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テーマ別に好きなマンガをいくつか紹介【WSログから埋れた情報を西村成分のみレスキューシリーズ】


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本日から三日間担当します。よろしくどーぞ。

アニメ編振り返り(異世界アニメ)

マンガについての期間ですが、アニメ班不在につき、初めに異世界アニメについて勝手に振り返ってみたりしておきます。

10年ほど前に初めて「異世界アニメ」というジャンルが独立して存在することを教えてもらった時「何なんそれ、ただのファンタジーと違うん?」と怪訝に思ったことを今でも思い出します。かつて、セカイ系は内に閉じた「世界への無関心」によって世界を消して自分を描こうとしました。その反動で、外の世界ときちんと触れ合う日常系というのが次に来たのかなと思います。しかし、日常系は所詮日常のまがい物でしかなく、もっと言うと結局人はフィクション世界に現実逃避(麻薬性)を求めているわけで、日常系には現実逃避的な救いがありません。せいぜい萌え要素を切り売りする程度です。結果、よりフィクション性の高い(現実逃避可能な)作品が望まれるようになり、今度は「自分への無関心」によって自分を消して世界を描くというセカイ系とは異なる安直さがテレビゲーム(RolePlayingGame)のメタ視点として見出され、そのテンプレのあまりのコピペ汎用性の高さから次から次へと「新しい」作品が生み出されては消費されているのが現状かなと思います。このコピペ感が時代ととても相性が良い(悪い)のだと思います。
個人的な関心は、異世界系ははたしてどの層に向けたものなのかにあったりします。基本的には子供向けに感じますが、かと言って子供が本当に異世界アニメが好きで観てるのかと言うと、僕の身の回りの感覚では違う気がします。むしろ、年齢制限ありのエロ描写付き異世界作品があったりするので、メインターゲットは子供ではないように感じます。では、身の回りの大人が観ているか確認すると、やっぱり誰も観ていません。しかし、Social Mediaで異世界アニメについて発言しているオタクはたくさんいます。彼らは、たぶん大人です。大人向け子供向けが乱立しているというか、おそらく、大人子供という年齢の枠ではなく、基本がテンプレコピペという「素人」発想なので、シンプルに「同人」メディアの拡張なんだろうと思います。だから、趣味を同じくしない人がまともに観て楽しめるはずありません笑 異世界アニメには異世界アニメの鑑賞法があると思います。一部異世界アニメの皮をかぶりながら安易なテンプレ設定に乗っからない骨太な作品もありますが、まともにストーリーや設定の完成度を求めると数話も観ていられないものがほとんどです笑 「趣味を同じくしない」大人が異世界アニメ(他人の箱庭制作過程)を楽しむには、明確に観察者の(メタ)視点が求められると思います。 

マンガ編

さて、本題に入ります。この三日間は、マンガ班から「三つのテーマに関する A or B」と称して合計六作品を紹介していこうと思います。雰囲気に関するネタバレはありますが、読書体験を奪うまでのネタバレはしませんので、未読勢も安心してどーぞ。僕なりの読み方、感じ方程度は話しますので、多少の先入観を与えてしまうことはご容赦ください。そして、紹介文を読んで、知らなかった方は作品について調べてみたり、あるいは元々知っていたという方は自身の知見を踏まえて、どちらにより興味があるかのアンケートに投票頂けると幸いです。投票はどちらが良いではなく個人的にどちらに興味があるかなので、作品の総合的な良し悪しとは異なる次元で投票してください。そして、興味を持った作品だけでも是非ご自身で読んでみてほしいと思います。今回は、僕のセレクションで時間をかけても読む価値のある作品のみを厳選して取り上げております。また同テーマでの皆さんのおすすめ、その他何なりと語っていただければ幸いです。三つのテーマは「思春期男子」「輪廻転生」「歴史」となります。

思春期男子

思春期男子とは要するに浅薄な性欲のことです。理性が身体に振り回されることです。その浅薄さ(理性)についての作品、その性欲(身体)についての作品を、一つずつ紹介します。

