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【世界考察15】因果とは何か/エビデンスを示せ(笑)

●因果とは何か

○○と△△に因果関係はあるのか。よく聞く言葉である。因果関係と相関関係を混同してはならない。これもよく聞く言葉である。どこか空虚に映る。原因があって結果がある。厳密な関係を、因果関係と呼ぶ。厳密な関係。そんなもの、本当に存在するのか。絶対に正しい因果関係は存在するのか。現実に存在するのか。ない。因果関係と相関関係の違いとは何なのか。現実には相関関係しかない。因果関係とは何か。我々の頭の中しかないものである。ああすればこうなる。そんなものはない。あると思い込むことはできる。人間は思い込むことで生きている。

●エビデンスを示せ(笑)

エビデンスもよく聞く言葉である。根拠、証拠。なんと呼んでもいいが、因果関係が存在しない以上、厳密な意味でのエビデンスも存在しない。物体は運動方程式に従う。これはただの実験事実だ。厳密な因果ではない。いくらデータを示しても無駄である。統計は因果ではない。科学はそれを原理と呼ぶ。原理は証明できない。なにか知らんが、成り立つ(と仮定する)事実である。宗教と何が違うのか。思ったよりも違いはない。

エビデンスがなければ主観に過ぎない。これもよく聞く。それってあなたの感想ですよね、というやつだ。心配せずとも、この世には感想しかない。現実に因果がない以上、究極的にはあらゆる現実には根源的なエビデンスが存在せず、全ては感想に過ぎない。

全ては主観に過ぎないことに蓋をすることは可能である。蓋をしないと世界は成り立たない。統計とは主観を一定の揺らぎの中に収める方法論だ。統計からコントロール可能なものだけを取り出して生きているがゆえに、因果があるように感じる。養老氏が言う都市化である。そのことにすら蓋をしないと生きていけない。蓋をしていることにすら蓋をしないと生きていけない。何一つ確かなことがない、という事実をありのまま直視することは、考える以上に恐ろしい。我々は3秒後に物理法則が変わるかもしれない、などと考えながら生きて行くことはできない。

そしてこんなことを考えても一文の特にもならない。賢明な人はこんなことは考えないのである。考えられずにいられない人は、身の丈を超えていく、逸脱していく危険性が高い。私は私である。ここから離れてはならない。今日の生活のことだけを考えて生きて行く。こんなことを考えずに生きて行くほうが、よほど高級だという視点は忘れないようにしたい。




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