見出し画像

スリランカらしさ、日本らしさ

スリランカらしさって何だろうって最近よく考える。スリランカと言えば、人が優しくて、ホロスコープがあって、時間感覚はちょっと曖昧で、紅茶とアーユルヴェーダがあって…みたいなイメージがある。

しかし、最近そういう自分が持っていたスリランカらしさに疑問を持つようになってきた。というのも私の周囲には、わりとリベラル寄りの人が多いせいもあるだろう。

例えば、職場に有名な政治家が来た時、皆その人を見に教室の外に出て行った。しかし、一緒に働く講師の1人が「私は政治とか好きじゃないから、行かない」と言って、1人教室に残っていた。その時に、スリランカでも多かれ少なかれ政治が好きじゃない人っているんだなぁ、と私は逆に関心してしまった。

また、ホロスコープを見に行きたくてホストマザーに「この辺でホロスコープを見れる所はあるの?」と聞くと、「私はホロスコープを信じてないから行ったことない、知らない」と返ってきた。私はスリランカに来る前、シンハラ語の先生から名前を決めたり、結婚相手を選ぶ時にホロスコープを使うと聞いていた。その為、「私はホロスコープを信じてない」とホストマザーが言ったのは衝撃だった。

スリランカあるあるの1つでもある、時間感覚が緩いことも、今の職場ではあまりない。むしろ8時半の授業開始時間に遅れてきた生徒は、教室の鍵を掛けられて、外に締め出されているぐらいだ。もはや、ここまで来ると現地の人よりも私の方が時間感覚が緩い人間になってしまっている。

私は同じ職場で行われている日本語クラスに時々顔を出している。そこで、教科書の例文の一つに「東京の人は歩くのが早いです」という文章があった。その文章に関して、ある生徒が「東京は寒いから早く暖かい所に行きたくて、歩くのが早くなるのだと思います」と言った。それは違うと思うけどなぁ…と思いつつ「人それぞれですね」と返答した。しかし、それで話は終わらず「東京の人は歩くのが早いのなら、北海道の人はもっと早いのではないか?」という話題になった。ここまで来ると一応日本人として説明しなきゃいけない気がしてきて、私は説明した。「北海道は広すぎて、いつも車で移動するから、歩くスピードはそこまで早くない」「東京は集団で歩かなきゃいけないから、遅いと周囲の人に迷惑が掛かってしまう。だから、どんどんスピードが早くなった」皆、へぇみたいな反応だった。

この出来事で思ったのだが、スリランカの人はとにかく寒さに対する解像度が荒い。というか日本らしさ、というイメージがめちゃくちゃザックリしている。しかし、こればっかりは行ったこともない国の文化に対して、解像度が荒かったり、想像力がなかったりするのは、どうしようもないことではある。

例えば、緑茶と抹茶パウダーは一緒のものと認識されたり、とにかくピンク色のお花のモチーフを付けていると「サクラ マル ワゲー」(桜の花みたい)と言われたり、寒さをすごく羨ましがられたりする。(寒いのは寒いでツライって話をしても全然納得してくれない)
でも、これってそれぞれの国に対してイメージだけが先行していて経験が伴っていないからこそ起きる現象であって、だから良いとか悪いとか、そういう問題でもない気がした。

日本だってそう、日本人に「季節感がないのが辛い」と私が言うと「私も季節感のない暮らしがしたい」と返ってきた。そりゃ1か月ぐらいは楽しく暮らせると思う。でも、日本の文化は自分たちの想像以上に季節感に下支えされていたものなんだと思うぐらい、今の生活は私の思うような変化が少ない。スプリングセールもサマーセールもない、同じ服ばっかり毎日着て、日々がヌーンと過ぎていく感じに徐々に寂しさが募っていく。これは滋賀の限界集落で季節感を最大限に享受してしまった経験があるからこそなのかもしれない。それぐらいに今は日本の季節感と自然とそれに伴う日々瞬間の経験が恋しい。

しかし、それぞれの国が持つ双方の国の「らしさ」に触れられたのは、私にとってかなりの収穫だ。よくスリランカにいる日本人から「日本人らしさをスリランカの人にも伝えたい」と聞く。それはそれで素晴らしいことではある。しかし、私は天邪鬼なので、そもそも「日本人らしさ」ってなによ?「日本らしさ」ってなによ?と思ったりする。スリランカ人でも時間を守る人はいるし、日本人でも時間が守れない人はいる。礼儀作法とか清潔さとか、きっと色々あるのだろうと思うけど、スリランカにいる人を1人1人をフォーカスし始めたら、日本にもこういう人いるだろうなぁという結論に最近よくなる。

だからこそ、私は現在スリランカにいる以上、変にスリランカらしさを追い求めたり、わざわざ「スリランカらしさ」という型にはめようとしなくても良い気がしてきた。なんというか、私には私のスリランカを知っていけば良いと思い始めたのだ。それこそ、ホロスコープを信じていないというホストマザーも1つのスリランカだし、英語しか喋らない近所の子ども達も1つのスリランカだし、時間に厳しい同僚もまた1つのスリランカだ。そういう色んなスリランカの側面を自分の知ったか知識である「らしさ」で判断するのはやめようと思う。

そう思って、最近仲良くなった近所の女の子から来たメッセージを見た。そこには「今度、会ったときに5000ルピーちょうだい」と書いてあった。まぁ、これもスリランカだ。

100円からサポートを受け付けております。こちらの記事が気に入った方は、サポートして頂けると幸いです。よろしくお願いします!