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『筆力(≒文章力)』とはなんだろうか考

 とある話題の中、「筆力ってどうやったら上がるのだろう」というものが出ました。筆力って、皆さんどういうものだと思いますか? 僕はこの話題の中ではあまり意見を出さなかったのですが、他の方々の意見を伺う中で自分なりの『筆力』を見出しかけたので備忘録的に。

筆力は作家としての実力を現すラインなのだろうか

 筆力という文言の中には『文章力』というものも含まれるのかもしれません。僕はこれを含むものとして、筆力とは何かを考えました。
 見出しにもあるように、作家としての実力を現すラインなのかどうかを考えた場合、確かにそれはあると感じられると思います
 なぜ、筆力実力なのかということを書いていきたいと思います。
 まずひとつとして、伝えたいことを十全に伝えられるための力が関係しているからです。いわゆる『筆力』とは漠然とした表現ですが、その実、言葉でいうならば人を見て法を説くように、読者を想定して作文できる力にあたるからだと思っているからです。

他の方々の意見をピックアップしてみます

 自分は映画や日頃の体験を「こんな感じに書きたい。表現したい。伝わって欲しい」が満たされた状態を「筆力がある」と言いたい。
 筆力については個人的に表現したい景色の定規があって、一つはロケットの打ち上げの技術と描写と迫力を余すことなく短い文章で表現できたら、自分としては筆力十分レベルに達した、と見なせるんです。まだそこまで全然足りない。
 あるいは刀が人体を斜めに通り抜けて切断する様子、を同様に表現できたら筆力があるかしれない。血管の位置はどこだろう?静脈から噴き出す血と動脈のそれは違うというけれど、それは見えるんだろうか?とか
 調べて、悩んで、細かく書いて、納得したうえで捨象する、の域まで行って、それが伝わって書けた、という筆力に達するイメージ

D先生 チャットにて

 D先生は著作を読むと、状況と行動と結果の顛末を読者に面白く語ることで楽しませる作品を生み出しています。故に筆力の定義がそこに根ざしているのかもしれません。

今までは架神恭介先生の真似してたけどそれプラス司馬遼太郎と夢枕獏先生みたいなとこある。スルスル読める語り口と濃厚なやつ

N先生 チャットにて

 N先生はバトルものなど、瞬間の思惑や行動の要素を絵的に読者の脳に送り込むことで面白さを伝える力を以て筆力と考えていらっしゃるのかもしれません。
 インパクトというか、脳に思い浮かぶ絵の解像度を上げる(濃厚)ところに面白さの一端を置きたいと思うところは、実は僕も同じだったりします。

根ざすものは、アウトプットかインプットか

 伝えたいことを十全に伝える技術を筆力とするなら、それを支えるのは何であるのかを考えました。
 筆力というものを『筆を執る力』執筆力とするならば、それを支える、伝えたいものを筆に載せるための蓄えが重要だと考えました。つまり、インプットです。自分が面白いと感じたことを、何が面白いのかを噛み砕き、咀嚼しまくり、吸収しまくり、己が血肉とすることで、取捨選択をして読者に提供することができるようになっていったのを僕自身の経験で実感するところであります。
 インプットは筆に込めるインクのようなものでしょう。

 筆力というものを『読者に充分に達するよう伝える力』伝達力とするならば、それを支えるのは何であるかを考えました。つまりアウトプットです。噛み砕いて血肉とし装填したネタを、紙面に盛り付ける力だと思います。多くの場合、この一点を以て『文章力』といってしまうきらいはあるのかもしれません。しかしもちろん、面白く伝えたい書きたいものもない文章は、ただの情報が載った整った文言でしかなく、小説としては物足りないものなのかもしれません。
 そういった情報が載った整った文章は、事務的な場合は最強だったりするのですが、僕としてはこっちの方が大いに苦手なので誰かに助けて欲しいところであります。

 根ざすものは結局、インプットからのアウトプットであるのですが、その実、実際に筆を執ったあとに原稿を完成させるための(熱い/冷たい)殺意にも似た物語るための意欲なのかもしれません。
 偉い人はいいました。
 余裕が構想を育み、締め切りが原稿を産むと。

評価軸としての筆力

 話は元に戻りますが、十全に伝えたいことを伝えられるかという力を筆力とするなら実力のラインたるでしょう。しかし、小説家としてのキャリアの指針かどうかとなるとまた話は別で、筆力あるから偉いとか、そんなことにはならないように思えます。
 伝えられる人らが特殊なストライクゾーンの方々に特化した相手ばかりという、これまた特化した文章力・筆力を強化してる作家とかだっているんです。一概にどうとかはいえない世界でしょう。
 ただまあ、ひとつの評価軸ではありますでしょう。
 その作家の書く物語に於いて、その文章がどうだったか、読者は意外にシビアに見ているかもしれません。
 アヘ顔でろれつが回らないギャルヒロインが絶頂を迎えるシーンで、『これは余談だが、筆者が妻にいたしたときは白目を剥きながら猿のような咆哮を上げていたので、女はみなこうなのかとしばらく信じていた』とか書かれたら、とか思うと……………………なんかそれも面白いな、とか思ってしまい、僕の筆力もまだまだ先があるんだなと嬉しく思う次第であります。

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