A おやすみプンプン


プン山プンプン(後の小野寺プンプン)という青年の小学生時代から20代前半期くらいまでを描いた作品です。主人公の名前から推察される通り、奇をてらった類のマンガであり、雰囲気重視の不思議系マンガかと思いきや、実際はヘビーめの鬱マンガです。この作品の作者である浅野いにお氏は『ソラニン』の作者と言えば、わかる人もいるかもしれません。基本的には写実的な作画で進む中、主人公プンプン一家およびその類型として登場するプンプンのおじさんだけが、貧しい線画の鳩サブレみたいなわけのわからない落書きデフォルメで描かれます。人間としての顔は終始伏せるものの要所要所で明確に人間の姿として描かれます。その対比によってこの鳩サブレがメタ表現であることをはっきり読者に意識付けして感情移入をこれでもかと阻んできます。これは想像以上の効果を発揮してきます。なぜプンプンが鳩サブレなのかに関しては、いろいろ考察などできると思いますが、端的に言うなら「身体性の放棄」という感覚がかなり強いと思います。プン山プンプンという名前も大概舐め腐った感を演出していますが、姿形まで全てを記号化することで、プンプンの人生からプンプンという主体を消して「構造」だけを取り出し、それを「頭」で読む形のマンガになっています。それはオチの展開にはっきりと見て取れます。最初期の伏線が最終まで引っ張られていることから、おそらくこのマンガは先にオチありきで作られたのだろうと推察されます。小学生時代からスタートしていかにしてオチに辿り着かせるかのルート設計が作者の労力が割かれたポイントであり、プンプンの苦悩の全てはある種作られた「他人事」として敷かれたレールです。このマンガを読んでプンプンに「心底」感情移入する人はいないでしょうし、またそんな人は出てこないように描かれています。実写を取り込んだと思われる、マンガにしては珍しい描写も頻繁に登場しますが、それもこのマンガの「マンガとして」の読者との距離感を一層広げる働きを担っているように感じます。マンガというデフォルメ空間の中でたまに出てくる過度の写実性は、非現実と現実の往復運動という面倒な意識を強いてくるため、リアリティを増すどころかかえって没入感を損なってきます。そうしてあくまでも読者にフィクションへの没入を許さず、プンプンと読者との無責任な共犯関係を押し付けてきます。思春期男子の鬱的な苦悩を、かつてならそのまま読者の皮膚に突き刺さるように生々しく痛々しく描かれたはずのものを、全て記号化して読者との距離感を作者がコントロールして見世物として陳列しています。しかし、その陳列された見世物としての感情の解像度が非常に高い、その一点のみにおいてこの作品は凡作で終わらない「何か」になっています。名作と言えるのかはわかりませんが、私は名作と類する類の作品ではないと思います。プンプンは責任感を持った熱い血の通った人間ではなく、ただ作者の表現を代行する機械仕掛けのからくり人形です。この、敢えて皮膚に突き刺さってこない他人事の鬱描写というのが、対比として生身の思春期について一定の距離感で考えるヒントないしきっかけにはなり得るだろう、そういう価値がある作品だと思います。思春期の悩みを相対化したい人向けの鬱マンガです。

