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【無料エピソード1.5】僕はいつからか大人になってしまっていた.過去は振り返れるが、もう戻せない。

にしのーです。

深夜2時なのに吐き出したくなり書いてしまいました。

今回はネガティブ、重めな話なので、気分を害されるかもしれません。

ゲスな事は書いておりません。

ホントにいつも見たいな笑いとか入ってませんし、書いてはいけない自分の家庭的な事も書いております。



さきほど自分がツイートした事に対して深掘りして書きたくなりました。

これでもポジティブに書いてます。



高校生くらいの時期に格好いいなと思っていた車が有ったんですが、

自分の車が現在壊れて、たまたまネットオークションを見ていたら型式、色が同じのが出品されており、

試しに入札したら自分が落札出来た。今日はラッキーなのかもしれない。

当時は高くて手が出なかった。

今はただのオンボロの車なのだが。

その車を思い出すと、当時の記憶が蘇ってきた。


この頃、壁にぶち当たり、

昔の事を思い出してしまっている。

まぁ、暇っていうことなんですが。

昔の記憶は思い出補正というか、良いように脳で改変されるらしい。

昔テレビで見たが、人間は悲しい記憶が多過ぎたら自殺してしまうのか、脳科学的に言えば忘れる仕組みらしい。

写真や動画などはメリットもあればデメリットもある。忘れたい過去もあるからだ。


昔の事を思い出すと、僕には成人前に亡くなった祖父がいた。

かなりの月日が経っているのに全く忘れる事が出来ない。じいちゃん子だった。父親は居るが家にほとんどおらず、じいちゃんは自分の父親のようだった。

死んだときの悲しさはさすがに忘れてきているが、あの時の苦しみを今も味わっているなら僕は確実に命を絶っている。

一年後にふと思い出し茶の間で亡くなった日の新聞を残していた。訃報欄の祖父の名前を信じられず見返して号泣。そういう事が以前はたまにあった。

思い出がありすぎて、とてつもなく苦しかった。


「生きている間になにか少しでもしておけば良かった」

「もう少し二人で話していれば良かった」

「死ぬなんて思っていなかった」


正月明けに検査入院に行ってくると言って家から出て行ったのが忘れられない。

この一年前から祖父はガンになっていた。

ただ、転移はしたが、余命などは全く言われず、僕は元気にこの先も生きていってくれる物だと勝手に思っていた。

たまたま入院してから、一週間後に歩いて病院まで僕は行った。

当時発売したゲームソフトを買うついでに行ったんだ。

あんな事になってるなんて思わずに。

祖父を見舞いに軽い気持ちで行ったのに、祖父は医療ミス、レントゲンで分からなかったのか肺に水が溜まり息が出来なくなって瀕死の状態になっていた。

小太りだったのに、ポツンとちっちゃくなっていた。

虚ろな目、孫が着てくれた事への嬉しさで喋るが、ボソボソとほとんど喋れなくなっていた。

「どうやって来たんや」

これが最後の言葉だった。

一週間で人はここまで変わるのかと19歳の自分は衝撃を受けて、

なにも話せなくなってしまった。

余命など医者から何も聞いてなかった。

後悔が蘇る。

祖父は死ぬ一年程前まで、土建業で働いていた。

70歳を超えてほとんどを仕事に費やしていた。

なぜかというと、家族の借金がoooo万くらいあったからだ。

家族の借金を祖父が返済していた。

祖父が家族の中心で回っていた。

祖父が働けなくなってから家計は火の車になっていた。

しかし、そこまで分かっていなかった自分は、

「何もやりたい事は無い」

「大学に行きたい」

「現状で就職したくない」

と言って理由も無く、大学へ進学。

そのまま就職していれば違った人生だったと思う。

当時の自分の幼さが嫌になる。

過去に戻れるなら、バイトでもして少しでも祖父に楽をさせたかった。

内弁慶の根クラだった自分は家に引きこもり、テレビゲームしかせず、今思うと重度の躁鬱気味だった。

何が悪いのか分からない。

すぐに癇癪を起こしてしまう。

マナーが分からない。

