REMの紹介、雑感。
1.こんにちは
こんにちは、にしむらななみ(オカダ)です。
このたび文フリ東京38への出店が決まり、絵本をひとつ製作いたしました。
ブース、た‐14になります。ぜひお立ち寄りくださいませ。
妖怪二ひきが、お出迎えいたします…
ポン、ポン、ポン、パン、グッ、グッ、グッ、ポン、ポン。
2.作品について
Ⅰ.内容、作風
作品について話していきます。制作に至った経緯とかには、みなさんさほど関心がないようですので、
先にREMの内容に触れます。
本筋は実にシンプルで、
😢⇒🚃⇒!⇒🔥
このようになっています。
あと、美大生みたいな女の子が出てきます。
みさと、といいます。恋とかはしません。
それで、絵本、と言いますと、児童向けの作品を想像される方がほとんどであるように思われますが、実は本作は、全年齢を対象としています。
クレヨン画と美文調のテキストを融合させた独特の表現のなかで、文学という体系の新しい可能性を追求しました。
それが本作の特徴であると自負しております。
Ⅱ.経緯、問題意識?
私には、人間の成長談というものが大抵の場合、何か同じような構造を持っているように思われてなりません。希求と行動です。
人々が無条件の愛情を求めることはよくあります。これは、幼少期に親から受け取った愛情の感覚を再び経験したいという欲求から来ています。フロイト的な父性観は、意志決定や規範、目的合理性といった概念を通じて、この欲求を満たす手段を提供します。この関係づけをもとにして、大抵のストーリーラインは組まれていくのです。
REMはそのような文学観(?)に則ってできた、
ある種オーソドックスな作品です。
さて、私たちは加速していかなければなりません。
通俗的な規範から逸脱しようとしても、やはり新たな行動様式を打ち立て、それによって自己を監視しなければなりません。監視装置が不在の状態、いわば浮遊したままでは、私たちは正気を保てないし、何ひとつ決めることができないのです。
恥ずかしいことですか、私たちはカウンターを気取っておきながら(一般的な通俗道徳へ従属しないことを主たる行動原理としながら)、そういった独自の監視装置を獲得することに、悉く失敗してきました。
(そういう若者はたくさんいるのですが)
近ごろはそれを自覚しつつあり、
ある種の問題として、私たちの意識の表層にまで、立ち上ってきています。
さて、そういう種類の人間が遅れに気づくとき、それを取り戻そうとするときは、いつも少し強引な手段が取られるものです。
窓の外に開かれた昼下がりの世界の静謐さや、逃れることのできない他者との軋轢など、キーとなる経験は色々ですが、自閉性の裂開、その経験は常に、何かみずみずしい、特殊な感触を私たちに与えるものです。
その「感じ」を極度に抽象化して、絵本の様式に閉じ込める実験としての試みが、この作品の本旨となっているのです。
キーとなる経験が、作中においてどんなモチーフに置き換えられているのかについては、もちろん明示されていません。しかし、何とかそのテーマ性に気づいていただけるよう、手を尽くしたつもりです。
ぜひ店頭で手に取って、確かめてみてください。
かしこ。
ⅲ.意気込み/X、取り置き予約、Webリンク
が、がんばるぞ〜
エイ、エイ、オ〜🔥🔥
以下、Xアカウントと予約フォーム、
Webページのリンクになります。
Webには挿絵のギャラリーもございます。
ぜひご覧ください!
取り置き予約リンク:https://t.co/dkV5qdIf8g
ホームページ:https://t.co/HDOzoX03NB
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