B オナニーマスター黒沢

(注)紹介するまであまり気にしてませんでしたが一応R18のようです。そもそも中学生の悩みを描いてそれを中学生が読めないというのはどうかしてると思いますが、初めにことわっておきます。
なお、現日付においてこの作品はKindle Unlimited対象です。念の為。
主人公黒沢少年の中学生時代をメインとしてその後日談までが描かれた作品です。以前、僕がオタク系レビューサイトを公開していた時にこの作品のレビューを載せていたのでそれを見て知っている人はいるかもしれません。この作品は元々はWebのみで公開されていた伝説のマンガの復刻版です。それゆえそもそも誰も知らないし、かなり馬鹿げたタイトルがつけられているため紹介したとしても色モノとして避けられてしまってなかなか読まれることもありません。作画に関しても、極めて雑な鉛筆の下書きそのままのような仕上がりなので、完成度は低いです。ただ決して作画そのものが下手なわけではなく(むしろ上手い方)、個人制作の限界(あくまで推測)として仕上げが雑なだけです。さて、肝心の中身についてですが、こちらはプンプンとは打って変わって、強く読者の皮膚に突き刺さってくる生々しく痛々しいタイプのマンガであり、話の展開にプロの作品としてこなれていない不自然さはあるものの、タイトルからは想像もつかないヒューマンタッチな作品になっています。平成中頃くらいまでの思春期男子の全てがここに詰まっています。道徳の授業のつまらない教科書の代わりに裏教科書として使って欲しいくらいです。もちろん人によって個人差はあり、今の時代ならジェンダーなんてものまで考慮する必要があるのでしょうが、基本的に中二男子の頭の中は異性に対する性欲(リビドー)にまみれています。そうしたリビドーにまみれた男子の頭の中を隠さず丸々描写し、やや無理矢理ながらも友情やいじめの問題とも結びつけて話が展開されます。信じられないと思いますが、読後感は極めて清涼です。教育的な見地から、こうした話題をタブー視する女性教員に強く推薦したい、超大穴の名作です。

感想など

  • とある男
    【***最初の方は大丈夫だと思いますが、途中から若干のネタバレがあります***】
    『オナニーマスター黒沢』ですが、所長の(多分)リーダーを紹介する動画で、たまたま映ったついでに薦められていて、気になって少しだけ読んだ記憶があります。その時は、面白そうとは思いながらも絵柄とタイトル名に敗けて深入りしなかったのですが、今回ここで再び出会ったのも何かと縁だと思って読み直しました。
    結論からいうと、タイトルからは想像出来ないくらい人物・人物関係が現実味をもって描かれており大変面白かったです。
    学園系のものでは「性欲」は排除されるか、成人向けとして別個に取り上げられるかだと思うのですが、こちらは真正面からそこを取り上げ、話が展開されていくのでそこは新鮮でした。この年頃の男子は多かれ少なかれ「性欲」と無関係に生きていくことは難しいと思うので、そこを中心に据えて話が進んでいくのはよりリアルに話を感じれましたし、結局そこに大きく振り回されるところに本質(は言い過ぎかもしれませんが)も感じました。
    ー---ネタバレ注意ー---
    注目すべきところは沢山あると思いますが、個人的には「黒沢が滝沢さんで果てた時にもどした」ところは印象に残っています。「恋愛は性欲から始まる」というのは基本的な事実だと思いますが、性欲では割り切れない好意にもとても共感しましたし、好意の中でも性欲意外の要素にもクローズアップしていたのは、黒沢の単なる性欲魔以外の部分が強くでていて良かったです。
    あと、結局男子でも女子でもカースト云々にこだわらずフレンドリーに接する人が一番好かれるし、黒沢的な立ち位置に近い僕からすると、そういった人への憧れとそうではない自分への嫌悪みたいなものもあるよなぁと思いました。

    • にしむらもとい
      性欲の悩みというのは、悩みを描こうとすると性欲が消えたリアリティのない話になり、性欲を描こうとすると単なるエロカテゴリになってしまう。そんな中、ネタで終わりそうなところをその方向性ゆえのピュアな感動作に仕上げたところに大きな価値がある作品と思います。
      ----以下ネタバレ注意----
      滝沢さん関連がこのマンガの山場でしょうね。思春期の少年が好きなコを一途に思うということの困難な本質がよく描かれています。そしてその後の展開を読みながら、共に傷つき、このド変態黒沢少年に肩入れしている自分に気付きます。白濁しつつも、本当に甘酸っぱい物語ですね。

  • とある男
    【少しネタバレあり】
    オナマスを途中まで読みました。レビューというものではないですが、感じたことがひとつあります。
    黒沢くんが失恋をして長岡くんにキツい態度をとってしまうシーンを読んで、つい気持ち悪くなって閉じてしまいました。というのも、僕は昨年黒沢くんと似たような状況で失恋したのですが、未だにそれを乗り越えられていない僕の影が見えたからです。
    1年以上経過しても克服できない自分に嫌気が刺したと同時に、ガッツリ共感できてしまうこの漫画に感服しました。いやさすがに女子トイレで致したことはないですけど。

