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我が大日本帝国は、国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべき事をここに提案する

東條英機(首相・陸軍大将)遺書の一部
開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。
今回の刑死は個人的には慰さめられておるが、
国内的の自らの責任は死をもってあがなえるものではない。
しかし国際的な犯罪としては無罪を主張した。今も同感である。
ただ力の前に屈服した。
自分としては国民に対する責任を負って満足して刑場に行く。
ただこれにつき同僚に責任を及ぼしたこと、
又、下級者にまで刑が及んだことは実に残念である。
天皇陛下に対し、又国民に対しても申し訳ないことで深く謝罪する。
元来、日本の軍隊は陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、
一部過ちを犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。
このたびの戦争に従事して倒れた人及びこれらの人々の遺家族に対しては、
実に相済まぬと思っている。心から陳謝する。
◆英米諸国人に告げる
今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。
この深刻な事実は私ももとより、これを認めるにやぶさかではない。
しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。
われらはただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。
いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、
原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、
あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。

(略)
◆日本同胞国民諸君
今はただ、終戦の詔を何があっても大切に受け止めるだけである。
私も何も言う言葉がない。
ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、
私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。
この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、
太陽の輝きのように明白である。

ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、
その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、
彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。
不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国にあるということは動かすことのできないことである。

力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。
人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。
諸君にあっては、
大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。
日本は神国である。
永久不滅の国家である。
皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。


諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、
皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、
もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。

◆日本青年諸君に告げる。日本青年諸君各位
我が日本は神国である。この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。
私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、
現在の状況に対処することを祈ってやまない。

現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。
しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、
正義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。


また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、
彼らの美しく強い魂魄は、必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。
殉国の烈士は、決して犬死したのではない。
思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、
雷同する者どもが少なからず発生するであろう。
しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。
真骨頂とは何か。忠君愛国の日本精神。これだけである。

■日本人について~海外の反応~

●ラダ・ビノード・パール 極東国際軍事裁判インド代表判事
私は1928年から45年迄の18年間の歴史を二年八ヶ月かかって調べた。
各方面の貴重な資料を集めて研究した。
この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。
この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人である事が解る筈だ。
然るに日本の多くの知識人は、殆どそれを読んでいない。
そして自分達の子弟に
「日本は国際犯罪を犯したのだ」
「日本は侵略の暴挙を敢えて行ったのだ」
と教えている。
満州事変から大東亜戦争勃発に至る真実の歴史を
どうか私の判決文を通して充分研究して頂きたい。
日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・退廃に流されて行くのを、
私は見過ごして平然たる訳にはゆかない。
彼等(連合軍側)の戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。
誤った歴史は書き換えられねばならない。


--- --- 以下、海外の日本人への評価 --- ---

●ハーバート・G・ポンティング(イギリス人写真家、日露戦争にも従軍)
列車が止まると日本兵は列車から飛び出して、不運?な捕虜の所へ駆け寄り
煙草や持っていたあらゆる食物を惜しみなく分かち与えた。
一方ロシア兵は、親切な敵兵の手を固く握り締め、その頬にキスしようとする者さえいた。
私が今日迄目撃した中でも、最も人間味溢れた感動的な場面であった。
(略)
松山で、ロシア兵(捕虜)達は優しい日本の看護婦に限りない称賛を捧げた。
寝たきりの患者が可愛らしい守護天使の動作の一つ一つを目で追うその様子は
明瞭で単純な事実を物語っていた。
何人かの勇士が病床を離れる迄に、彼を倒した弾丸よりもずっと深く、
恋の矢が彼の胸に突き刺さっていたのである。

ロシア兵が先頃の戦争で経験した様に、過去の全ての歴史に於いて、
敵と戦った兵士がこれ程親切で寛大な敵に巡り会った事は
一度も無かったであろう。

それと同時に、何処の国の婦人でも、
日本の婦人程、気高く優しい役割を演じた事は無かったのではあるまいか。
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●レジナルド・カーニー(アメリカ人、歴史学者、黒人専攻 ハンプトン大学助教授)
日本の代表団は、ウィルソン大統領が出せなかった十五番目の提案を持って講和会議に出席した。
『我が大日本帝国は、国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべき事をここに提案する』。
「おそらく世界で最も有望な期待の星
それが日本であるという確信
「我々黒人は、講和会議の席上で、
人種問題について激しい議論を闘わせている日本に
最大の敬意を払うものである」


