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感情移入って在るや無しや考

 小説の内容を精査推敲構成する段階で、読者の感情移入を取り上げる部分があります。第三者と内容を打ち合わせする際、この感情移入がどんなものなのか共通意識(共通言語)を持っていないと混乱する元になります。
 ある人は「感情移入はある」といい。
 ある人は「感情移入はない」という。
 じゃあこの感情移入ってなんなのか、というのを文章物語を組み上げる段階で意識することでどうなるのかな、というのを書きたいと思います。

”感情移入”ってなんだろうか

 感情移入は、主人公に対する思い入れや同調と受け取られやすいのですが、僕が現在思っているのは共感反発です。
 キャラクターの行動や状況に対して、読み手が共感するか、その真逆で反発するか。それが感情移入の漠然とした正体なのではないかと思います。
 キャラ本人になることはできないという意味合いで「感情移入はない」と考える方もいますが、僕もそう思います。なのに感情移入という概念がなくならないのは、ひとえに共感と反発による面白さの揺さぶりを大事にするエンタメの基本があればこそなのだと思います。
 なので、僕は感情移入という文言ではなく、行動や状況での読み手が受ける共感と反発という言葉を選ぶようにしています。

物語のカタルシスに繋がる”共感”と”反発”

 なんて悪いやつだ。なんてひどい状況だ。……みたいな反感反発を覚える状況でも、納得できる反発は共感を伴います。共感と反発は紙一重、表裏一体です。状況の解決には必ず依存関係が成り立つように構成しないと、消化不良を招くことになりかねないので、僕は必ずこの依存共存関係は意識するようにしています。
 キャラ同士の依存(共感共存)関係、反発関係、凸凹を組み合わせるように考えて、物語のカタルシスを考えるようにしています。これは複線の回収をし損ねない予防線でもあったりなかったり。
 僕がいろんな作品で感じているカタルシス(=崩壊)は、悪い状況や良い状況がぶつかりあって、気持ちの良い共感を残すエンディングに伴う読了感に表われているような気がします。
 漫画の重鎮は未熟な投稿漫画を「絵も構成もまだまだだが、読了感がよかった。それは漫画にいちばん大事なものだから入選にしました」と高く評価しました。術が伴う可能性を見抜いたのでしょうか。

面白さの表現には不可欠なもの

 各見出しだけで話が終わってしまう感じですが、共感と反発という感情移入の要素は、面白さを提供するにあたっては大事な技術だと思います。企画やプロットを構成する段階で意識している様々なことは、自分流という前置きで「こうやってるよ」と説明できるに越したことはありません。
 編集や共著者に「この話は何が面白いの?」と聞かれたとき、馬鹿にされたと感じる人の多くは「全部読んでよ、面白いから!」と反発するかもしれません。しかしその実、「これこれこう面白い要素があるから(ターゲット層には)楽しめるんだよ」と答えられなきゃいけないわけです。
 この話は何が面白いの?=この話は何を楽しむ話なの?
 というわけです。
 共感と反発、面白さを見せる段取りであるプロット、この意識を持ってからは企画書や作文の質が上がったような気がします。
 必要不可欠です、”感情移入”。


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