    • にしむらもとい
      ----ネタバレに対するレス----
      滝沢さん関連は少年の心を持った全ての男子に深く突き刺さるポイントですね。わかります。僕も心が痛く辛かったです。自分を重ねるところまでいってしまうとどうしようもなく辛くなるでしょうね。でも、大丈夫。このマンガには救いがあります。最後まで読んで心洗われましょう。そして今日も一日「励み」ましょう。

  • とある男
    当時私は中学3年生くらいだったとは思いますが、リアルタイムで読んでいました。(同クラスの男子で呼んでいる友達も結構いました。クラス内でちょっとした話題になっていた作品でした)
    当時の空気感やネタが随所に盛り込まれており、非常に私も思い出深い作品です。(黒沢とか、まんまデスノートの月ですもんね笑)
    当時は2ちゃんねるの全盛期、男子諸君は(私含め)2ちゃんねるというアングラな場所で飛び交う内輪ネタ(オナニーネタや釣りネタ)に、時に笑い、時に騙され、そして興味津々でした。
    オナニーというのは、典型的な「内」での行いでしょう。オナニーを公共空間「外」でする人はいませんし、話題に出すことすら公共空間では、一般的には憚られます。
    しかし、「内」とも「外」とも当時よく分からなかった(もしかしたら確定していなかった)2ちゃんねるという空間が出現したことで、当時の男子諸君は「内と外が融け合うような感覚」を少なからず感じていたように思います。
    黒沢がオナニーする場所は決まって学校の女子トイレですが、まず学校が公共空間「外」であり、女子トイレというモラル的にもアウトな場所です。
    その場所で「内」な行いであるオナニーをするということ、それは当時の「内と外が融け合うような感覚」を上手く表現していたと思います。
    しかしその「内と外が融け合うような感覚」がまやかしであることも、作品の中で結論として提示しているというところに、この作品の先見性を感じます。2ちゃんねるが衰退している現状で、答え合わせも自ずと完了しています。

    • にしむらもとい
      まさかのリアルタイム勢笑
      このマンガの良い所は、確実にネタマンガとして描かれながら、人間を描く基礎がしっかりあるということでしょうね。これだけネタを満載に詰め込んだらそれで終わりそうなところを、ちゃんと逃げずに描ききって作者なりの答まで提示してある。やはり名作です。道徳の教科書に載せましょう。

  • とある男
    相手が自分に対して見せる顔が相手のほんの一側面に過ぎないという当然のことに対して恐怖を覚えることがあります。「この人は自分が思っているのと『本当は』全く違う人なんじゃないか」と考えてみても、そもそも『本当は』なんてないことに気づきます。その相手は自分以外の人間に対しても、自分に対してと同じように、それぞれの人向けの顔を持っているに過ぎないからです。そうすると、そういう顔をそれぞれ『本当』と呼んでもいいでしょう。自分が所属する複数の社会に対してそれぞれの社会向きの顔を持っていることを他人に当てはめると急に恐くなってくるのはなぜでしょうか。
    私たちは他人の行動や発言を以てでしかその人について知ることができません。ただ、ある行動とそれに結びつく精神状態の対応が一対一でないことや、気持ちと一致しない行動を機械的にれることが事態を複雑にし、判断を難しくしています。

    • にしむらもとい
      行動がその人の精神状態をそのまま表しているわけではないが、その人を知るには行動を見るしかない。そこに「恐怖」を感じるのなら、それもまた思春期的な悩みだと思います。その恐怖(生々しい悩み)に蓋をすることが「大人」になることの一側面だったりもするのでしょう。どちらかと言うとプンプン寄りの悩みかもしれません。

