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【世界考察27】数学でつまづく単元

今回は高校数学でつまづく場合について考えてみたい。

高校数学(主に学校の授業)で最初につまづく人が多い単元は、絶対値や二次関数の場合分けではないだろうか。集合とかその辺も怪しいが、集合は単元自体は深いものの、授業レベルの問題演習がそこまで深くないので、ひっかかるイメージはない。ベクトルも概念が新しいので意外に引っかかるが、そこまで行ける人は、つまづいて終わることもないだろう。大学入試の単元的に難しいのは整数と確率と複素数平面が筆頭だと思われるが、学校の授業レベルでつまづくほどの難問は出ないように思う(複素数平面はどうだろう。まあ数3まで行ってるならもはやつまづく云々の話ではないか)。

絶対値や二次関数のような場合分けの概念は、中学校ではあまり出てこない。場合の数を数えるのは中学校でも出てくるだろうが、これは場合分けとは多分違う。高校で出てくる場合分けは、引っかかる人が多いように思う。ここで引っ掛からない人は高校数学をなんとか乗り越えていく、引っかかった人は高校数学は諦める、というのが個人的な雑感だ。引っかかる人が多いということは、場合分けは人間が平均的に得意ではない作業である、と言い換えられる。人間は平均的に飯を食うのは得意であるので、飯を食うのが苦手な人は少ない。

場合分けの能力とは、この場合はどうなるか、あの場合はどうなるかと、条件に応じてあらゆる可能性を検討していく作業である。想像力と言い換えてもいい。この能力は、日常的な想像力にも結構結びついているように感じている。この人はこういう条件の場合はこうなるのか、この条件がない場合はこうなるのか。人間の多面性を想像すること、人間の複雑さを理解することも、場合分けの一種だと言える。おそらく小さい子どもはこの能力があまり発達していない。小さい子どもには善悪はっきりしているコンテンツが好まれるのもそういう理由ではないか。個人差はもちろんあるだろうが、人間が立場という条件によって場合分けされていくような想像力が発達していない。少なくとも、私個人を思い返すとそうだった。人間に生来備わっている能力ではないゆえに、苦手な人が多いのではないか。

当然、世界の可能性を想像することは、数学の場合分け以上に複雑である。しかし複雑な世界を理解する前に、シンプルな脳内モデルを考えことは、ガリレイが生み出した素晴らしい手法だ。まずは単純な場合分けを学ぶことは、人間の想像力を鍛える意味で、非常に重要であると思う。とはいえ、人間の脳構造は人によって異なるので、数学の頭の使い方とは全く異なる方法で、世界の可能性を想像する人間もいるに違いない。



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