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映画『博士と狂人』のマレーはなぜ帽子をかぶっていないのか?

ものすごい構成の映画だ。
原作は文庫だと340ページくらい本文があって、冒頭にランベスでマイナーが凶行に及んだあと、マレーがオックスフォードに出向くのは実は160ページ頃から。そこまではマイナーやマレーの身の上話であったり、あるいは英国の辞書史をなぞっている。
映画は原書の後半だけを扱っていると考えても大きく外れない。
にもかかわらず、映画2時間のうち、おそらく半分ほどは原作にないオリジナルストーリーをやっている。原書の成分はもうフレーバーテキスト程度になっているのじゃないか。

と、このように書き始めれば、2019年公開の映画版『博士と狂人』に対する私の姿勢は概ね了解され、また真っ先に観に行った私がいかなる目つきと足取りと眉の角度でもってシアターからロビーへと出てきたかも想像されることと思う。

※以下、台詞の日本語訳は原書・字幕によっておらず、適当に訳します。

 「博士」って誰?

本作のタイトルにぎょっとして後ずさりするか、大いに興味を惹かれるかは人それぞれだろうが、強烈であることは間違いない。

博士と狂人。書籍の原題は『The Professor and the Madman: A Tale of Murder, Insanity, and the Making of the Oxford English Dictionary』(博士と狂人 殺人、狂気、そしてオックスフォード英語大辞典製作の物語)であった。
ちなみにこれは北米版の書名だ。さらにたどれば、英国版『The Surgeon of Crowthorne: A Tale of Murder, Madness and the Love of Words』(クロウソーンの外科医 殺人、狂気、そしてことばへの愛の物語)が元々である。

「クロウソーン」は作中登場する精神病院の所在地だが、そんな田舎の地名を挙げたところでアメリカ人にはわからないから(もっとも、イングランド人にとってもそれほど知られた地名かどうか)、北米版は書名の強度を上げたものと想像する。そちらを元にしたのが日本語訳のタイトルであり、映画のタイトルだ。

で、この「狂人」とは誰か?
ショーン・ペン演ずるウィリアム・チェスター・マイナーであろう。
それでは、「博士」は誰を指すのか。

メル・ギブソン演ずるジェームズ・マレーに決まっているではないかって?
はてさて、マレーは最初から「博士」だっただろうか。

 場面① OUP理事会との面接/0:07:37~

映画序盤、大学の図書館でマレーがオックスフォード大学出版局(OUP=Oxford University Press)理事会の面接に臨むシーンを見てみよう。
マレーの自己紹介を理事会の重鎮マックス・ミュラー(ラーシュ・ブリグマン)が遮る。

Mr. Murray.

Dr.とも、Professorとも呼んでいない。台詞は続ける。

I understand that you do not possess a university degree.
(あなたは大学の学位をお持ちではありませんな)

そう、この場面でマレーは学歴のない、一介のアマチュア言語家ということになっている。「博士」ではない。

 場面② 分冊第1部の印刷/0:56:29~

マレーに学位のないことは最初に辞書の刷り上がる場面からも窺える。

EDITED BY
JAMES A. H. MURRAY.

(編 ジェームズ・A・H・マレー)

印刷所にて、「A」から「-ant」を収める分冊(fascicle)第1部の表紙が映ると、そこには名前だけがある。Dr.もSirもない。
この直前、近視眼的なフィリップ・リトルトン・ジェル(ローレンス・フォックス)に出版局で詰められるシーンでも、やはり「Mr. Murray」と呼ばれている。「博士」ではない。

 場面③ 完本第1巻の出版/1:11:37~ 

劇的な転換は中盤やっと訪れる。分冊をまとめた完本第1巻の刊行である。マレーが手に取った1冊の背表紙。

EDITED BY
JAMES A. H. MURRAY, LL.D.

