いつも雨が降っている(ながめぐ論02)

ながめくらしつを知る上で大事なことは、それがたった一つの糸のような繋がりからなる複数の作品群であるということだ。堀の外のジャグリングという、中編ジャグリング作品コンピレーション舞台の一つから始まり、10人を超える大規模集団として2部構成の舞台公演まで、すべてがつながっている。

タイトルであり団体名とまでなった「ながめくらしつ」がその糸である。在原業平の歌、古今集と伊勢物語に載る「起きもせず寝もせで夜をあかしては春の物とてながめ暮らしつ」が原典で、悶々とした春の季節の心情を歌っている。いま会えぬ思い人のことを昼も夜も考え、ただながめ暮らす、眺めているのは春の長雨。

ジャグリング公演としてのながめくらしつは難しくないと、主催の目黒陽介は言う。たしかに具象的なのだ。具象の雨がいつも降っている。

第一作ではそのものずばりの雨が降っていた。出演者は傘をもち、空を見上げ、そして開いた傘にボールの雨が投げかけられる。まったく分かりやすい。

てっきりこれで終わりだと思っていたら、目黒陽介のながめくらしつのテーマにかける思いはそれこそ長めくらすまでのもので、1年と少しおきにバージョンアップすることとなった。そしてながめくらしつは作品群を形成する。

森田智博をメインに置くようになって、傘のモチーフは消え直接的な雨は見えなくなった。その代わりに5ボールを全員で投げつづけるという印象的なシーンが現れた。雨だ。強い雨が降っている。

2012年3月の「起きないカラダ 眠らないアタマ」の雨は違う意味で具象的だった。それは冒頭から降っていた。真っ暗な緞帳の無い舞台の前に座る。開演とともに客席を含む全ての空間が真っ暗になり、雨が降ってくる。サーサーという雨音。徐々に明るくなる舞台では、人が隠れるような大きな壁が雨音を立てながら移動していた。音や音楽はこのときの公演の一つのキーワードであったろう。そして優しい力ない絹のようなしっとりした雨が悲しく降っていた。

2014年12月に2部構成となったながめくらしつでは、第1部で激しい雨が降った。

その第1部「誰でもない」は、オーディションで見いだされた10名のジャグラーによる群舞的ジャグリングだった。モノトーンで無機的なコスチュームに一見非同期なボールと人の動き。ジャズセッションか前衛音楽のようにハーモニーやソロがときおり見え、また消える。この第1部全体が雨なのだ。グレーを主体とした衣装に明るい白いボール。雨雲から発するきらめく水のつぶたち。地面に落ち、ぽつぽつとその正体を明らかにする。あっと思えばあちらこちらで強く降っている。急に光がさし、雲が切れる。キツネの嫁入りのようなお天気雨が一瞬降り、そしてまたかき曇り、雨が降る。

ながめくらしつはいつも雨が降っている。


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ながめくらしつ : 目黒陽介が主催するジャグリングを基点とした・音楽・パフォーミングアートなどからなる舞台創作集団 http://nagamekurasitsu.com/

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