輪廻転生

転生と聞けば「異世界転生」という時代になりました。異世界転生は平行世界への横の転生であり、全ての因縁を「断ち切って」ゼロからやり直すというレイヤーの薄い転生です。一方、昔からマイナーなジャンルとして存在する輪廻転生モノは時間軸に沿った縦の転生であり、全ての因縁を「引き受けたまま」同じ世界線(シュタインズゲートに倣った用法・物理学用語ではない)に幾層にも重なってゆく多重レイヤーの転生です。異世界転生が逃げる転生なら輪廻転生は逃れ得ない転生です。何故現代において輪廻転生ではなく異世界転生がテンプレとして流行っているのか。異世界転生のシェアラブルな空箱(箱庭)の思想とは真逆の、輪廻転生の構造主義的な思想を楽しんで欲しいと思います。輪廻そのものを描いた思想性の高い作品と、輪廻を舞台装置に用いた娯楽性の高い作品を、一つずつ紹介します。

A スピリットサークル

ネタバレなしに世界観を説明するのが難しい作品です。作画からは、一見あまり奥行きのない薄っぺらな少年マンガ風の印象を受けますが、実際のところは深い思想をもって描かれています。主人公の身の回りの幾人かの人間関係が、輪廻の中で関係をシャッフルされて繰り返されている。その部分の情報だけを切り取ると、狭い自分の身の回りだけで世界が完結するいわゆる「セカイ系」のように感じますが、時間軸方向に厚みのある特殊な構造の物語なので空間軸方向の情報を減らして話をわかりやすくする「割り切り」とみなして良いと思います。断じて「セカイ系」ではありません。その輪廻の中で、時間的に断絶しているはずの各々の時代の個別の人生を、ある仕掛けによって少しずつリンクさせてゆく。そのリンクのさせ方が、時間軸に沿って「順番に並べる」のではなく、「同じ座標に波を重ね合わせる」ように描かれてゆきます。その演出が非常にうまい。どんな人生を生きたって結局全部同じというか、結局全ては折りたたまれ重なっている。過去も現在も未来も、そもそも、宇宙に時間の流れなんてものは存在しないんじゃないかと、思わされます。全てが重なって、初めから閉じている。未来とは可能性ではなく、いや全ての可能性まで含めて構造として現に在るものなのかもしれません。だからと言って今の生き方が変わるわけでも変えるべきでもない。そんな、因縁という執着から離れて今を生きることの意味を考えさせられました。作者の正確な意図はわかりませんが、この世の全てはただ関係性のみであり各々の固有の本質などないという「空」の思想に通じる、非常に仏教的な作品です。表面的な読み方では思想的な深みを感じられないと思いますので万人にオススメはできませんが、それでも安直な異世界転生作品に何か一つ対置するならこの作品かなと思い、今の時代にオススメしたいと思います。

B ヴァンパイア十字界

小説、映画、マンガ、アニメ、メディアを問わず、吸血鬼(ヴァンパイア)をモチーフとした物語は数多作られてきました。その中でもこの作品は屈指の強い劇構造をもって設計されています。『スピリットサークル』が、全てはただ関係性の中にのみ在るという個別の執着から離れる思想を内包していたのに対し、こちらは娯楽作品としてより明確に物語構造が設計されています。つまり、人間(吸血鬼も含む)を中心に据え、むしろ極めて個別的な因縁の、その執着の螺旋運動をこそ描いています。昨今のラノベ、マンガ、アニメでは、伏線回収のうまい作品が傑作として認められることが多い(僕は全くそう思っていません)ですが、そこに並べても負けず劣らず以上の伏線回収と予想を裏切る展開が繰り広げられます。読まれる方は、絶対にネタバレなしで読むことをオススメします。劇展開の一つ一つは、おそらくわかりやすさのため意図的にかなりベタにしてあるので読んでいて難しい部分は全くありませんが、初見でこの展開を予想することは、まぁ不可能でしょう。後から気付くと、つくづくうまいなぁと感心します。同じベタでも先が読める安心感が売りの韓流ドラマとは全く違います。ベタついたミステリーとでも言えば良いでしょうか。ネタが割れてしまえば面白さが半減するという意味では、昨今の伏線特化型の「傑作」と変わりませんが、昨今の作品と比べて何が違うかというと、やはり「人間」がきちんと描かれている点でしょう。人間ではなく吸血鬼ですが……。少し気になるのは、下手なわけではありませんし慣れてくるとかえって味わいを感じてきますが作画にややクセがあるのと、展開がスロースターターなのとで、物語にどっぷり入り込むまでの助走距離が結構必要なところです。一巻くらい読んで「ふーん」で終えてしまうと後半怒涛のように押し寄せてくるカタルシスが味わえません。そういう意味では、やはりこの作品は超一流の傑作ではないのかもしれません。それでも、最後まで読めばわかりますが、このレベルの「ドラマ」を提供してくれる作品はやはり稀有です。よく作り込まれた良質なドラマに触れたい方に圧倒的にオススメします。

