2人で歩みはじめてから、今日で6年目を迎えました。平尾台で暮らしはじめることへの期待と不安が入り混じったあの日から、凸凹の道のりでしたけど、この地で暮らすことの喜びも大変さも、だんだんとわかってきたと思います。 結婚した日に、大好きなネイティブ・アメリカンの書「リトル・トリー/little tree」に書いてあった素敵な言葉を思い出していました。「人は理解できないものを愛することはできない。愛loveと理解understand はイコールなのだ」 ですから、家族を愛するこ
2015年2/21にfacebookに投稿したもの。 【小鳥屋のおじいさん】 近所に用事で、ふらっと外出した天気の良い朝。たまに通る小鳥屋さんの前を通ると、インコやオウム、セキレイなどの綺麗な鳥がたくさんいて、動物大好きなわたしは鳥たちの美しさに目が釘付けになった。しばらく眺めていると奥から店主のおじいさんが出てきてお店へ入れてくれ、鳥たちの説明をしてくれた。赤ちゃんの時は灰色の羽毛だけど、大人になると真っ黄色の羽毛になると。わたしは彼らの美しさや可愛らしいしぐさにすっかり
地球のかけらHIRAODAIの活動は、スタートからおおよそ2年が経過し、今年も県内外から多くのゲストの方々にご参加いただきました。 この活動をはじめたばかりの頃は、参加者さんが1人いてくれたらそれでいいと思っていました。 世の中に私たちの話しを1人でも聞いてくれる人がいる、0でなく1であれば、それは私たちにとって見える世界が変わることと一緒でした。 その思いは、多くの方に参加してもらえるようになった今でも変わりません。参加者さんが10人いても20人いても、私たちにとって
去年の3月、恐る恐る始めた平尾台の案内も一年が経ちました。 平尾台の住民が、ここでの生活や歴史や文化、野草や岩石などを紹介しながら歩くエコツアー。 人口が減り続ける平尾台の集落を、自然を保護しながら存続させるにはどうしたらいいんだろう。平尾台がどんな場所で、どんな魅力があり、私たち住民がどんな想いを抱いているか、どうしたら伝えられるだろう。もしひとりでも聞いてくれる人がいるなら、と不安を抱えながら、夫婦ふたりで踏み出した小さな一歩でした。 蓋を開けてみれば、予想をはるかに
(長文)結婚したばかりのころ、夫が山焼きから帰ってきたのを初めて見たとき、大きなショックを受けました。顔は真っ赤に焼け、鼻のなかまでススで真っ黒に汚れ、服は汗に濡れずっしりと重くなっていました。 重たい草刈り機を疲れた肩に食い込ませながら、やっとの思いで家に帰ってきた夫を見て、少し視界がぼやけてしまったことを思い出します。 平尾台の集落の人たちが、何世代にもわたって人知れずこの景色を守ってきたことを、私は全く知りませんでした。 どんな地域にもストーリーがあります。 地球
【芳ヶ谷第二洞】 先日、平尾台の芳ヶ谷(よしがたに)へケイビング に行きました。 芳ヶ谷は、石灰岩である貝殻山とその東に位置する変成岩の間にできた谷で、ここに芳ヶ谷第一洞〜第三洞があります。第一、第二は開口部がけっこう大きくて入り口だけでも見応えがあります。広谷湿原と同じく非石灰岩地帯から地表流がここに集中して流れ込んでくるので、小川ができています。 今回は第二洞に入ったのですが、資料を見ると、石灰岩の節理に沿って形成されているとありました。中に入ってみると、そのとおり、
道端のひとつの石が、 何億年も昔のことを教えてくれる。 昨日6月5日、日本を代表する洞窟博士、浦田健作先生と一緒に歩く「地質学ハイキング〜3億4000万年の地球の記憶〜」を開催しました。 浦田先生は30年以上にわたり、平尾台やカルスト地系を研究されているスペシャリスト。NHKをはじめとするテレビ番組でも監修・出演をされている、日本で唯一の洞窟博士でもいらっしゃいます。 そんな浦田先生と実際に平尾台を歩きながら、目の前の地形や岩石について解説をしていただくという贅沢すぎる
