喜んでくれることが自分の幸せ

みなさんこんにちは、田中らぼた餅子です。
ボイスクリエイターの田中らぼた餅子です。
あなたのハートに、めろめろ♡めろりんちょ♡

さて、今回も始まりました、餅子の恋愛教室♡
皆様、いらっしゃいませ、ごきげんよう。

今回も私なりに一つのテーマに沿ってお話を進めていこうと思います。
共感できる!って思ったり、いやいや、こういう風にも考えられるじゃん?等々、みなさん考えることが違うと思いますので、ぜひ皆さんの意見も聞かせていただければなぁと思います。
今回話すお話は、本から抜粋した内容ではなく、私自身が経験した・考えた内容になります。なので、賛否両論あると思いますが、一個人の意見として聞いていただければ幸いです。よかったら最後まで聞いてください。

前回収録したものの続きにもなるのですが、
バチェラーシーズン4を見ていて、感動したシーンのお話。
もしかして展開を楽しみに見ている人が居たらネタバレになってしまうので、誰の父親か、とかはあえて伏せておきますね。
とある参加女性の父親が言っていた言葉は、こんな言葉でした。
結婚相手に求めることについてバチェラーが尋ねたところ、
「私は自分が弱っても助けてもらおうとは思わない。」
「喜んでくれることが自分の喜び」
「自分のやっていることが幸せだから求めない。」
これらをまとめてみると、
自分は相手からの見返りは求めていない。
相手が喜んでくれることが自分の喜びだから、それをさせてもらえて幸せ。
自分がそれをできている今が幸せだから、何も求めるものはないんだよ。
といった内容です。

これを聞いたとき「もう仏やん…」って感動したんですけど、
私が目指すべきところもここなんだなぁって、思わされました。
今まで、やっぱりどこかで
「自分がこれだけやったんだから、これぐらいはしてくれるだろう」
とか
「私の努力とこの結果は見合っていない!」
とか、他人からの見返りや評価にこだわっていたところもあるよなぁって、
自分で思うんです。
それは自分が可愛いから。
相手を愛する事よりも、自分を愛して欲しい気持ちの方が強いから。
自然とそう思ってしまっていたんだろうなぁって思います。
でもこれを見た時に、ホントの愛ってこういうことを言うんだろうなぁって、反省させられちゃいました。

自分が相手を喜ばせることができる。それが自分の幸せ。
自分が幸せならそれ以上望むことはない。
これって究極の愛だと思います。
愛されたいって思うことも、もちろん間違いではないし、
至って自然なことなのかもしれないけど。
私はこれを意識して生きていきたいと思いました。

「相手に喜んでほしいから」それが根本にずっとあって、
本当に相手が望むことって何だろうな、を考えながら過ごす。
自分の一方的な思い込みで行動すると、相手を喜ばせることはできないし、
結局それって自分が気持ちよくなるためにやってしまうことかもしれないですよね。だからやりすぎないっていうのも大切なのかな、と思います。

うぅん…そうは言っても、自分が愛されている実感がなくても、それをやり続けられるほど私は聖人君子ではないかもしれません。
明らかに自分への気持ちがないんだなって思った瞬間に、
もうそんなことできなくなる気がしてしまいます。
その「自分が愛されている」っていう実感の基準を、
どこにもっておくか、がポイントですよね。
時には、相手が嫌がっているかもしれないってことに気付くのも必要じゃないですか。嫌がっているのに自分は良かれと思ってやってしまっていたら…それは迷惑でもんね。ここって結構難しい…。
本当に喜んでくれているかってわからないですもん。
自分でも自分が本当に嬉しいことって何ですか?って他人に説明しようと思っても、なかなかできませんよね。

「これがあるから、愛されているなぁって思う。」っていう、
ポイントをできる限りたくさん持っていたら、このお父様みたいになれるのかなぁって思いますね。
「これがあると愛されているなぁって思う」このポイントについて、また詳しく話を進めていこうと思います。

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