日本引きこもり協会はどこに行ったら入れますか?

 世の中には働けない人間が一定数存在するように思う。持病や虚弱体質などではなくとも働けない人間だ。怠惰だからかといえば、そうともいえるしそうじゃないともいえる。甘えかといえば、これまたそうともいえるしそうじゃないともいえる。結局なぜなのかと問われれば、はっきりとしたことはいえない。とにかく、世間一般で当たり前とされる生き方ができない人間がいるのだ。
 とはいえ、「理由は言えないがちゃんと働けない人がいるんです!」ではあまりにもあまりにもなので、自分なりに考えていることを書き連ねる。

なぜ働くのか、なぜ働けないのか
 「どうして働かないんだ」という問いに、単に働きたくないと言っただけでは「働きたい人なんていないよ」だの「僕(私)だって働きたくないよ」だのと総攻撃をくらう。ではなぜ働くのかと聞き返せば、返ってくる答えはひとつ。そう、「生きるため」だ。皆一様に「働きたくないが生きるために働いている」と口を揃えて答えるのである。ここに働ける人間と働けない人間の乖離が集約されているように思う。埋まることのない溝。永遠に分かり合うことのない男女。「働きたくないが生きるために働こう」と考えるのが働ける人間だとすれば、「生きるためなんかに働けません」という人間が働けない人間なのだ。「みんな働きたくないけど働いている」と言われても、そのみんなの中に入っていないのだから心に響くわけがない。こちらからすれば「なんで働きたくないって言いながら働いてんだよ、狂ってるな」こうなるわけである。ただ、生きていくために大体の人は働かなければならないというのは厳然たる事実であるため、働かない人間に待つのは早期の死だ。働かずに死んでいく人間を見て、働ける人間は「なんで働かないで死ぬんだよ、狂ってるな」こう考えるわけである。平行線を辿る両者。交わることのない思考なのだ。

働かないは甘えなのか
 働かないことはしばしば甘えだと言われる。しかし、甘えか甘えじゃないかなどはナンセンスだと思わないだろうか。そもそも働かない人間に対して甘えだと考える心理の底には、「自分は働いているのに遊んで暮らしているのが憎い」「自分が辛い思いをしているのだから他人もするべきだ」というような見るもおぞましい感情が隠れている。そのような人は、自分と他人を比べることをまずやめるべきだと思う。他人の幸せは自分の幸せを邪魔するものではないし、他人が不幸になったからといって自分が幸せになるわけではない。
 話が逸れてしまった。甘えか甘えじゃないか考えることはナンセンスである。そんなものは角度によって変わる。働くというのはあくまで手段だ。嫌な言い方をすれば、自分自身で金を産むことができない人間が会社なりなんなりに勤めて働いているのである。だとすれば働くこともまた甘えだということもできる。就職活動をして、学校卒業と同時に働き出す。とても立派なことだが、それが一番楽な道として用意されているという見方もあるのだ。
 こんな話をしていると資本主義経済への怒りが湧いてくる。金金金。マネーイズパワー。なんて醜い世界だろう。しかしかといって社会主義はだめだ。あれは人間には早すぎる。社会主義の成功のために克服しなければならない人間の性があまりにも強大すぎる。少なくとも僕たちが死ぬまではお金に支配されたままの世界だろう。アーメン。

働くのはすごい
 働かない人間の心理の説明というか弁護というか、働いてる人間の悪口を言ったように思われたかもしれないが、働いてる人はすごいと心から思う。毎日ちゃんと起きてちゃんと働いてちゃんと寝る。そんな生活をこなすことがどれだけすごいことか。1年前までは自分もその生活をしていたとは思えない。再び働くことを考えると涙が出てしまう。死んだ方がマシかもしれない。働きたくない。

働くのはすごいねって話。以上。
ps:日頃の行いがいいからなのか、コロナの影響により失業保険が60日延長されました。これでまだ生きられます。ありがとう日本。ありがとう菅義偉。ありがとう安倍晋三。愛してるぜ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?