🌱自然が私たちを使ってその価値を言語化する 先月からおっと Kouji Nishinaka と共に平尾台ハイキング案内をスタートさせました。 はじめは申し込んでくれる人がいるのか、たとえ一人でも来てくれたら嬉しいねと話していましたが、えいっと始めてみると毎回、満席になるほど希望していただいて本当に驚きました。 それほど平尾台という場所のポテンシャルが高く、またコロナ禍でじっとしているのが窮屈に感じている方が多いのではないかと思います。 ・ ・ 今日はイヌと一
しつこいんですがまだ人生論ノートを読み返してまして、成功と幸福の違いについてずっと考えています。 著者の三木清は、成功は成長を伴うと書いていてそういえばそうだなと思いました。 もし「幸福とは?」と聞かれてその答えが成長を伴うものであった場合、それは幸福でなく成功である可能性があるかなと思います。 私はといえば、最近最も幸福を感じたのは早朝の森でコマドリに出会い、彼の心洗われるような美しいさえずりに耳を澄ましたことでした。 幸福とはそれそのもののことを言い、 成功はそれ
嫌なことから逃げるなとか言われても逃げるわ。人間だもの。
私は高校生の時に山歩きを始めて、最初は近場の低山に登り、そのうちより遠くへ、より高い山へ行くようになった。 最終的にはフランスのシャモニーに行って、ロングトレッキングも経験した。 だけど、結局、日本に帰りたくなって、戻って平尾台にふたたび通い始めて思い知った。 自然の神秘に触れ、 自分の命も地球に生かされているものであると知るために、すぐそばにある山で充分過ぎるのだと。 ここには全てがすでに揃っている。
ここまで自然に触れることによって感じる様々な感覚について考えてきました。 「社会」の枠組みから意識を解き放つこと。 それは自然に触れることでもできるし、旅行に行くことでもいいよね。ほかにも方法はあると思います。 だけど、なぜ自然に触れること、山を歩くことが特別良いと感じるのか。それに気づいちゃった。 無心に体を動かすこと。これだ。 自分の手足が動くこと、 心臓が鼓動していること、 目で見て、匂いを嗅いで、小鳥のさえずりに耳を澄ますこと。 自分の体が生身の生き物である
「楽しいを仕事に」 「好きなことを仕事に」はいいけど、 その人が楽しくないと思ってる仕事をしている人が大勢働いてるから、あなたは自分の好きな仕事ができるって頭の隅にあったほうがいいよね。
会社でもビジネスでも、SNSでも、みんな自分が何者で、何ができて、こんな能力があると競い合って、社会に対してこんなに貢献してますよとアピールしないと死ぬみたいな世の中になっているのは辛い。 私はそんなにがんばれる人間ではないからだ。 ほどほどに仕事して、 晴れた日は畑を耕して、森を歩いて、 野草や実をとってきて食べて、 雨の日は哲学書をうんうん言いながら読んだりして、生きていたい。 ・ ・ ・ ・ 社会で価値がないと死ぬと思っている人は、価値のない人間は死んでも
眩しい夕日に照らされながら、枯れ草を踏みしめて草原を歩きました。 小梅がやわらかな光を受けて喜び走る姿を見ながら、束の間の穏やかな時間でした。 最近、名著と呼ばれる「人生論ノート」(1937年〜/三木清)という哲学エッセイを知って読んでいます。ものすごく難しくて、何度も反芻してもわからないことだらけの本ですが、その中の一説に、「生は特殊的なもの。死は一般的なもの」とありました。 生きていることが当たり前の私たちにとって、生きることが特殊とは? そこで、ふと生命誕生につ
福岡県北九州市の国定公園「平尾台」の住民です。夫とふたりで平尾台の案内や清掃活動をはじめました。 昨日は平尾台における私たちの活動について、じっくりお話しする機会をもらいました。まだ始めたばかりですが、これだけはブレないという理想や目標を決めておくほうが良いとアドバイスを聞いてなるほどと思いました。 ✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎ 「沈黙の春」で有名なレイチェル・カーソンの晩年の書「センス・オブ・ワンダー」にこんな一節があります。