人との人間関係がいつも壊れてしまう。

ならば誰とも関わりたく無いという考え方にこの当時、なっていった。

いったい人生の夏休みとも言える、大学生活の、あの貴重な時間をどれほど無駄に過ごしていたのだろう。

祖父は一か月後に集中治療室で目が覚める事なく昏睡状態のまま、亡くなってしまった。

冬の時期だったが僕は1か月少し毎日神社に助かる様にとお参りしていた。

2月末の深夜、ICUの前で亡くなった事を聞かされても大黒柱だった祖父ならなんとかしてくれる。

祖父なら助かると心が受け入れなかった。

そこから自分の苦悩が始まる。


ある意味生まれ変わった。

これは第二の人生の様だった。

どん底だった自分はそこからバイトを申し込み、人と関わるようになっていく。

接客業だったので、めちゃくちゃ客と上司から怒られた。

今だったらパワハラになるんだが、

当時は何も考えず、耐えていた。

過保護に育てられていた。

あぁ俺はやれば出来る子だと思っていたけど何も出来ない子供だったんだなと自覚した。

大学も卒業し、社会人にもなった。

自分なりに成長した。

社会人でどデカイ失敗もした。

這いつくばり、成績が一位になった。

金もある程度手に入った。

人とも圧倒的な失敗、試行回数から、ある程度コミュニケーションを取れるようになった。

ただ、自分が欲しかったものは、結局、物ではなく、祖父がいる事だった。

僕は今でも祖父がいて

「〇〇ちゃん、良い子やな」と言ってもらいたかった。孫を見る目で一度でもいいからもう一度言ってもらいたかった。

18歳の時に原付バイクを買って一緒に喜んでくれた。

祖父がゲームソフトを買ってくれた。

僕が深夜に家からいなくなると車で探していたと聞いた。

思えばいつも居てくれた。

ただ、今も居て欲しいだけなのに。

今ならお金も不自由なく出来るし、どこでも一緒に行ける、

戻ってきて欲しい。

夜中に電気をつけっぱなしにしてたら怒ってほしい。

なにかふざけた事をしたら叱って欲しい。

好きなお菓子も一緒に行ったスーパーで買ってくるから。

毎年、どこかで思い出してしまう。

いつかひょっこり帰ってくるんじゃないかって。

隣の家のばあさんと話していて、晩御飯前に家に帰ってくるって。

どこか旅行に行ってるんじゃないのか。

近くの働いていた会社にいるんじゃないか。

実は居間にいったらいるんじゃないかって今でも思ってしまう。

居なくなってから、こんなにも忘れられないのなら、

子供の時の記憶なんて消してしまいたい。

忘れられないなら生きていたくもない。

普段は考えないようにしていたけど、苦しみがたまに思い出して続く。

気づけば育てられていた子供ではなく、

僕は大人になっていた。

苦悩と挫折ばかりの人生。

こんな風になるなんて思ってもいなかった。

大人になった。


初めて買ったゲーム機、初めて買った原付、

初めて行ったスノボー、初めてAVを借りた日、

初めて弾いたギター、

感受性豊かでワクワクばかりしていた。

今はほとんど無くなってしまった。

島田紳助氏が昔一番ワクワクしたのは、

10代の時に金を貯めて買ったバイクに乗った事と言っていた。

全財産をはたいて買ったバイクは泣くほど嬉しいだろうと想像できる。

今はたとえ何かに全財産をはたいたとしても、


「あぁ、こんなもんだよな」

って多分思う。

大人になったものだと悟った。

もう子供の頃のワクワク感っていうのは、味わえないんだろうと思う。

話したい祖父がいないからかもしれない。

社会人。

友達の結婚。

知り合いの出産。

都会へ出て行った友人。

遊ばなくなった友人。

マイホーム。

近所の人の訃報。


いつからだろう。

僕は大人になってしまっていた。

けれども、

肉体的には祖父は骨になり消滅してしまったが、

記憶の中に生き続けている。


思い出したらキツい。

けれども、

僕は生きる。

生きて何かを残したいから。

おわり。

2023年若干の追記

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