(編 ジェームズ・A・H・マレー 法学博士)

「LL.D.」の3文字は、英語圏の観客ならばきっと、おう、と唸るところなのであろう。理事会のヘンリー・ジョージ・リデル(ブライアン・マレー)から「Congratulations, Dr. Murray」と呼びかけられるより、そして証書を手渡されるより少し早く、この画でマレーが「博士」になったと知れるからだ。

LL.D.はラテン語Legum Doctorの略で、敢えて訳せば「Doctor of Laws=法学博士」となる。敢えて、と言ったのは、この学位は英国だと「法学」の意味と関係なく用いられるようだからである。英国でLL.D.とはPh.D.よりも高級な学位という位置づけであって、要するに最大の栄誉だ。
素人言語学者のマレーが、英国最高の学問の殿堂に認められて「博士」になった……そういう歓喜の瞬間が描かれている。

感動のタイトル回収。その後ろで流れるBGMは文句なしに美しい。

 「博士」はいつ「博士」だったか

何年か前にアメリカのオークションハウスでNED(OED)が出品された。

上のリンクを踏む労を厭わなかった読者諸賢の目には、書影の編者名が次のごとく映ったはずである。

EDITED BY
JAMES A. H. MURRAY, LL.D.

(編 ジェームズ・A・H・マレー 法学博士)

なるほど博士号を既に授与されたマレーが出したものらしい。さっき見た通り、映画では、完本第1巻の出来(場面③)とともに初めてこの肩書きが付いた。
ところが、オークションに出たこの品は完本ではない。「A~ANT」を収めた分冊第1部のほうである。

この分冊は場面②で、学位を持たざるマレーが手掛けたように描かれた。にもかかわらず、現実の分冊は「LL.D.」の3文字が入っており、マレー“博士”が編纂したことになっている。
何故か。

マレーの劇中描写が真っ赤なフィクションだからに他ならない。

上述の3つの場面を改めて確認する。
この映画では時期を明示する情報がほとんど登場しないのだが、史実に照らし合わせて年号を添えてみよう。

  • 1878年場面① OUP理事会との面接

  • 1884年場面② 分冊第1部の印刷

  • 1888年場面③ 完本第1巻の出版

ここにマレーが経験した2つの出来事を時系列順で差し込みたい。

  • 1873年ロンドン大学より学外文学士を授与される

  • 1874年エディンバラ大学よりLL.D.(法学博士)を授与される

  • 1878年┃場面① OUP理事会との面接

  • 1884年┃場面② 分冊第1部の印刷

  • 1888年┃場面③ 完本第1巻の出版

史実では、マレーは既に学士であり、博士であった。
OUP理事会と面談し、新たな辞書の編集主幹となる前に、とっくに学士号も博士号も授かっていた。
1871年から73年にかけて、30代なかばのマレーはロンドン大学に通い、学士号を得た(ただし、学問の研鑽のためというより、後のキャリアを考えて資格を取得していた方が望ましいと判断したからであった)。並行してマレーはスコットランド方言に関する研究書をまとめ、1873年に出版し、その功績によって翌年エディンバラ大学から名誉博士号を得た。

したがって、映画の小道具はこの3文字をわざわざ消しているのだが、分冊第1部には「EDITED BY JAMES A. H. MURRAY, LL.D.」と堂々書いてあるのが本当である。
ついでに言えば、その下の行には「PRESIDENT OF  THE PHILOLOGICAL SOCIETY(言語学会会長)」という華々しい職名も添えられており、映画版でもそこは変わっていない。マレーは分冊の刊行当時、既に学界の要職に就いていた。

また史実では、オックスフォード大学は1885年、マレーに名誉修士号を授けている(そうなるように、映画だと敵方のベンジャミン・ジャウエット〈アンソニー・アンドリュース〉が力を尽くしたという)。これが博士号でなく修士号だったのには、「既にエディンバラ大学から博士号を受けているため、オックスフォードの規則ではそれより低い学位しか与えられない」という(何となくケチくさく聞こえる)事情が存在したらしい。
それから30年経ち、辞書が「Q~Sh」の巻まで出版された頃、オックスフォード大学はようやくマレー老に名誉博士号を渡しておくという決断をした。そのたった1年後の1915年にマレーは78歳で亡くなった。
いずれにしても、1888年の完本第1巻と同時にオックスフォードから学位がもたらされたわけではなかった。

