結婚しない理由がちゃんとある

「ご結婚は?」
打ち合わせも終盤に差し掛かったころ、そう問いかけられた。相手は私と同じ年頃の女性。話上手な彼女のお陰で、打ち合わせは楽しくスムーズに進んでいた。
「してないんですよ〜。誰かいい人いないですかねぇ」と私は自嘲気味に答えた。
相手の女性も「私もなんですよ〜」なんて言って、結婚できない自分たちを自虐気味に語り合い、打ち合わせは大いに盛り上がった。

こんなこともあった。取引先との飲み会に参加したときのこと。総勢10名ぐらいの参加者全員が30代女性。そこでも結婚の話になった。結婚している女性たちの馴れ初めを聞いて盛り上がり、独身組はしきりにそれをうらやましがる。そして「結婚はしないの?」という問いかけに対して、彼氏がいる人は「まあ、そのうち……」なんて言ってお茶を濁し、決まった相手がいない人は「誰かいい人いませんかね?」と悲哀に満ちた風に問いかける。

「誰かいい人いませんか」という彼女たちは、本当に結婚したいのだろうか? 結婚したいフリをしている人もなかにはいるのではないか? なぜなら私がそうだから。

子供の頃から、みんなが当たり前のように結婚して子供を産むつもりでいることが疑問だった。「25歳までには結婚して、30歳までには子供産みたいよね」なんて、中学生のころ女友達と語り合っていたが、そのときすでに結婚できるって思っているのがナゾだった。だってこの広い世界で、好きな人が自分を好いてくれるって奇跡じゃない?って思っていた。ピュアな中学生だ。

とはいえ、結婚したいと思ったことがないわけじゃない。
高校生の頃。試験前になると「結婚したい!」と言っていた。もう勉強したくない!高校辞めたい!よし、それなら結婚だ! といった具合だ。結婚したい彼氏がいたわけではない。イケメンの大富豪が私を見初めて「結婚しよう」と言ってくれることを夢見ていた。当然、そんなことは起こるはずもなく、無事に高校を卒業し進学をした。

大学生になってからは、不思議と結婚したいとは思わなくなった。奨学金だけでは生活はままならず、バイトに明け暮れた日々は高校生活以上にハードだったけれど、富豪との結婚を夢見ることはなかった。

今思えば、高校生の私にとって「結婚」は実家を出るための手段だったのだと思う。家出でもなく不法に働くでもなく、公然と家を出るためには結婚しかないと思っていたのだ。

それは家が嫌いだったから。両親は仲が悪く、当時は四六時中喧嘩をしていて、家には澱んだ空気が漂っていた。家に帰るのはひどく憂鬱だった。そんな家から早く逃げ出したかったのだろう。結婚すれば家を出ることができる。高校生の私は無意識にそんなことを思っていたのだと思う。

だから、進学とともに実家を離れてしまうと結婚願望も消えてしまったのだろう。

高校生の頃以来、結婚をしたいと思ったことはない。女友達からは「結婚しないと一生働かないとダメじゃん?辛くない?」と言われる。でも結婚したからといって、旦那が一生稼いでくれる保証はない。私は、誰かに養ったもらうという不確かさに身を任せたくない。貧乏をしたとしても、私はひとりで自由でいたい。

実家にいたときの不自由さを、20年近く経った今でも忘れたことはない。今でも夢に見ることがある。あの頃のことを思うと胸が痛くなる。

澱んだ結婚生活ばかりではないのは知っている。子供のかわいさ、子供の成長、それらがどれほどかけがえのないコトなのかも、年の離れた弟の成長を見てきたから少なからず実感している。それでも私は「結婚」となると、自分の家を思い出してしまう。苦しくて窮屈だったあの家。そこから出たときの開放感を今も実感している。だから私は結婚しない。

結婚しないのには、もうひとつ理由がある。それは私が極度の心配性ということ。これについては次回書きます。

でも「いい人いたら紹介してくださいよ〜」と私は今後も言うと思う。だってその方が盛り上がるから。


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