上海での事だった。
デュボイスの目の間で、四歳くらいの白人の子供が、中国人の大人三人に向かって
退く様に言った。
すると驚いた事に、大人達は皆、慌てて道を空けたというのだ。
これは正にアメリカ南部の光景と同じではないか。

もう一つは、日本での事だった。
それは彼自身も巻き込まれた。
東京の帝国ホテルで勘定を払っていると
『如何にも口うるさそうな典型的アメリカ白人の女性』が、
さも当然であるかの様にディボイスの前に割り込んだ。
ホテルのフロント係は、女性の方を『振り向きもせずに』
ディボイスへの対応を続けた。
勘定が全て終わると、彼はディボイスに向かって深々とお辞儀をし、
それからやっとその厚かましい『アメリカ様』の方を向いたのだった。

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●キャサリン・サムソン(イギリス人、外交官夫人)
日本人とイギリス人の基本的な類似点は派手より地味を好む事、
静かで落ち着いた態度を好むという事です。
イギリス人は謙虚さを好み、理想とします。
従って自慢とか、謙虚さのない知識のひけらかしを嫌い、そういう人達を信用しません。
この傾向は日本人になるともっと強くなります。
だから自慢したり威張ったりする日本人に会うと、私達の方が驚いてしまいます。
日本人は非常に謙虚な国民で、慎み深い振る舞いや言葉遣いがすっかり身に付いています。
彼等も他の国民の様に誇り高いのですが、自慢する事を嫌います。
日本人としての誇りを持ち、且つ外国人から学ぼうという謙虚な姿勢の為に、日本は今日の世界の中で重要な位置を占める様になったのです。

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●ミニッツ元帥(アメリカ、太平洋艦隊司令長官)
この島を訪れる諸々の国の旅人達よ。
故郷に帰ったら伝えてくれよ。
この島を護る為に、日本軍人は全員玉砕して果てた。
その壮絶極まる勇気と、祖国を想う心根を!

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●H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
この戦争は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等を齎し、世界連邦の礎石を置いた。

--- --- 特攻隊遺書 --- ---
●相花信夫 少尉(18歳)
母を慕いて
母上、元気ですか?
永い間本当に有難うございました。
我六歳の時より育てて下されし母
継母とは言え、世の此れの種の女にある如き不祥事は一度たりとて無く
慈しみ育てて下されし母、有り難い母、尊い母
俺は幸福だった。
遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが、何と意志薄弱な俺だったろう。
母上、お許し下さい。
さぞ淋しかったでしょう。
今こそ、大声で呼ばせて頂きます。
お母さん、お母さん、お母さんと。
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●大村俊郎(18歳)
お父様 
俊郎は鎌倉に生まれし事を嬉しく且つ、幸福に存じます。
俊郎、生を受けてより今日まで何一つ孝をなさず。
子としての、務めに非ずと思いしも致せず。
しかしながら俊郎、ひと度び特攻機と、運命を共に致した時は
どうかこれが、俊郎の最初で最期の孝行と思って下さい。
皇民と生まれし我の幸せ、人間一度は死するものなり、黒か白か二つの内一つなり。
白き箱にて、帰りました暁にはどうぞ、花の一枝でも上げて下さい。
男の本懐之に過ぐるにあらん。敵、本土上陸せば親も子も非ず、ただ国に身を尽すのみ。
暫くすれば俊郎と、靖国の社にて親子の対面なり。

ああ壮なる歳、十八歳にして特攻隊として死せるか、悠久の大義に生きるか、
我、笑って死なん。
馬来の夕暮れ椰子の葉、夕日が西に沈まんと欲す。
我一人、遠き郷里の母の顔を瞼に浮かべ、父母の健在を祈る。
願くば靖国に来りて。
俊郎より
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●バ・モウ(ビルマ元首相 独立宣言)
…ビルマ人はアジアを結合せしめ、アジアを救う指導者を待望しつつありしが
遂にこれを大日本帝国に発見せり。

…ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記憶せん事を希望するものなり

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●ククリット・プラモード(タイ国元首相)
日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。
日本というお母さんは、難産して母体を損なったが
生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、いったい誰のお蔭であるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意をされた日である。
更に8月15日は、我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。
この二つの日を忘れてはならない。

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