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一人称どうするか問題(対子ども編)

僕は「僕」という一人称を主に使っている。

これは保育士として働くとき、子どもと接する時も変わらない。今は意識して「僕」という一人称を使っている。

普通、保育士の一人称としてイメージするものはなんだろう。

長くはないが10年ほどの保育士経験でまず浮かぶのは「先生」である。
僕が保育士として最初に勤めた園でも「先生」あるいは自分の名前を付けて「◯◯先生」と呼ぶ人がほとんどだった。

僕自身もそれにならって「◯◯先生」と
自分のことを呼んでいた。
かんしゃくを起こした子どもに叩かれたとき「◯◯先生(私)は痛かったよ」という具合に、である。(文章にすると状況が分かりにくい…)

次に勤めた保育園では、大人のことを先生ではなく「お姉さん」「お兄さん」と呼ぶ習慣があり、僕の一人称も「お兄さん」「◯◯お兄さん」に変わった。

すごろくをやっていて順番が分からなくなった時、「お兄さん(私)の番?」と聞く具合に、である。

そして、学童クラブへ異動して、そこでは「◯◯さん」と呼ぶ習慣があったため、同様に自身のことをそう呼んでいた。

はたから見れば自分のことを名前で呼ぶ大人など滑稽そのものなのだが、不思議なもので中にいると、それがわからなくなる。

ただ、子どもに対して、自分のことをその子が使用する二人称と同じ呼び名で呼ぶことは、「分かりやすさ」という意味で愛情とも言えるのではないかと思う。

これは、自身の子どもに対して父母が、一人称として「ママ」「パパ」を使うのと同じ話だ。家族の中で、子どもが呼ぶ名前に一人称を合わせることで、子どもが混乱せずに家族を認識できる。会話も分かりやすくなる。
一人称でも、二人称でも「ママ」といえば「ある固定の人を指す」というのが子どもにとってシンプルで分かりやすいと言うことだ。

子どもが自分を「◯◯ちゃんはね」と呼んで表現するのもまた同じだろうと思う。

保育園でも「先生」と呼ばれる「私」が自分のことを「先生」と呼べば、分かりやすいだろう。

さて、でも、いま僕は自分のことを意識的に「僕」と呼んでいると冒頭に書いた。

これを変えたのは、3年前、学童クラブからまた別の学童クラブに異動したタイミングでだ。ずっと、なんとなく「先生」的な一人称を使っていたけど、やはりなんとなく違和感があった。

僕は先生である前に「僕」という一人の人間だし、「はたから見れば滑稽な」呼び方をあまりしたくないと思っていた。

変えてみればこの一人称は楽ちんだ。僕は僕だから「僕」。それだけ。
子どもは子どもだからわかりやすい方がいいだろう、と寄り添わないことは、考えようによっては意地悪かもしれない。ただ僕は、子どもを信じて、「この世界の当たり前」を委ねる方が善だろうと思う。

僕を「僕」と呼ぶことで、子ども自身にもある種の気付きのきっかけを与えることができるのでは、とも。
他者が内在する自者性について。つまり、他者は他者なのではなく、他者もまたその他者からすれば「自分」である。ということについて知るきっかけになり得るのではないかと思うのだ。

他人はみんな「ただの他人」なのではない。
他人はあの人だったり、◯◯さんだったりするし、そして、それぞれかけがえのない今日を生きている「私」であり「僕」なのだ。
大袈裟に言うけど、僕が「僕」と言うことは、そんな当たり前のことに気付くきっかけ足り得るんじゃないかなと思う。
そして、その気付きが、きっと他人への思いやりになるし、その思いやりが社会を少しずつ少しずつ良くしていくと信じている。

なーんて、そんな大層なことずっと考えてる訳じゃ全くないんだけど、書き出すとついつい盛ってしまって話が大きくなってしまうのは悪い癖だ…。

さておき、この四月に異動した(戻ってきた)保育園でももちろん「僕」を使っている。
子どもたちの反応は…

「なんで僕なの?」

『僕は僕だから、僕って言うんだよ』

「大人なら、オレじゃないの?」

『いや僕って言う人もいるんだよ』

「ふーん…」

まぁ、分かりませんな!笑
引き続き僕は「僕」で行きます。
どうぞどうぞよろしく!


あ、子どもにとっての一人称はジェンダー規範の植え付けの温床でもあるな、と思っている。
またいつか(ジェンダー編)も書こうかな…。

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