっていくのではないかと考えるからです。
社会人になって雇われの身になったとき、年次有給休暇を付与されます。しかし実際には、なかなか使いにくい雰囲気を感じます。それは学齢期に『休まない事がエライこと、当然のこと』と刷り込まれているからではないか、と思う事があります。とすれば、大人になってから急に「自分の都合で休んでもいい」と考え方を変えるのは難しいのかもしれません。そこに風穴を空けることができるのではないか、と考えるからです。
年休については、働き方改革により最低◎日取りなさい、とまで言われる時代です。しかし、こと学校で見ていると、年休を取っているはずなのに学校に来ていて、『今日は幽霊だから』などと冗談話をしている方もいます。しかし休みは休みで学校外に出て、知見を広げたりするのも大切なのでは、、、と、私は思いながらその冗談を聞いています。

ただそんなことを考える私でも、中学3年の1月頃から連続して『しばらく休みます』(=受験対策で自宅学習や塾へ行く)と聞くと、もやっとするのは何故でしょうね(笑)


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