夏へのトンネル、さよならの出口
夏を代表する自然現象は数多くある。
豪雨や雷といった名前が有名で万人が想像しやすいものから、入道雲のぶわーっと出る感じや、蒸し暑さのなかで流した汗を冷やす温い風、花火大会の後の硝煙が残る煙たさといった、固有名詞の無いものまで。
その時の匂いや感触や肌の感覚が、感情と強く結びついてくる季節が、夏なのだと思う。
『夏へのトンネル、さよならの出口』は、いかにも季節を感じるための、夏にこそ染み入る映画だった。
予告編はこちら。
一言で表すなら、この映画は「陽炎」だった。
ひと夏の暑さにより、ゆらゆらとゆらめいて、混ざり合い、屈折したものを見せる。まさにそんな映画。
ざっくりと話の流れを追うと
主人公の塔野は最初から陰を抱え、朴訥な話し方で淡々と達観したかのような顔で過ごしている。そこに転校生として彗星のようにヒロインの花城が登場する・・・
そこから始まるのは僅かな日常を挟んだ二人の逃避行。
入ると時間の進みが遅くなるウラシマトンネルをめぐり、お互いの人生に大事なものを取り戻すため、二人は探索と冒険の日々を過ごす・・・
悪友に茶化されるながら、図書館、水族館デート、花火、夏祭りを楽しみ、その中で主人公はヒロインとの違いに気づき、彼女とは決別をして、自分が忘れられないもの、亡くなった妹を探しに行く。
二人の関係性が徐々に変わる機微や、舞台設定の切なさなど、映画として綺麗な作品であった。eillのクリアな歌もあいまって、ひと夏の逃避行として恋に気づき、愛を知る。
・・・え? 「なんか歯切れが悪い」「あらすじを語っているだけだ」って??
いやいやいや・・・・ねぇ。
※以下、あの国民的大ヒットになったアニメ映画のネタバレを含むので注意してください。
この作品、生まれた時代が悪かった。
これに尽きる。悲しいが・・・相手が悪い。
映画のスケール、音楽のお金のかかり方、ネームバリュー、複線の張り方、カメラワーク、テーマ・・・
これが、悲しいが『君の名は。』に負けてしまう。
これはもう・・・ドンマイとしか言いようがない。
なぜ自分がそう感じたかというと、作品の仕掛けとして大きいテーマが
「変えたい過去を受け入れて前に進む」
「愛に気づく」
「相手を見つけること=愛」
といった、テーマが、作品が大事にしている思想が被っている。
※参考の過去記事。少し『君の名は。』について語っています。
もちろん全部がすべて同じではないし、違う見どころもある。
ヒロインである花城が徐々に表情豊かになっていく姿に心奪われる甘酸っぱさもあるし、女性ボーカルの歌による切ない気持ちを感じられる。
ひと夏の爽やかさで撃ち抜く爽快感があるかと言うと・・・最後はヒロインと再会できるのだが、ズレた時間はズレたままなのだ。
妹のことを想い、父親の暴力や再婚といったショッキングな出来事には解決できないまま、時が過ぎてしまい、その上でエンドロールを迎えるのだ。
映画のストーリーとしては非常にビターで、
「ヒロインでは主人公を救えなかった」
「ヒロインを待たせ、苦しめてしまう時間があった」
「主人公とヒロインの人生の距離は遠くなってしまった」
もうこのあたりが・・・物語としてはきれいなハッピーではないのである。
ウラシマトンネルはきっちり、主人公を浦島太郎にさせた。
でもこれは主人公とヒロインの思想の違いからすると当然ともいえる。
主人公はずっと過去(=妹が死ななかった世界)に救いを求め、
ヒロインは新たな未来(=新しい才能)に救いを求めているのだから。
こうなると、ひと夏を共に過ごしている二人でも、生きている世界が違う。
それはもう、世界が交わらなくなってくるのだ。
時折、窓の外で飛行機雲が綺麗に伸びるのだが、徐々に別々の方向を向き始めてくるのがわかりやすい。
そらもう、人生の進みも活きる世界も変わってしまうさ。
貰った傘も錆びてしまうよ。
かろうじて開いて相合傘をできたけれど、その先に二人の未来は・・・求めていた姿かい? とは投げかけてしまいたくなる。
冷静に考えるとなんとも残酷だが、世の理や思想に近いラストと言わざるを得ない。世界の終焉が懸かっていないという意味では違うが、作りとしては非常にセカイ系に近いものになっている。
自分の引き出しの中では『HELLO WORLD』が割と近い。
ただなんか切ないですねえ。総じて。
舞台設定として夏はとても良いと思うのだけど、陽炎のようにつかめなくて、故人に思いをよせた主人公は、しっかり世の流れに追い越されてしまっているのがね。切ない。
「未来で待ってる」ヒロインをさ。
本当にちゃんと未来まで待たせるんじゃないよ、男子。
と、青春を終えた31歳のおじさんは思うのでした。