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Finder

 ふと思い立って、押し入れからカメラを引っ張り出した。きっかけは単純で、昨日、ビルの谷間から覗く夕陽が、とても綺麗に見えたからだ。

 憧れのままに奮発した、フルサイズ・デジタル一眼レフ。結局、上手く使えずにしまい込んでしまったのだが。思い出と苦手意識が蘇る。

 『目で見たまま』を捉えることは難しい。デジタルカメラはどこまでも0と1の機械で、物理世界の事象をそのまま切り取る。対して人は、視細胞の電気信号を基に、脳が勝手に映像を補正する。感情や思い込みは容易に現実を捻じ曲げ、ただカメラで撮ったままの写真は、どうしても味気無い。

 ファインダーを覗く。すると、見慣れた部屋も、不思議と『風景』になる。僕はぐるぐると見渡した。

「あっ!カメラ!買ったの?」背中から、春香の明るい声が聞こえてくる。僕は振り返った。「いや、前に買ったんだけどさ。もう一度やってみようかな、なんて」

「そうなんだ。じゃあ試し撮り!」春香はニコニコとポーズをとる。ピントを合わせ、シャッターを切る。カシャ、と軽快な音が鳴った。

 背面液晶に写真を表示する。奇妙な光景が写っていた。壁は煤けてひび割れ、床は所どころ腐っている。春香はいなかった。代わりに、すっかりと干からびた焦げ茶色の何かが、転がっていた。モノクロの記憶が逆流する。

「どうしたの?」春香が僕を覗き込む。「少し、思い出したんだ」僕は呟く。やっぱりきれいに撮れるもんだね、と嬉しそうな春香の声が聞こえる。僕は立ち上がった。記憶は断片的だ。でも、誰を殺すべきか、それはわかる。

 あてはないが、行動しなくてはならない。カメラを手に玄関を出た。通りに面したアパートの二階。心地良い日差しと、鳥の鳴き声。行き交う車。ファインダーを覗き、シャッターを切る。写真を確認する。朽ちた手摺。鉛色の空。乾いた死の空気だけが写り込む。また、記憶が少し戻る。憎悪も、少し。そうだ。僕たちは、間に合わなかったのだ。

【続く】


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