無職の果てに

 一年弱のニート生活は終わりを告げ、明日から働き始めることになった。前職のプログラマーとはまるで違う建設業界への就職。いわゆる施工管理を行うようであるが詳しいことはまだよくわかっていない。施工管理なる業務を行うこと以外にわかっているのは、給料が前職の1.5倍程度になることと勤務先ぐらいのものである。つまりゴリゴリのコネ入社だ。

 「働くぐらいならば死んだほうがマシだ」とつい2,3か月前まで放言してやまなかった私の大きな変節に軽蔑を覚える人もいるのではないだろうか。そのようなことを気にする人間ではないが、自らの変節に私自身も笑ってしまうため、軽蔑を覚える人間の気持ちは十分理解できる。この変節の理由を端的に説明するとすれば、「給料次第では死ぬよりも働いた方がマシな場合もある」だろうか。一年もニートをしたことである程度満たされたというのも勿論影響しているだろう。更に究極的なことをいえば「まだ死ななくてもいい」。

 ニート生活は自由気ままでこの上なく幸福なものであった。25年の人生で初めて本当に何もしなくてもいい時間だった。学校にも会社にも行かなくてよい、したいことだけができる時間。起きたい時間に起きて、眠りたい時間に眠る。飲みたいだけ酒を飲む。ずっとこれを求めていたのだと思った。しかし、決してストレスがなかったわけではない。何にも縛られないように見える生活もお金の呪縛からは逃れられなかった。何をするにも口座残高が気になった。今月は生きられるが来月はどうだろうか、3か月後生きていられるのだろうか、日々お金を気にするストレスは労働にも匹敵した。お金はないが働きたくはない、お金を借りるのは絶対に嫌だ、生活できないならば死ぬしかない。そのような考えがぐるぐると頭をめぐっていた。不安を酒でぼかし、煙と一緒に吐き出した。結局母親がお金をくれたり、コロナで失業保険の給付が延びたり、祖母が急に生前贈与してくれたりでのらりくらりと生きてこれたが、来月こそ終わりだと毎月毎月考えていたのは本当の話である。そのようなストレスに耐えかね、ついに節を屈して母親の紹介に乗ったという次第だ。というよりも渡りに船といった方が適切だろうか。

 働く決意はつまり生きる決意だ。私に生きる決意をさせたのはこれまでの25年の人生だった。ニートは周囲の人に心配をかけるらしい。この一年の間、随分と多くの人が心配をしてくれた。「死ぬな」と言われる度に「だったら生活費くれよ!!」と思ったものだが、死んだら悲しいと言われるのは嬉しかった。いつでもお金を貸すと言ってくれた友人や居候させてやると言ってくれた友人、家賃が浮いてそれで生きられるならとルームシェアを提案してくれた友人もいた。本当にありがたいことだと思う。ずっといろんな人に助けられっぱなしで生きている。ニート生活を通して改めて感じさせられた。運が良かったのか、友人がいい人すぎるのか、私が魅力的すぎるのか。冗談はさておき、心配してくれる友人がいる幸運な人生をみすみす捨てる必要はないと思った。どうしても死にたくなったら死ねばいいと思うが、いまはまだそこまででもないので生きていこうという気持ち。まだ明日死ねるほど孤独じゃねえ(リスペクトKUSARI GROOVE。たしかDOGMAパート)

 と、まあここまでつらつらと内面をさらけ出したが、そんなことよりもいきなり前の給料の1.5倍スタートがでかすぎ。ボーナスももらえるらしい。年収ほぼ倍になるんですけど?!やる気しかでない。結局はお金だったのだ。思えば前の会社ももっと給料が良かったらやめてなかったかもしれないし、そんなものなのかもしれない。年収1000万を目指して頑張っていこうと思う。

 ニートをしているとどうしても思考が内へ内へ向かってしまうので(よいか悪いかは別として)、落ち込む回数も増えてしまう。生きていく中で必要な時間だと思うが、チャンスや手を差し伸べてくれる人に気付く程度に内にこもるぐらいが丁度いいのかもしれないなどと思った。私の場合は運が良すぎたのかもしれないが、思いがけないことから物事が好転していくこともある。人生何が起こるかわからないので、全てを閉ざさず少しくらい窓を開けておいて損はないのではないだろうか。

 初めての就職前日は働くことが嫌すぎて5時間ほど散歩した。今回はそこまで嫌な気持ちはない。貧乏なのも飽きたのでお金を稼げるのが楽しみだ。旅行したいし、美味しいものを食べたいし、バイク乗ってみたい欲もでてきた。結婚した友達二人にご祝儀もちゃんと渡したい。明日から頑張ろうと思う。

ニートをやめて明日から働くよーって話。以上

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