続・『思考を開き、意図を離れる』


○建築と都市の間での〔恣意性の排除〕(2017/12/28)

参考記事

「建築内部を「恣意性の排除」を行い、設計することから、外部の話に逸れる。
つまり、アクセスする事にすら「恣意性の排除」を徹底する事についての考える。

そうなると、後者は建築に入るという行為が、木と利用者がそのシーンに入るという事になるのだろう。
多分これが最近感じている違和感の正体。恣意性が無いと言いつつその関係になることを強いている、その関係にならないと始まらないという感じ。これが建築の内部、恣意性が排除された所の外部で発生している。
そして、この恣意性に関しては、どうしようもないと感じていた反面、「通りすがりで目的にすり替える事」、それ程の強度を持った建築にしたいと考えていた。」

「そしてそれに対して、昨今の交通の充実や電子機器の発達は、始発地から目的地までを円滑に繋ぎ、間に別の事象が入る事を中々許さない強度に達している。」

「 ここで福井駅に感動した理由が明らかになった。福井駅前の広場(ハピテラス)は、イベントが活発に行われ、目的地であると同時に、そこを目指している人以外の人の行動の間に入る程の強度を有しているように感じた。(それは富山の商業施設で施設と駐車場の間に広場を設けたことと同じ)」

「図書館、CGではこの点で、徹底的に、どのレベルに対しても(敷地外に目を向けても)恣意性を介入しない構成で美しく設計する事ができている。(図書館の内部に関しては要検討+更によくはならないだろうか)
それは、建物の集まりで出来ていて且つ、人が動き回る事が出来る複雑な都市の中でも実現している点に価値がある。
無論、敷地の条件(南側の中学校など)や必要な機能などから、最終的な豊かさとは何か、というのを定義した上で、間に事象を介入させている。」

そうか、こんな風にどのレベルに於いても恣意性が排除されている事が、定常的に目指すべき豊かさ又は自由さである。
一方で、内部での豊かさの定義はその建築の機能、外部や、内部での使われ方、その他の、条件で変わるのだ。変えて良いのだ。

「敢えて住宅を中心と考え、その広がりから都市内で見ても恣意性の無いものに昇華させていく?」

「一方で住宅にこの点を当てはめる事ができなかったのが、「過度期の家」での気付きである。
また、敷地の条件(主に場所)で関わる人自体が限定されている場合に、内部の豊かさと、使う人(競輪場に行くために駐車する人)の豊かさのみに割り切って注目し、考えたのが「share apartment」であった。」

「「体育館」では、外部によって決定される敷地の条件が、街の読み替えによって異なるものにも捉え得る(また、それが内部の要求される諸条件に影響する)と考えたと言える。どうなったのかをまとめないと。」

「ちなみに、今の技量ではそれらを課題期間中に全て解決はできない事、そもそも読み替えた後どうなるのかわからない。。という事が明らかになった。」

「そして、これらの一連の流れでもう一つ得たのは、「都市が一方的に開かれているのでは無いか」という気付きである。建築側から一方的に開く事は、都市からすると監視された様な、気持ちの悪い感じがするんじゃ無いかな。」

今考えると、実際にこれを気持ち悪いと思った事はない。多分建築自体と十分距離があるから、感じるまでに至らない。または生まれた時からそうだったので、そんなに気にならない、という事が原因として考えられる。」

「木密地域など、密集地帯では、やはり一方的に開く事は危険だと思う。その距離に慣れている人以外は、危険である。」

「「都市に開くことは、環境に同調する事である」
日本の家展での一文である。」

「開き「方」の議論は、前述の様に、建築内部を設計する際の諸条件に依存する様に思う。
つまり、今設計する時に考えるべき事は何だろうか。」

「過度期の家」と「share apartment」「体育館」で都市に開く事の難しさは、違う種類である事が整理できた。
前者は内部の設計時の諸条件(プライバシー、そもそも他人を敷地内に入れる必要性があるか)が、都市にそのまま繋がっていくことを拒絶した感じである。
後者は外側の諸条件(場所)で利用者の間の事象になる可能性を感じなかった(一方はその対象を限定し内部の諸条件に割切、もう一方は外側の諸条件が変わる可能性を模索した)。」

「①敷地の外部との関係性から定義される、「都市への開き易さ」(場所、周辺の建築、道路の感じなど)から展開し、行為、動線を設計する。(CG、図書館)
②内部の諸条件から定義される「都市への開き易さ」とは?ここ分からない。(過度期の家、share apartment、体育館)」

「POLUSコンペでの青木は「家の内まで入り込む程の付き合いで無い人達の、家と家の間に生まれる付き合い、往来。」をテーマにしている。
これは「過度期の家」無理矢理抉じ開けようとした解と別の方向の考えである。」

「 やっぱり、住宅においてはそこが限界なのかな。。」

「住宅に於いて、そこを割り切ったとすると、
①一方的で無い様に感じさせる工夫(?)
②お知り合いになる(これは一般論になるのか?建築を設計する事でできる事なのか?)
最強に分からない。。」

「だからこそ、今回のコンペは重要。考え切りたい。」

問題まとめ
①外部の諸条件から開く可能性が感じられない敷地、建築において、どう開く質に変化させ、提示するか。
この時の「開く」事の定義がその都度必要な様に思う。」

「いっそこれらの評価軸を前面に出してportfolioを纏めるか笑」

「考えて来たものの全てではあるし、これ以外を考えるのは時間が無い。」

「コーネル派の
①アーバンデザインに重点を置いたこと
②建築を過去から現代まで続く「連続」として考えたこと
独自のボキャブラリーを用いずに、内部と外部をつくること」



参考文献:秋元馨「現代建築のコンテクスチュアリズム入門 - 環境の中の建築/環境をつくる建築 -」, 彰国社, 2002



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