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#0 中医学の始まりは、東京通いから!


2003年、飲食業(予約制ランチ)も

私は料理教室主宰と平行して、飲食業許可を取って週3~4日
「農家の自家用無農薬野菜を使ったランチ」の営業もしていました。

「地元の旬の野菜を使った健康的料理」がコンセプトでしたが
夏でも冷えているお客様、冬でも暑いお客様がいらっしゃる
ことに気が付きました。

それから、よく野菜の栄養を調べていました。
そのうちに「薬膳料理」という言葉を見つけました。
興味津々で「薬膳料理、習いたい!」と思いましたが、
当時、関西では薬膳料理教室は見つかりませんでした。

2006年、ひどい寝汗&漢方薬


その前年、2006年の夏、私はひどい寝汗に悩まされていました。
「夏とは言え、異常!」と思った私は、ある漢方薬局へ行きました。
その漢方薬局へ行ったのは、そこの店主のブログが面白かったから。

「これで、すぐ治ります!」と漢方薬が処方されました。
しかし、まったく効果なし!
それでも「初めてだし、たまたま合わなかったかも~」と思い、
通い続けました。相変わらず、あまり効き目を感じませんでしたが、
その店主のブログが面白かったのと、
漢方相談がなんとなく癒しになってたから。

2007年、国立北京中医薬大学日本校を発見!


そんな日々の中、「薬膳料理教室」を検索してたら、
東京の国立北京中医薬大学日本校(現・日本中医学院)の
薬膳科
を見つけました。
関西在住の私、「東京なんて行かないよ!」と思っていたけど、
気になって仕方がない。漢方薬局の店主に
「ここの学校をご存じですか?」と訊いたら
「すごくいい学校です!」と言われたので、見学に行くことにしました。

新幹線に乗って見学に行った私は、、、
ハマってしまいました。
「東京なんて行かないよ!」と思ってたのに。。。

ちなみに見学した授業は薬膳学ではなく、
「中医基礎理論の臓象学説」でした。
教室一杯の受講生の真剣な受講態度にも感銘を受けましました。

私は料理教室は継続していましたが、5年間やっていた
「農家の自家用無農薬野菜を使ったランチ」営業は休業して、
2008年4月から中医学の勉強を始めました。

2008年4月、中医学薬膳の勉強スタート


最初の4年間は、月2回の1泊2日の東京通い。
半年空けてさらに1年間、月2回の日帰り受講で
研究科と薬膳科を聴講。

2009年03月:国立北京中医薬大学日本校・薬膳科卒業(国際中医薬膳師)
2012年03月: 同・中医中薬専攻科卒業(国際中医師)
2013年10月~2014年9月:国立北京中医薬大学日本校・研究科在籍

5年間、関西から東京へ新幹線で通い続けた結果、
ついに貯金が底をつきました。。。

最後の授業で、5年間お世話になったS先生に
「お金がなくなりました。今日が最後です。有難うございました。」
とご挨拶したら、
「神戸にいる私の北京中医薬大学時代の同期生を紹介する。」
と言われ、
2015年7月から東洋医学健康会・孫華麗先生に師事することになりました。

2015年7月、孫華麗先生に師事


初めて神戸三宮の教室にお伺いしたら、いきなり入学テストでした。
「ぎょえー!そんなの聞いてないよ。。。」と思ったものの
「大丈夫!まだ覚えている!」と自分に言い聞かせて、
ほぼパーフェクト回答。孫先生はビックリされていました。

無事に入学を許可していただき、始まったのが
私の受講希望「弁証トレーニング」でした。

国立北京中医薬大学日本校の研究科では
中国の医案を元にした弁証トレーニングでしたが、
孫先生の授業では実際の相談者を連れてきての漢方薬膳相談でした。
※法令に基づく医療、診療行為ではございません。

私は片っ端から料理教室の受講生様に患者さん役をお願いしました。
お陰様で、頭の中でバラバラだった基礎理論・診断学・中薬学・方剤学・
内科学・薬膳学がつながって頭の中に入ってきました。
ご協力頂いた皆様、本当に有難うございました。

孫華麗先生のご紹介


孫 華麗 先生

東洋医学健康会 神戸中医学院  院長:孫 華麗
(北京中医薬大学卒医学学士、中国中医科学院大学院卒医学修士、元・中日友好病院 中西医結合腫瘤科医師)

古典医書に「治未病」という言葉があります。この言葉は大学の教科書や多くの文章に見られます。私が初めて深く認識するようになったのは、1991年の粟島行春先生(日中友好病院客員教授)との出会いがきっかけです。

粟島行春先生は「西洋の予防医学の考え方は人間以外の外邪を退治することだが、治未病は人間そのものに重点をおき、人間の生きる力に注目する考え方だ」と言われました。

『黄帝内経』『難経』『傷寒論』『金匱要略』の古典にも、「是故聖人不治己病治未病」「夫病己成而後薬之、乱己成而後治之、譬猶渇而穿井、闘而鋳錐、不亦晩乎」「上工治未病、中工治已病」と記されています。これは「病気になってから治療するのでは遅い。病になる前に治すのが良い医者である。」と言う意味です。

私は癌専門医時代に、手術や抗癌剤治療で癌が無くなったにも拘わらず、早くにお亡くなる患者様を目にしてきました。そして、癌を消しても癌を生み出す身体を治せなかったことを痛感し、改めて身体全体を見て病を治すことの必要性を感じました。

「治未病」は「人間の自然治癒力をどう高めるか」にかかっています。私は「もう一度、中医学の原点に戻らなければならない。」と強く思い、「東洋医学健康会」及び「神戸中医学院」を設立致しました。

本校では「治未病」実現の為に中医学講座を開講しております。本校での学びが皆様の健康の一助となると同時に、受講者の皆様が国際中医薬膳養生師として広く社会でご活躍されることを願っております。

勉強記録

私の勉強記録


「漢方薬膳相談(中医弁証トレーニング)」は私の勉強記録です。

コロナ禍を経て、リアル相談はオンライン相談に変わりました。
オンライン相談では脈診が出来ないのがデメリットですが
遠方の人にも受けて頂けるようになりました。
オーストリア、オーストラリア、北京などからも。
コロナ禍でお休みをはさみながらも約8年、今も継続中です。

尚、中医学用語満載で初心者には難しいです。
読んで理解するには、少なくとも薬膳の国際試験合格以上の
知識が無いと理解できないと思います。

掲載は日付順ではなく
患者さん役の方から掲載のご了解を頂いた分から掲載していきます。

通常の医案は
主訴に続いて問診内容が改行もなくギュッと詰め込まれ
最後に舌脈の記載で終わりますが、
ここでは読みやすいように箇条書きにします。

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私は大阪の豪商・加島屋久右衛門(廣岡家)の文化財修復保護活動をしています。購読料は「大阪の豪商・加島屋久右衛門・廣岡家」の文化財修復保存研究の為に使わせて頂きます。ご支援賜りますようお願い致します。




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