 学位はあった

史的観点から言えば、映画に見られるOUP理事会の面接の会話は、まったき茶番。作劇の都合である。

「マレーさん。あなたは学位をお持ちではありませんな」
「ええ。学位はありません。独学で――つまり自分で勉強を」

1878年、マレーに学位はあった。脚本上「学歴ないね」と偉そうに言わされているミュラーはいい面の皮である。マレーも大人しく同意している場合ではない。

「フレディ、君の説明はいささか大げさなきらいはあるが、正しい。しかし、熱弁以上のものがなくては」
「資格などは。例えば、学士号でもあれば」

1878年、まだ41歳のマレーには学士号どころか博士号さえあった。えっらそうに「大学出てりゃあね」と言わされているミュラーは(略)
そして、既にその才能が学界にも轟いていたからこそ、独学のマレーは一大編纂事業に引き入れられたし、学会の長に任ぜられたのである。

辞書の積み上げ、突然始まるスプラッターな切断手術、マイナーや看守マンシーとメリット一家の交流、病院長ブレインの骨相学による診断に“最先端”の治療、理事会の会合に躍り出たエイダ・マレーの感動的な演説……それにタイトルを回収する博士号の授与。映画には印象的なシーンが多く、しかしそのどれもが、センセーショナルな筆致でありながらもノンフィクションとしての立場を守る原作には見出だせない、映画製作者による超一級のエンターテインメント的創作である。
無論そうした改変は一概に否定されるべきではない(マイナーの背景を、“安全に”鑑賞可能なものへと変換した手腕には感心する)。しかしながら、独学者マレーのアウトサイダーとしての立場を強調するために史的事実からはあり得ない会話をでっち上げ、更にはそれを補強しようとして映画の根本的テーマの一つである(はずの)辞書の表紙にまで修正を加えるというのには驚く。

主人公のヒーロー性を高めたかったとしても、他ならぬマレー博士自身が努力によって獲得した名誉学位を抹消し、代わりにマレーと理事会との(非実在の)対立を映し出して、それで一体誰が報われるのか。かつて『広辞苑』編者の新村いずるたけし親子の活躍を描き出すのに、実務上の編集主任である溝江八男太やおたはおろか前身『辞苑』にさえ触れず、あたかも新村親子だけが奮闘していたかのように描き出したドキュメンタリー番組もあった。そのような不正確なご都合主義の描写には、むしろ偉人たちを正視することなく、その功績を軽んずる姿勢が見え隠れする。少なくとも「実話」という売り方には厳しい視線を向けざるを得ない。

 帽子をかぶったマレー博士

マレー博士の写真を尋ねると、必ずと言っていいほど帽子を頭に載せた様子が写っている。ジェームズ・マレーの孫エリザベス・マレーが著した『Caught in the Web of Words』の表紙にも上の画像と同じ一葉があしらわれている。

どことなくお茶目な印象をも受けるが、同書によればこの「黒絹のビロード製縁無し帽」はマレー博士のお気に入りで、その帽子こそ、故郷スコットランドのエディンバラ大学から初めての博士号を授かったとき学位服とともにあつらえたものであった。
これを誇りに思っていた彼は、仕事中にはいつも着けていたという。
マレー博士とエディンバラ大学博士号を表す帽子は、切っても切り離せない。

メル・ギブソンのマレーは、劇中、一度もこの帽子をかぶらない。
映画のマレーは、エディンバラで博士号を受けたマレー博士ではない。
そういう翻案を経たマレーの物語があっても良いかもしれない。
しかし、それはもう、史実に立脚したマレー博士の物語とは言えまい。

 余談

ちなみに、原著(英語)の『博士と狂人』でも実はマレーをprofessorと称することはない。検索して確かめた。
だからやっぱり、何とも、妙なタイトルである。

 マックス・ミュラーの不遇

ついでに、重大なキャラ改変をこうむっている登場人物として、マックス・ミュラーを指摘しておかねばならない。辞書編纂の実務には深入りしなかったようだけれども、OUP理事会のキーメンバーであり、学界でも存在感を放っていた。別に私がミュラーを擁護する謂れはないが、きっと誰も書かないと思ったので書き記す。

ミュラーは映画の序盤で2度、マレーと、彼を引き入れたいフレデリック・ファーニヴァル(スティーヴ・クーガン)の打ち破る障壁として描かれる。
ひとつは、既に触れた序盤の面談で、高慢にもマレーの“不適格さ”を質す場面。もうひとつは理事会のディナーだ。
原作に存在しないこの席で、彼は論を述べる。

