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【小説】ゆるい幸せの終わりに【#すきは無敵だ】

「君は私のことなんか好きじゃなかったよ。ずっと。君は君のことだけが好きだったから」


1年8か月付き合っていた彼女にそう言ってフラれたときにショックだったのは、喪失感よりも「自分のことが好きだ」ということを見透かされていることに対してのほうが強い。
それによって瞬間的に「ああ僕は僕のことしか好きじゃなかったんだ」と再認識して酷く落ち込んだ。

30年も生きていれば、女性と付き合ったり別れたり、フったりフラれたり、いつから付き合っていていつ別れたのかわからなかったりぐらいのことは経験しているわけで、ただ、フラれるときというのは決まって「私のことなんか好きじゃなかった」という、くしゃくしゃに丸めた言葉を置いて僕のもとを去っていった。

30年も、と言ったが一方で30年しか生きていなければ自分が本当は何が好きで何が嫌いかなんてわからないし、さっきまでそこにいた彼女が上機嫌の時に鳴らすaikoの鼻歌や、窓際に飾っていたジェラトーニのぬいぐるみに話しかけている姿などは間違いなく「好き」だったはずだ。
僕はこれまでaikoを聴いたことほとんどなかったけど、今では「三国駅」や「えりあし」は大好きな曲だし、ディズニーランドには行ったことすら無かったが、今ではシェリーメイとジェラトーニとステラ・ルーの区別までつくようになった。


相手の好きなものが自分の中に溶け込んでいく中で、自分の生活や視線そのものが変化するという現象は「好き」でなければ起きなかったのではないだろうか。
当然一方で、存在全てを肯定できるほどの大いなる愛(そんなものあるのか?)で包めるほど、細いたばこを吸う姿や時折泥酔して号泣する姿まで苛立ちもせずに穏やかに見ていられたわけでもないこともまた確かなわけだが。


そういえば、高校2年生で初めて付き合った女の子は「BUMP OF CHIKEN」と「ハチミツとクローバー」が好きな子だった。
当時洋楽ばかり聴いていた僕からしたら、邦ロックなんてと馬鹿にして避けていたのだが、初めて「K」を聴いたとき、少しだけ涙ぐんでしまった。
ハチクロに関して言えば、もしあの作品を読んでいなければ進路を多摩美術大学にすることは無かったのではないかとすら思える。それまでは適当に理系で入れる大学に行こうと思っていたのが突然「多摩美で建築」と決めたのは、ハチクロの中に出てくる真山の生き方に感銘を受けたからだし、設計事務所で働いているという意味では人生の分岐点とすら思えてくる。

「それにさ もし好きな女に何かあった時にさ 何も考えないでしばらく休めって言えるくらいには なんかさ 持っていたいんだよね」

真山は好きな女(理花さん)のために「結構な額」を貯金していたが、それだけは出来なかったな。
その子にフラれたのは、僕がボロボロのアパートに住みながら生活圏からの脱出を試みなかったからの気もするし、突然北のほうまで自転車の旅をしたから(もちろん電子機器は何も持たずに)だった気もするけど、とにかく「私のことなんて好きじゃない」からフラれたという記憶はある。


その次に付き合ったのは、バイト先で出会った女の子だった。「浅野いにお」と「椎名林檎」が好きで、僕の家に転がり込んで何度も何度も「丸の内サディスティック」と「ここでキスして」をリピートさせていたし、映画「ソラニン」は何度も何度もGEOでレンタルして2人で観た(記憶が確かなら、最後はAmazonで買った気がする)。
だから僕は、自然とその女の子のことは下の名前にさん付けで呼んでいたし、僕も名字で呼ばれていた。

2人で明大前まで行ってギターを買って「ソラニン」と「ムスタング」を弾いて歌ったし、結果的にバイト仲間とバンド活動まで始めることになった。
和泉多摩川駅に住みたいというモチベーションから小田急線沿線で設計事務所を探し、新百合ヶ丘に職場を決めたことも、大学の卒業を待たずして和泉多摩川駅に引っ越したことも彼女には気に食わなかったらしく「いつも自分のことばかり」と言われフラれてしまった。


社会人になってからだってそうだ。
エレカシだって、斉藤和義だって、ラーメンズだって、いくえみ綾だって、岩井俊二だって、中島哲也だって、吉田大八だって、ジブリ映画だって全部、全部全部全部、僕が今好きなもののほとんどは彼女たちが好きだったものだ。

バンプを聴いて泣きそうになるのも、ソラニンの一音目で胸が締め付けられそうになるのも、ただ郷愁に駆られているからというわけではなく、それぞれの音楽には生活も思い出も散りばめられているからで、それでも聴くことをやめないのは、好きであるという事実が変わらないからだ。


やっぱり僕は、彼女たちが好きだったのだと思う。
合わないところがあったとしてもそれ以上に、感性や考え方や生き方が好きだったし、だからこそ彼女たちの好きなものはどうしようもなく好きになれたのだ。


「ああ僕は僕のことしか好きじゃなかったんだ」なんて、全然当たってないじゃないか。
そう思ったら途端に涙が溢れてきた。それが何の涙なのかはわからないけど、伝えることの出来なかった「そんなことないよ」の代わりに彼女のもとまで流れついてくれたら良いのにと、部屋の隅で座り込んだ。



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今回、奎くんにこの企画の話をもらったときに題材に随分と悩んだ。
好きなものというのは結構あるけれど、文章にして書くには上手く書ける気のしないものが多かったからだ。

言葉が好きだということかも知れないなということを逆説的に考えて、全然無敵でも無い好きなものたちを供養する気持ちも込めて、あえてフィクションを書かせてもらった。

この主人公と違って、僕の好きなものは基本的に他の人からの影響を受けたものではなかったけど、「好きな人に好きだと伝える難しさ」みたいなものは同じなような気もする。


「好きという気持ちは誰かに否定されるものではなく、その人だけのもの」


この企画のメッセージが少しでも多くの人に伝わったらいいなと願いながら、締めさせていただきます(ニシオヒカル)


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