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ぶっちぎるか寄り添うか

ダンサーという性質上両極端にいないとフォロワーの熱狂は獲得できないのではないか?そんな事をふと思った。私はマーケティングなどを学んだことは一度もないがいわゆるモンスタークリエイターとして色んな予測を立て、生徒を導き、環境を作り、世に輩出してきました。そして自分自身肌感覚でダンサーの中だけの良さと、TV慣れした一般のダンスフリークから見る良さは全く違うのではないか?というところに1997年には気づいてしまったのです。

分かる人だけに言うならば

●poppin TACOとひとりでできるもん

POPを真剣にやっている人から見てもTACOはいわば職人中の職人です。わかりやすく言えば80年代に杏里のバックダンサーとして来日していて、映画breakin'の悪役として有名になった本格派ダンサーです。ひとりでできるもんは一般受けを狙った間口を広げる系のPOPPERです。理解のないダンサーからするとネタダンサーと揶揄されることも。しかし、ひとりは色んなデパートでの営業で子供や老人がいてもしっかり盛り上げます。

個人的な話をすれば私自身は1990年に若手の一人として下積みダンサー生活を送っていました。先輩にはDance Delightに優勝しても褒められないくらいのアングラ具合で、「有名になろうとするような動きはダサいんだ」と勝手に理解していました。POPの特性でもあるのですが、特に昔はダンスというよりもテクニックの追求の側面が多かったので、先輩たちはそんなに表に出ることなくずっと研究をしている人が多かった気がします。

そんな中で育ち、最初にベイサイドジェニーというクラブで初めてTOZAWAを見た時の衝撃はやばかったです。「自分の思うPOPと全然違う」サングラスをして全身銀色のトラックスーツを着てアニメーションと称してブガルーシュリンプのような動きをしていました。当時の大阪ではPOPをやる人間はピート・スキーター・タコ・ブーヤをするのがクール。渋いところでヒューゴ・ジャジーJというところでした。だから自分にはとても衝撃でしたが、当時の東京のメディアはこぞって取り上げてすごく有名になっていきました。メディアが求めるものとリアルの違いは今なら理解しますが当時はただ憤るばかりでした。逆に今あれをもし戦略的に仕掛けていたとすれば凄過ぎると思えますが。

ここで考えてみたいのですが、ストリートダンスの世界で生きていく(ここでは生活をしていくという意味)には3種類あると個人的には思っていて

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