感想など

  • とある男
    A,B共に初めて知った作品です。
    なので作品については語れないのですが、輪廻転生について少し考えたくなったので文章投下してみます。
    異世界転生というのは娯楽として成立しやすいとは思うのですが、輪廻転生は娯楽としては万人受けしにくいのはなんとなく理解できます。
    というのも、異世界転生は「死後が存在するということ」を扱わないため「今が楽しければ良いじゃん!」という思想のもと娯楽として楽しめると思うのですが、輪廻転生は「死後が存在するということ」を扱うと共に、現世の行いが来世に干渉する(引き継がれるという表現の方が正しいのかもしれません)という構造を持つため、「今が楽しければ良いじゃん!」という現代人の思想にはマッチしにくいんだと思います。
    かくいう私も、死は生の終わりだと思っているので、現世の行いが来世に干渉する輪廻転生の思想はなかなか受け入れ難いものがあります。
    それは輪廻転生がスピリチュアル的な要素を含んでいるからというわけではなく、「死んだら終わり」という「終わり」があるということへの私の中ではどこか安心感とも言えるモノが崩れ去ってしまうからです。
    輪廻転生があるとして、そうなった場合に「死」は大きな意味を持たなくなり、どこまでも「生」に重点が置かれる世界観になると思います。
    やはりここまで書いてきて、私にとってはなかなかしんどい世界観になりますね。
    しんどいんならそもそも考えなければいいんでしょうけど笑

    • にしむらもとい
      正確には、異世界転生は
      「現世を リセットすれば アカルイ来世」
      であり、輪廻転生は
      「現世だけ リセットしても 意味がない」
      だと思います。転生と言っているので、一応どちらも死後意識が続くことは設定として認めていると思います。
      死生観については、僕は20代の頃長期間引きこもった時期を境に劇的に変わりました。若い頃は、この世の全ては自分であり、自分が死ねば全てが終わると考えてました。今でも、自分が死ねば「自分が世界を感じることはなくなる」という意味で、感じる主体としての自分の「終わり」であることは間違いないと思ってますが、でも、実際のところは死が全ての終わりとは全く感じてません。あまりこの話に深入りするといよいよもって宗教感が出てきてしまうので、僕も普段はあまりしないようにしてたんですが、せっかくなので少しだけ話してみます。
      「生命を燃やす」とよく言いますが、僕は基本的にはそれは「成立する」アナロジーだと感じてます。薪が燃える。材料が燃え尽きれば火は消える。その「火」に個別の本質があるでしょうか。火の自我とは何でしょう。人間の場合、意識の活動というよくわからないエネルギー(秩序)によって強い個、自我の感覚が内部に生まれているようです。外部にはないというのは一つのポイントな気がしています。僕も昔は強烈な自我を感じてました。でも、いまはあまり感じてません。
      謎の世界観を語る気持ち悪いおっさんと思われることを恐れずに話しますが、僕はその辺に転がっているあらゆる物質(無機有機関係なく)と自分の存在は全部ひっくるめて一つの宇宙の在り方だと感じています。お釈迦さんの感じていたことと全く同じだとは言いませんが、似たものを感じているとは思います。宇宙の中でたまたまこんな形のエネルギーを持って自分というものがここに存在しているものの、別に自分なんてものは本当はどこにもなく、宇宙の発現の一つのパターンにすぎないと感じてます。なので、「死んだら終わり」というのは、若い頃とは意味合いが変わってきています。若い頃は、「死んだら無」と思ってましたが、いまは「死んでも何も変わらない」と感じてます。現象として、薪が燃えたり消えたりしているだけのことと思います。そして、この感じ方は僕が特殊な人生を歩んだが故に得たものであり、人間がヒトという生き物として本来当たり前に持つ感覚ではないとも自覚してます。こんな感覚は生き物が生存競争を勝ち抜くために持つべき本能と拮抗してしまいますから。皆さんも、僕を理解できない気持ち悪いおっさんと感じていることでしょう笑 
      ともかく、そんなわけで、僕は生に意味がないのと同様に死にも意味がなく、そして、そもそもこの世の全てに意味がないと感じている(虚無主義ではないですよ)ので、全てをフラットに受け入れて、ある意味では異世界転生を楽しむ同人諸君と同様に「いまを楽しんで」います。
      死んだら全てが終わるのが怖い。
      死んで全てが終わらないとしたらしんどい。
      死んでも別に何も変わらないしとにかく生きよう。
      感じ方は、人それぞれです。

