【小説】夢のある暮らし

ある日、夢をみつけた。

いつも服のポケットにいれて暮らした。
ときどき取り出して、眺めたり、撫でたりした。
やわらかくて、すべすべして、かわいかった。

いつのまにか夢は膨らんだ。
ポケットにはもう入りきらなくて、リュックサックにいれて持ち歩いた。
背負っているだけで、よい気分でいられた。

夢は膨らみ続けた。
もう持ち歩くには大きすぎて、部屋に置いておくことにした。
部屋にいるときは夢を抱いた。
とても抱き心地がよくて、気持ちが落ち着いた。

夢はさらに膨らみ続けた。
部屋のほとんどを夢が占めた。
夢にもたれて食事をして、夢を布団代わりにして寝た。
いつだって、すぐそばにあるだけで、幸福を感じた。

夢はまだ膨らみ続けた。
いよいよ部屋からはみ出しそうなので、新しい部屋に引っ越した。
広さは倍になり、家賃もまた倍になった。
だから、金を稼ぐことにした。
昼はよく働き、夜はよく夢とたわむれた。
充実した暮らしをしていると、心から思った。
 
夢はまだまだ膨らみ続けた。
ついに部屋の窓やドアから外にはみ出したので、再び引っ越しをした。
当分、夢が膨らみ続けても大丈夫そうな、とてもとても広い一軒家だ。
家賃はずっと高くなったので、もっと金を稼ぐことにした。
 
寝る間もなく金を稼いだ。
食事の量を減らし、いつも腹が減っていた。
膨らみ続ける夢に、ときどきは腹が立った。
でも、夢を捨てようとは思わなかった。
夢のない暮らしなど考えられなかった。
夢と過ごす時間が、なによりの喜びだった。

そのころ、出会った女がいた。
女は俺の夢にとても興味を抱いていた。
ある日、女が俺の夢を見たいというので、家へ招待した。
女は俺の夢のことをとても気に入って、とても誉めた。
気を良くした俺は、女が俺の夢に触れることを許した。
女は俺の夢を撫でて、うっとりとしていた。
それがとても愛しくみえた。
たまらず俺は女を抱き寄せ、ともに夢の中へもぐりこんだ。
それから、俺と女は、夢の中で、愛し合った。
 
女は俺の家で暮らし始めた。
女も金を稼いでくるので、俺は稼ぎを減らした。
夢と過ごす時間は増えた。
嬉しかった。女も喜んだ。
夢はまだ、ゆっくりとだが、膨らんでいた。

そのうち女は仕事を変え、もっと金を稼ぎ始めた。
俺はもう金を稼ぐことはやめた。
たっぷり眠り、たっぷり食い、たっぷり夢と過ごす時間を持った。

日がな一日、夢を抱いて過ごした。
夜遅くに女が仕事から帰ってくれば、ともに夢の中で眠りについた。
他には何もしなかった。
 
そんな生活がしばらく続いたある日、もう夢を捨てて欲しい、と、女が言った。
なぜだ、おまえも俺の夢を好いていたではないか、と、俺が言うと、
このまま夢と暮らしていたのでは、幸せになれない、と、女は言った。
幸せなんかのために俺の大切な夢を捨てろとはなんてことだ。
頭にきた俺は、女を罵り、叩き、蹴飛ばし、家から出ていけと叫んだ。
女は泣きながら出て行った。
 
それからも毎日、夢を抱いて過ごした。
いや、いまにして思えば、夢にしがみついていただけだ。
金がなくなると、金貸しから借りた。
夢は、もう、膨らむのを止めていた。
膨らみ続けるのは、借金だけだった。
 
あの日のことは、今でもよく憶えている。
昼に目を覚まし、玄関のドアを開けると、箱がひとつ転がっていた。
箱の中には、手紙が一通あったのと、赤ん坊がひとり眠っていた。
手紙には、赤ん坊が俺の息子であることと、女からの決別の言葉が書いてあった。

赤ん坊を抱き上げた。
とてもやわらかくて、いい匂いがした。
顔を覗き込むと、赤ん坊は俺を見て笑った。
突然、胸の奥に、深く、ゆっくりと、あたたかいものが湧いてくる気がした。

その夜、俺は夢を捨てることにした。
赤ん坊を背負ったまま、のこぎりで少しずつ切り取り、少しずつ運んで、川に捨てた。
あまりに大きくて、何度も何度も往復しなければならなかった。

全てを捨て終え、家に帰った俺は、寂しい気持ちでいた。
夢がなくなり、がらんとした、だだっぴろい部屋を見渡した。
そのとき、とても小さな夢のかけらが、床に落ちているのに気がついた。
記念に残しておこうかとも思ったが、俺の背中で眠る赤ん坊の寝息を聞いて、やはり捨てようと思った。

赤ん坊をそっと床に置いてから、夢のかけらをそっと摘み上げた。
すると、夢のかけらが震えだした。
驚いて手を放すと、夢のかけらは、猛烈な勢いで逃げまわり始めた。
俺は床に這いつくばり、夢のかけらをどたばたと騒がしく追いかけた。
その音に赤ん坊が目を覚まし、俺の姿を見て笑った。
俺も赤ん坊を見て笑った。
そうしているうちに、夢のかけらは、箱の中へと逃げ込んだ。
女からの手紙と赤ん坊がはいっていた箱だ。
もう逃がさんぞ、観念しろ。
俺は箱を持ち上げ、逆さにして、頭上に掲げ、激しく振った。

すると、その瞬間、中から大量の現実が溢れ出してきた。
かがみこんだ俺の背に、現実が、幾層にもなって、重くのしかかってきたのだった。

あれから俺は、背中にへばりついた現実とともに生きてきた。
必死に働き、借金を返した。
働きながら、ひとりで息子を育てた。
赤ん坊だった息子は、もう成人だ。

そして今日、夢をみつけた。
息子の部屋に、バスケットボールくらいの大きさの夢が転がっているのをみつけた。
息子が帰宅する前に、俺はそいつを捨ててしまおうと思った。
夢のある暮らしが、どんなものか俺は知っている。
膨らんで、離れ難く前に、捨ててしまったほうがいい。

しかし、息子の夢を捨てることは出来なかった。
甘やかしとか、かわいい子には旅をさせろとか、そういうことじゃない。
ただ、息子の夢が、かつての俺の夢と違って、岩みたいに硬く、とてつもなく重く、まるで動かせやしなかったからだ。
仕方ない、俺も息子の夢につきあってやろう。
そう思いながら、冷えた瓶ビールとグラスをふたつ用意して、息子の帰りを待っているところだ。

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