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ヘンテコおばさん

「知った顔をみたら挨拶をする」
こう自分と約束したのは、現在も住んでいるこのマンションに移り住んだ30代のころだ。ここに越してきた当時はすでに築13年で、新築で売り出された当初から入居している世帯が大多数だった。つまり、わたしたち家族より年齢層の高い世帯が多いのだ。娘と同世代の子供がいる世帯がさしてないことを、娘が幼稚園にあがるころになってやっとわかった。それほど、近所付き合いがなかったのだ。

とはいっても、居住年数を積めばそれなりに顔見知りはふえる。何階の居住者かはわからねど、エレベーターで一緒になれば、暑い、寒い・蒸すと言った言葉を交わし、降りぎわに「では、ごめんください」会釈をして別れる。
挨拶だけのお付き合いといっても、居住者同志の安心感のようなものは芽生えていたのではないかと、わたしは思っていた。

ところが、エレベーターで挨拶はするのに、敷地内の道で出会ったときには「こんにちは」と挨拶しても素知らぬ顔ですれちがうひとが何人かいた。年齢でいえば50代以上の女性。エレベーターやゴミ捨て場では挨拶を交わすが、道端ですれちがうときは反応しない。
「こんな、ヘンテコおばさんにはなるまい」
ヘンテコなおばさんたちに首をかしげながら、若いわたしは自分と約束をしたのだ。

あれから、25年余の月日がたった。
居住者の転出入もあって、以前よりも若い世帯は増えたようである。敷地内には一定数の幼稚園児、小学生、中学生の姿がある。しかし、うちの子供たちは成人しているから若い世帯の人たちとは、やはり接点がない。ゴミ捨て場やエレベーターで挨拶はしても、顔を覚えるほどの接点はない。

「成人しているお子さんがいるようには、見えませんよね」
ある日、敷地内で会釈をしながら近づいてくる、幼児と手を繋ぐ若い女性に話しかけられた。
「あら、こんにちは」
こう答えはしたが、だれだ? マジマジと顔をみてもわからない。「えへへへ」と笑いながら、「それじゃ、さようなら」と言って別れ、彼女の行く先をみて、はっとした。手を繋いでいた子どもがまだ赤ちゃんだったころに越してきたひとにちがいなかった。
大きなベビカーを押しながら荷物をかかえていたので、玄関前まで荷物を運ぶのを手伝ったあのひとだ。そうか、若いひとは子どもや赤ちゃんとパックで認識しているのだな、わたしは。だから成長した子どもといたのじゃ、すぐにわからない。

きっと、彼女はこれまでも挨拶をしてくれていたにちがいない。とうに成人した二人の娘と歩いていたときにすれ違ってもいるのだろう。でもわたしはその人に気づいていないのだ。視力が悪いから少し離れるとよく知っている人以外はわからない。遠くで会釈されたとてみえやしない。そのうえ耳も遠くなっている。

「ヘンテコおばさん」に首を傾げる若い人がいたら覚えておいてほしい。おばさんたちはただただ、気がついていないことを。しかし教えたとて、そういうことであったかと合点がいくのは、ずっとあとになるだろうけれど。

わたしもとっくのとうに、ヘンテコなおばさんの仲間入りをしていたんだな。年齢はただの数字というひともあるが、それなりの数字なのではないかしらん。

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