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僕たちは世の中を構成している分子なのかもしれない。(君たちはどう生きるか)

今日「君たちはどう生きるか」の第1章を読みました。
ここを読んだとき、ただただ何か悟ったような気持ちになりました。
特に印象に残ってるのが、以下の場面です。
↓↓↓

主人公のコペル君(本名:本田潤一)が叔父さんと一緒にデパートの屋上から、自動車が街を行き来する様子を眺めてました。
そのとき、コペル君はこう悟りました。「自動車の往来が潮の満ち引きに見えるよ。それに、人間って、その潮を構成してる水分子のようなものだね、僕自身も含めてね。」
叔父さんはこれに感動しました。なぜか?
コペル君の考え方が「自分が世の中の中心だ」という考え方から「自分も世の中にいる人間の1人だ」という考え方へと変わったからです。
どういうことか?
子どもは、誰でも、天動説のような考え方(自分を中心にして物事を判断)をしている。例えば、学校は自分んちから徒歩で10分とか。あの人は、僕のお母さんの知り合いとか。
ところが、大人になってくると、地動説のような考え方(広い世間を中心にして物事や人を理解する)になってくる。たとえば、Aさんは〜会社の社長だとか、自分は〜という国の〜という会社で働いている人間だとか。
これを叔父さんは、天文学の基本的な考え方が天動説(地球中心)から地動説(太陽中心)へと変わったことと重ねました。
叔父さんは、地動説を提唱したコペルニクスという学者から名前を取って、潤一にコペル君というあだ名をつけました。

僕も思いましたよ。
人間を世の中を形作っている分子にたとえたり、自分はこの世の中に大勢いる人間の1人でしかないと悟ったりとか、コペル君すげーなーって!
中2の頃の僕ではとても想像できないですね(笑)。
そりゃ叔父さん感動するわ(笑)。

結局、自分はたった1人で何者になれるわけでもないんだなと。
分子が大量に集まってはじめて大きな水の流れができるのと同じように、誰かとつながっていないと何もできないんだなと。
自分1人で世界を創れるわけでもない、ただのちっぽけな存在なんだなって、
思いました。


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