歴史

歴史マンガというものに触れたことがあるでしょうか。あるとすれば、皆さんのファーストコンタクトは、日本史や世界史を学ぶための教育マンガでしょうか。しかし、「教育」という大義名分はあらゆる表現においてその自由度を奪います。端的に言って「教育的」なものは深みがなくつまらない。「教育的である」とは「正しい」ということです。「正しい」とは「一元的である」ということです。教育とはそうした正しさの基準を植え付けるという目的を含んでいます。教育において、歴史とは何か。「正しい」歴史のことです。そこでは何の説明もなく「正しい」歴史だけが語られます。歴史とは現象ではなく記述です。これは僕の与太話ではありません。“history” の語源です。もちろん限度はありますが、僕は一定の脚色が織り込まれた「正しくない」歴史(記述)というのもあって良いと感じています。闇雲にそれが大きな顔をすることを良しと感じているわけではありません。あくまで、そういうものも一定の役割は果たすと感じているだけです。ここでは、史実への忠実度ではなく、触れた際に感じられるリアリティの強度で二作品選びました。他にもこのジャンルには『ヴィンランド・サガ』や『チェーザレ』(いずれも未完)など選考から落とした僕の好きな名作がたくさんあります。

A ヒストリエ

作者の岩明均氏は僕のライフタイムベストマンガの『寄生獣』作者です。皆さんもご存知の方が多いと思います。今回紹介する六作品の中で唯一「未完」の作品となります。連載誌に鉛筆の下書きが掲載されることもしばしば、『HUNTERxHUNTER』でお馴染みの冨樫病の悪化も心配されています。単行本も2年に1巻とかのペースですし、作者の年齢も既に60歳を超えており、手に軽い麻痺などもあるらしく本当にものすごく心配ですが、本人は絶対完成させると言っているらしいので、10年でも20年でも待つしかありません。さて、肝心の中身の話をしましょう。題材は、王道ですがマニアックです。紀元前4世紀、アレクサンドロス大王に仕えた書記官エウメネスの生涯を描いた作品となっています。アレクサンドロス大王を描くのに、本人ではなくエウメネスを主人公に選ぶところが、一般的な歴史とはやはりスタンスが異なります。本来、歴史は英雄のものでしょう。歴史の教科書も、なんだかんだで英雄譚の寄せ集めでできあがっています。そういう意味で、教科書的でない歴史との向き合い方としてとても良い題材だと思います。個人的には、こうした歴史モノは、特に作者が年齢を重ねている場合、作者の文化的バックグラウンド(この場合日本の歴史)を掘り下げてほしいという気持ちはあります。しかし、これは作者がデビュー前からずっと構想を温めていた物語であるという話を聞き、キャリアを締めくくる作品として覚悟を決めて向き合っているであろう作者を、いまは応援する気持ちいっぱいで楽しませてもらっています。何はともあれ、物語自体はとにかくめちゃくちゃ面白いです。史実の忠実度としては、エウメネスの前半生がそもそも謎なので、目一杯創作が入ってます。史実として明らかな部分はもちろんその通りに描きながら、創作の辻褄を合わせ見事に伏線を回収していきます。それがめちゃくちゃ面白い。よくあそこまで自由に歴史を創作できると感動します。『キングダム』という秦の始皇帝による中華統一までを描いているマンガがありますが、あれが面白いのとはまた次元が違います。昨今、特に歴史マンガの名作が増えてきました。いずれも史実に忠実なだけの作品ではありません。しかし、読めばありありとリアリティが感じられる。そんな作品ばかりです。教育的な歴史マンガは見当たりません。その中から最も僕好みの作品の一つとして『ヒストリエ』を紹介させてもらいました。いつの日か完結することを願って。