The tongue is at its purest peak. Sufficiently refined that it can henceforward only deteriorate. It is up to us to fix it once and for all, alterations to it can then be permitted or not.
(我々の英語は純粋さの極致を迎えている。十全に洗練されており、ゆえに、これより先は堕落しかない。これを永久に“固定”し、言語の変化を容認するか否か決定を下すのが我々の責務だ)

ミュラーは19世紀に活躍した。当然ながら映画も19世紀後半を舞台とする。
だのに、彼の口から出てくる英語観はまるで17世紀から18世紀のもの。
そもそも原書にこう書いてあるではないか。

ジョゼフ・アディソン、アレグザンダー・ポープ、ダニエル・デフォー、ジョン・ドライデン、ジョナサン・スウィフト【引用者注=いずれも17世紀から18世紀前半にかけて活動】というイギリス文学界の有力者たちが、それぞれ声を大にして英語を固定する必要を訴えた。それ以来、「固定」という言葉は辞典編纂の専門語となったのだが、その意味するところは、英語の制限を定め、語彙の目録をつくって体系化し、「英語とは何かを厳密に決める」ことだった。英語の本質にたいする彼らの考え方は、きわめて独断的だった。彼らの主張によれば、英語は一七世紀の初めまでに充分に改良され純化されたため、今後はそのまま固定するしかなく、そうしなければ英語の質は悪化するというのであった。

『博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』(鈴木主税 訳、文庫p.138)

実際、18世紀前半まで、英語には権威として仰ぐべき存在がないと思われていた。フランスやイタリアと異なり、英国にはアカデミーができなかったし、辞書も大陸に後れを取っていた。だが、1755年にサミュエル・ジョンソンの偉大なる辞書が現れて状況をひっくり返した(ジョンソンこそは学位なきまま辞書を編んだ傑物でもあった)。
映画でミュラーの見せた英語への姿勢は時代から100年ほど遅れており、時代考証を通らない。もともと地の文がしていた歴史的背景の解説であったのを、映画ではよりによって同時代の同僚に担わせてしまったのだから、当然と言えば当然ではある。

オックスフォード大学で比較言語学教授を務めたミュラー自身の発言を探してみれば、現実には、次のように説いていた。1861年の著書から引く。

方言がどこでも文語の堕落であると考えるのは間違いである。イングランドでさえ、お国なまりにはシェイクスピアの用いたことばよりも古い語形を持つものが多く、その語彙の豊かさは多くの点で、いかなる時代の古典作家をも凌駕しているのである。方言は文語の流れゆく先というよりは、文語に栄養を与える源となってきた。とどのつまり文語と方言は並行する流れであり、その片割れは文学の発展に伴って今は高みへと引き上げられたが、こうなるよりずっと以前からそうして存在していたのである。

Lectures on The Science of Language』(p.44)

言語の多様性を公平かつ肯定的に捉えていることは疑うべくもなく、映画のごとき「正しい英語を確立せねばならない」という主張は似つかわしくない。

脚本家の設けたディナーのテーブルで教条的なミュラーを諭す役回りはファーニヴァルが引き受けるが、その内容はと言えば1857年に言語学会で行われた講演に近い。既存の辞書の不備を指摘し、すべてを網羅する新たな大英語辞書の必要を訴えるリチャード・トレンチの講演が、編纂事業を発足に導いた。“良い英語”“悪い英語”を分け隔てせずに記録するというこの方針は、ファーニヴァルやミュラーが取り組んできた辞書の根源的な動機そのものであり、マレーを迎えるタイミングで今更問い直すような話ではなかったろう。

映画では、脇役の人物の名が必ずしもはっきりと示されず、リデルなどはエンドロールでしか名前が見えない。ミュラーも、「マックス」としか呼ばれない。実人物と映画のキャラクターが乖離していることを考えれば、これは意図的な配慮かもしれないと思う。

それにしたって、マレーの逆境や辞書の方針を表すために、製作者にはこんな基本的な事実を、そして原作さえも蔑ろにするやり方しかなかったのか……と首を傾げてしまうのである。

他にも「マイナーの辞書への関与をスティグマかのように見ているのは果たして誰か」「本当はbondmaidやAmericanはなぜ載り損ねたか」「用例採集者を募るAppealの配布される場面でメル・ギブソンの読み上げる文章が実物の書面と全然関係なくてもはや総統閣下シリーズじゃねえか」など色々あるのだけれど、ひとまずここまで。

 参考文献



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