【BL連載】いつかの記憶、いつかの未来02

   城慧一・1

 歩ちゃんと轍が向かい合って座ると、やっぱり兄妹だな、と思う。背丈も体格も全く違うが、まっすぐな眉や口元がよく似ている。
 さすがに轍と店内で話すことはできず、歩ちゃんは裏口からスタッフルームに入れた。午後の補充も一段落つき、轍が手を離しても大丈夫な時間帯だったのがありがたい。
「日々果って結構いろんなところに載ってるんだね、わたしも見たよ」
 歩ちゃんはテーブルに置かれた雑誌に視線を向け、轍に嬉しそうに報告する。
「城さんばっかだけど」
 やや棘のある言葉に、オレは紳士的に微笑んだ。身内からの声は時にスルーするものだ。それもこれもオレの努力の成果だと思えば、甘んじて受け入れなければならない。
 歩ちゃんとは高校生の頃から顔を合わせている。轍の家に邪魔した時は、一緒に夕飯を食べることもあった。思春期の人見知りか、歩ちゃんが積極的に懐いてくることはなかったが、同じ食卓で和気あいあいと鍋をつついたのだから、嫌われてはいないだろう。
 まあ、一緒に店をやっているのに、兄は一度も顔を出さずオレだけ取り上げられるのは面白くないだろう。家族だったら、そう思うのは当然だ。

「轍、残数はまだ余裕あるから、ゆっくりしてていいぞ」
 そう断って、オレは店内に戻ることにした。三歳差の歩ちゃんだってもう社会人だ。平日のこの時間にきたというのは何か用事があるはずだ。
「そうか。悪いな」
「いえいえ、ごゆっくり」
 嫌味にならないように軽く手を振り、カウンター脇に通じるドアを薄く開いて滑り込む。
「そういや、お兄ちゃんは結婚しないの?」
 退散際、そんな言葉が聞こえて、オレは少しのあいだ閉めたドアを見つめていた。振り返る時の笑顔をつくるのに、エネルギーが必要だ。
 いや、もう三十が見えてきた頃合いだし、あんまり常連でもないおば様連中から「店長さんは結婚しないの?」と訊かれることもある。独身が珍しくないとは言っても、そんなのお構いなしに他人は普通を押しつけてくる。『結婚したい恋人はいるけれど、タイミング見計らってですかね』という雰囲気をにおわせつつ、決定的な単語は絶対言わないで紛らわせる。噂を立てられるのは面倒だ。その辺ははっきりと壁をつくった方が、この先の家庭事情というものに踏み込まれるリスクが減る。
 ただ、いつかはぶち当たる壁だ。家族には。話すか話さないかは別にして、自分なりの答えを持っているべきだろう。
 それがすぐそこに見えて、若干焦ってしまった。
 口の端を引き上げる。
 振り返れば、眩い日々果が変わらずそこにある。

   ***

 閉店して掃除が終わると、ようやくメールチェックが始まる。
 先週、インタビューを引き受けたネットニュースの企業から返信が届いていた。
『今月の特集テーマが【こだわり】となっており、貴店の【こだわり】を是非お伺いできればと思っております。
 インタビューのフォーマットをお送りいたします。記入例をご覧いただきご回答ください』
 添付されていたファイルをプリントアウトして、ついでに轍のメールアドレスにも転送する。
 十代二十代の若い女性をターゲットにしたサイトだったからこちらで引き受けようと思っていたが、『こだわり』とこられては轍に振らないわけにはいかない。
「轍、こういうのきたんだけど」
 消耗品のチェックをしていた広い背中に告げると、轍はのそりと振り返った。オレの手からプリントアウトしたインタビューフォーマットを受け取り、しばし黙読する。
「オレにはわからないこともあるだろうからさ」
 やってみない? と世間話のテンションで水を向けると、轍は表情を変えないまま「ああ」と頷いた。
 おっ。
「やろう」
「そっか、頼むわ。メール転送しておいた」
 轍は姿や声を出す取材は嫌がるが、メールなど文面だけで対応できるものは進んで行うようになってきた。打ち合わせには出ないが、俺にインタビューの返答を託すこともある。
 規則的な形のフォントが綴る言葉は、どこか轍とは違う人物のように映る。轍が意図してそうしているのかもしれないので、何も言わない。
 轍は、日々果と並ぶ、と言う。オレからすると日々果の核にあるのが轍のフルーツサンドなのに、轍は自分と日々果はまだ肩を並べることができないというのだ。一歩進んだと思ったら、余計にもどかしい気持ちになるが、急くことでもない。
 オレって結構辛抱強いよなあ、と轍がインタビューフォームを読む横顔を見つめた。

「そうだ。歩ちゃん、何だって?」
 思い出して夕方のことを訊ねると、轍は何でもないというように頭(かぶり)を振った。
「大阪から戻ってきたから寄ったんだと」
「大阪行ってたの」
「ああ、転勤で。休みというだけで、まだ向こうだ」
 あまりお互いの家族について話す機会がないが、歩ちゃんは理系で研究所か何かに進んだ気がする。オレの周りにはあまりいない進路だったので、珍しがったのを憶えている。
「何日かこっちにいるから、今度夕飯を食べることになった」
「おう、兄妹水入らずで行ってこい」
「ああ……」
 轍が言葉を探してオレに視線を置いていたが、オレは「よしよし」と納得するふりをしてそれを流す。オレが訊かれたくないという意思表示を見せると、轍は声を飲み込んで頭を掻いた。
 オレが自分の家族にあまり触れてほしくないことを轍は知っている。オレは轍の家に何度も遊びに行っていたが、轍がオレの実家に遊びに来たことは片手でゆうに数えられるほどしかない。高校の時から、親がうるさいから、と轍の家にばかり世話になっていた。それをずっと持っている。
 家庭崩壊しているわけではないし、虐待やネグレクトがあるわけでもない。ただ、轍を家族に会わせたくなかった。その先が容易に想像できるから。
 轍のあからさまにしゅんとした顔を見ると罪悪感をおぼえる。これは、ただオレが譲れないだけ。それだけだ。
「じゃあ、帰りに甘いもん買ってきて、夜食用の」
 だから、俺が悪いみたいな顔すんな、と告げると、轍はどこかおかしそうにまっすぐな眉を曲げた。

(続)

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