事実を見ろ
ヨーロッパに経つ前日、兼ねてからの左肩の治療と、治療のヒントをもらうべく施術を受けに神奈川まで行った。
施術を受けるのはいつぶりだろうか…
きっと最後に受けたのは数年前の中野さんだった。
この方はとある先輩にご紹介頂いたのだが、どうやら扉を開けた瞬間から全てを見透かされているらしい。
この扉を開けた途端、どうなるのやら…
しかし
言っては失礼にはなるが、このような形態の店舗のは行ったことがなく、少し躊躇してしまった。街中にあるとあるマンション。その一室に掲げられた1つのウェルカムボード。
インターホンを押すと、どうぞと女性の声
恐る恐る入ると、先ほどの声の女性に案内され施術室と思われる一室へ案内された。
まだ先客がいらっしゃるようだ。
一体どんな施術をされるのか、久しぶりのワクワク感だった。
先客が出てこられ、今回の先生にご挨拶。
今回紹介して下さった先輩の話に始まり、自己紹介、そして今回の自分の主訴などを一方的に伝えていく。
「左下にして横向きからやろうか」
左肩が主訴なのに、右肩でしかも横向きから触る人はこの方が初めてだった。
そして、横向きになりながら再び自分のこれまでの経緯などを話す…
あまり話をされない先生なのだろうかと不安になった頃、ようやく先生が話し始められた。
「解剖学ってエジプトから始まったのよ」
な、何の話なんだ一体…!!自分のこと全く関係ないやん…
そんな思いを胸に話を聞き続けていると、
「日本って特殊なんだよ。日本はね、考えるってことをするんだよ。今の見えてる事実と事実からどう考えるかってことが基盤になってるんだよね」
事実とは…
施術が終わって両肩を上げてみる。久しぶりに頭の上で両手を掴めた気がする。この感じ、いつぶりやろうか
何年も悩んできた肩の痛みがたった20分で治る不思議さ。
「君はね、左肩も痛いって言ったよね。その時点で両肩に影響を及ぼしている部分を見なくちゃいけない。この左肩も、っていうこの(も)も事実なんだよ」
時として施術家は人の体を自分の考えに当てはめて施術しようとする。しかし同じ体は一つとしてなく、その体を診るということを忘れてしまいがちである。
「患者を見た時に、なんとも言えない違和感がどこからか湧き上がってくる。この違和感が湧きあがったということが事実だろ」と先生は言う。
「これは痛いのか、これも痛いのか、これが痛いのか、(は)なのか(も)なのか(が)なのかこれも全て事実」
目の前に起きていること全てが事実ではあるが、どの事実を汲み取るのかは経験と言ってしまえば話は終わる。
しかし、自分の考えに捉われることなくそのもの自体を受け入れて今目の前に起きている事実、自分の中に起きている事実を汲み取るという視点を持つということがいわゆる第三者の客観的な視点となって、物事を正確に捉えられることができるのかもしれない。
「自分にとっての事実とは」
なかなか難しい課題を背負って、欧州遠征へ向かった。
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