ブレードランナー

どこからどこまで人間ですか?
どこからどこまでを動かなくすると、命を奪った罪に問われますか?
ここまではただの器物損壊で、モノを壊しただけですか?

こんな問いを考える世界は、もうフィクションじゃないですよ。
ブレードランナーの製作は1982年、舞台は2019年で、現実はもう2022年です。

「いやーAIモノ好きなんだよね~」と語った際に、「観ておけ!」と飲み会の度に数回言われていましたが、ようやく手をつけることができました。

有名作なので不要かもですが、予告編はこちら。


これを語る上で難しいのは、「すでに数多の既存作品の下敷きにされている」という点。設定、描写、ストーリー展開などは古典として使い古されているので、既視感を無視しては観れなかったです。
(現在ビートルズを聞いて「このメロディやコード進行、聞いたことあるわ!」って思うのと同じ)

で、これの更に下敷きにはアイザック・アシモフのロボット三原則の話があって・・・
それを克服するための仕組みとして、ブレードランナーの世界では処置がされていたり(記憶に時限があるのはレプリカントに哲学させないため)する。
ロボットに哲学させたらどうなるん!? って方は『われはロボット』のReasonを読むと面白いですよ。哲学をさせた人工物は厄介です。

こんな感じで、設定の背景や思想についてはかなり深掘りできそうだし、それを「させたい」と思って作ったんだなと感じるところは多かったですね。

「結局、ここってどうだったの?」
という疑問が残って当たり前というか、その余地も楽しむまでが、この映画の魅力だと思う。
その分、感傷的になれる部分は少なく、全体を通して味気なく感じてしまったのは否めなかった。誰も深層を突いてくれないし、劇中にある理不尽さややりきれなさは放置されたまま終わる。
もっと感情的に振り回されながらAIモノが観たい!という方は、ぜひ吉浦作品を観ましょう。

作品単体で観ると、中盤くらいから追いにくくなったのが正直な感想。ちゃんと観ていたはずだけど、いきなり街中でチェイスを始めても最初は理由がいまいちわからなかったり、写真の人物や楽譜の曲名については何も語られなかったりする。

う~ん。これを楽しむためには教養がまだまだ足りないのか?

ただ個人的には、何の前提知識がない人も、造詣の深い人も楽しめるのが超一流だと思うので、引っかかるところもあり。
古典には敬意を示しつつも、現代の最高打点とはまた違うなと思ったのでした。

万人観ろ!って感じではないです。
今ならもっと観やすくて感情的にもなれる作品はたくさんあると思う。


全体通して思ったけど、いま観ると教科書的な見方になっちゃうね。
こう見せるんだ~とか、これってここに続いてるな~とか。
現代っ子なので、漢字ネオンが輝く雨の街は「攻殻機動隊だ!」って思っちゃいましたし。おそらくブレードランナーが先なんだろうけど、どうしてもね・・・。

久々の映画としては、難しいものを引いてしまった・・・というのが正直な感想。
指慣らしとして文章は一応書いたけど・・・次はもっと感情を乗せられる作品を狙おうかな。


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