見出し画像

社会人と幼稚園児。

焼肉といえばここという店がある。予約をすると堀座卓の半個室に案内される。個室でなしに半個室。隣室との壁(仕切り?)が格子であるからだ。隣席の声の通りがすこぶるよいし、格子越しに隣席の様子がそれとなくわかる。

このたびも半個室の席に案内された。注文したビール、肉、野菜の第一弾が運ばれてきたところで乾杯。さあ、食べようというそのとき。長女がごく自然にトングを持ち、肉を焼きはじめた。夫とわたしの動きが一瞬とまる。これまでは肉を焼く係はわたしと夫であった。焼肉に限らず外食したおり、大皿で出てきた料理を人数分に取り分けるのはわたしの役目であったから、長女のこの振るまいに驚いた。

「……焼いてくれるの?」「社会人になって2年もたつと、こういうことができるようになるんだぁ」

小学生の子どもが肉を焼こうって話じゃない。じき25歳になる大人といえば大人が、肉を焼いているのである。目を細めてしみじみすることじゃあ、ない。が、かの水泳選手の言葉「何もいえね」ってな、こころもちになるのだ。まったくもって親バカである。いや、バカ親か? なにより。このひとはちゃんと社会に鍛えられている。こう思えたことがありがたく、うれしいのでありました。

「食べたくなーい。眠いよ。ねむい」
しめの冷麺を食べていると、幼稚園児ぐらいの男の子が半べそをかきながら隣の席にやってきた。格子越しに見えるのはお父さんとお母さんと男の子の妹の4人家族。肉を焼きはじめても男の子の機嫌はなおらず、食べたくない、帰りたい、眠い。男の子にボソボソと何かを言うお父さん。宥めたり、叱りつけているお母さんの手は休まずに肉を焼いている。

間仕切り格子の向こうに、20年前のわたしたち家族がいた。

今日は焼肉の日。こんなときに限って子どもはぐずるんだよなあ。
でもね。これだから大人になった子どもがただ肉を焼いてくれるそれだけのことで、親はなんともいえない気持ちになってしまうのだと思うのです。
格子のこちら側から、20年後の隣の家族を想像する。

                         (記 2019年2月28日)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?