B 狼の口 ヴォルフスムント

以前レビューサイトに載せていたので知っている人もいるかもしれません。これも、なかなかとんでもないマンガです。唐突ですが、皆さん。「スイスとは何か」そんなことを考えたこと、ありませんか。あります? ありません? 僕はあります。永世中立国、スイス。資金が洗浄される国、スイス。何故かバチカンに衛兵を置く国、スイス。変な国です。もちろん、なぜ永世中立国であるのかなど、ちょっとググるだけでもいろいろ記事が出てきますし、世界史の教科書でも読めば誰でもその「説明」に触れることはできます。しかし、「スイスという精神性」は世界史の教科書になどどこにも書かれていません。歴史は英雄のものです。では、スイスに英雄はいないのか。一人、いますね。ウィリアム・テルです。このマンガはウィリアム・テルが生きていた辺りの時代のスイスを描いています。もちろん、ウィリアム・テルは実在した証拠がないことは僕も知っていますが、多くのスイス人はテルが実在したことを信じているようです。ここで描かれているのは、『ヒストリエ』同様、英雄テルの生涯そのものではありません。人物中心ではなく、いかにしてスイスがスイスとなったのか、その「精神性」が描かれています。当時、ハプスブルク家による苛烈な支配下におかれていた現在のスイス周辺諸国。それが、いかにして団結し独立を勝ち取ってゆくか。後にその地政学的な観点から「永世中立」という立場に身を置くことになるスイスの、小国でありながら大国として振る舞う態度、地理的に欧州に属しながら欧州を飛び越えて世界主義的に振る舞おうとする独善的とさえ言える中立主義、その原点がどこにあるか。それは、歴史の教科書の説明だけではわかりません。もちろん、このマンガは創作、脚色だらけです。スイス人がこのマンガの脚色をどう感じるのかは一度聞いてみたいところではあります。しかし、このマンガを読めば、少なくともそうしたスイス独自の国民性には何か歴史的背景があるんだろうということへの想像力が働くようにはなります。それは第二次大戦後長らく国連への加入を拒否し21世紀に入ってようやく国連への加盟を果たしたという現代史からだけでは感じられないものでしょう。もっと深い部分の何かです。その、見えない歴史への想像力を培うという意味で、この作品をオススメしたいと思います。このマンガの大きな特徴は、そのハプスブルグ家の「圧政」をマンガならではの表現で最大限「誇張」して描いていることです。物語としては関所を一つのテーマとした作品です。支配者たるハプスブルクを、関所破りには徹底した拷問処刑を施す極悪代官を通して明確な「悪」として描き、その効果を狙って普通の神経なら目を背けたくなる残酷表現が徹底して採用されています。その屈辱を耐えに耐え抜いて遂には支配者を退ける、その流れの中に大きなカタルシスを感じる流れになっています。およそまともな歴史書でこんな創作は許されないだろうと思いますが、あくまで見えない歴史を想像する、逆に言うと見えている歴史も常に疑う想像力を養う、そのきっかけとして強い衝撃を与えてくれる作品です。グロ表現がキツいので読み手を選んでしまいますが、単純な娯楽作品としても大きなカタルシスが得られる劇作としてオススメします。

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