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「ただ集まって、春を待つ」1~3日目

1日目

朝の5時起きで新幹線に飛び乗った私は、コンビニのコーヒーを片手にギャラリーの搬入へと向かった。ギャラリーに到着すると、そこには既にギャラリーのオーナーがいて、扉に貼るカッティングシートを切っていた。

オーナーに手短に挨拶を済ませたら、私も早速、搬入作業に取り掛かった。昨年は自分の住んでいる場所で展示をしていた為、他の場所で作品の搬入をする時はやはり気が引き締まる。こういう時に、なんだかんだ自分が舞台に携わっていたんだということを思い出す。

しかし、搬入と言っても、大掛かりな設置はない。物としては、コタツを置いて、照明を調整して、壁の釘を打って、ガラス扉に用意した詩を書く。入り口の詩は、三言語(日本語、英語、シンハラ語)を入り混ぜたもので、思いの外、書き上げるのに時間が掛かった。

黙々とガラス扉に詩を書いている途中でも、通行人からの反応が感じられた。特に普段は見ることのないシンハラ語に興味を示す人が多いようだ。その後は無事に搬入も完了し、ギャラリーオーナーとお昼ご飯を済ませ、1日目の上演が開始された。

その日は、お客さんが来るまでオーナーと一緒にコタツに入って待っていた。しかし、コタツの魔力とはすさまじく、持参したネックピローを持ち出して、気付けば私は寝ていた。
ボーっとコタツで過ごす時間の中でも、相変わらず通行人の反応は面白く、何度も二度見をする人や日本語の部分を朗読する人、「なんか分からないけど、面白いわねぇ」という人がいた。

そうこうしているうちに最初のお客さんがやって来た。最初はギャラリーオーナーが声をかけていたアーティスト。彼女は日本画のアーティストらしく、今年の4月からは東京に拠点を移すようだ。さらに、大学院で同じゼミだった友人もほどなくしてやって来た。
1日目の上演開始早々、コタツを囲んで集まりみたいな風景が生まれる。私は頂いたお菓子を食べて、友人は好きな音楽をかけてミラーボールを回し始める。日本画のアーティストは紅茶を飲んで、ギャラリーオーナーは自分が購入した作品を倉庫から持ち出し、皆に見せだした。

この上演の場では既に演者と観客の関係性はなく、皆が等しく観客という立場で存在出来るような仕組みとなっている。だからこそ、アーティストである私も観客に何か行動を促すわけでもなく、お茶をすすめるわけでもなく、ただその場に存在する行為だけをしていた。
とは言え、そんな状況でも、各々が好きに音楽をかけたり、購入した作品を見せたり、お菓子を食べる様子を見ていると、私自身も一観客としてホッコリした。

日が落ちて、周囲が暗くなると外からギャラリーの様子が良く見えるようになった。逆にギャラリーの中からは外は暗くて見えずらいので、うっすら人が見ているなぁ…ぐらいしか分からないので、通行人の行動も少しづつ大胆になっていく。例えば、自転車に乗った通りすがりの人はガラス扉に近付いて、詩の日本語の部分を朗読したり、向かいの建物から出てきた人が5分ほど中の様子をじっくり観察していた。さらに、面白いことにギャラリーの中の様子を見ながら「これって私たちが見られているってことじゃない?」と発言したのも興味深かった。
aaploitという場所が今まで写真作品やテキスタイル作品を展示してきたこともあるせいか、より今回のコタツが新鮮で興味深く思えたのだろう。ギャラリーの中に入ってくることはなくとも、外から色んな人が上演の様子を見て行く姿が大変興味深かった。

夜もまた人が訪れて、そのままコタツでささやかなレセプションとなった。私はそこで初めてウーバーイーツを使い、ご飯を注文した。ワインも一緒に飲んで、久しぶりに飲んで食べてゲラゲラ笑った時間になった気がする。

2日目

オーナーおすすめのスリランカカレー屋さんがaaploitの近くにあった。今日はそこでランチをテイクアウトしようという話になっていたのだが、生憎そのお店はその日は休業日だったみたいだ。

私がギャラリーに到着した時、既にオーナーは何名かの通行人の反応を体験していた。特に前を通りかかった老夫婦は「面白そう」と言って中に入る寸前まで行ったそうだが、旦那さんの方が「まだ13時じゃないから」と言って中に入らなかったらしい。
他にも、何名かの反応の様子を聞きながら、私は少しでも中に入りやすいように、ギャラリーのガラス扉を1つ開けておこうと提案した。

昨晩、遅くまで一緒に飲んでいた人たちがオープン時間を過ぎたころにやって来た。昨日のレセプションでスリランカカレーの話をしていたこともあり、「口の中が完全にスリランカカレーを欲しているよ」という話になる。そこで、昨日と同様にウーバーイーツで別の店のスリランカカレーを注文した。

注文したスリランカカレーをコタツで一緒に食べている様子は、なんとなくティラバーニャ感のある感じだった。

その後も有難いことに大学院のゼミ関係の人が訪れた。気付けば、同じコタツに6人が一緒に入っている状況となり、皆でお茶を飲んだり、好きにお菓子を食べたりする風景は、まさに気の早いお花見だった。
各々が好きな話をしたり、急にミラーボールを回し始めたり、そんな風景が春っぽい日差しの中で展開されていて、ふとした瞬間にオーナーが「個展のタイトル、本当に言い当て妙だなって思いました」と言った。確かに、我々は集まって春を待っているだけなのだ。

私はその日、予定があり、少し早くギャラリーを出た。その時に一緒に喋った人が「ティルマンス味があって、面白かった」と言い出した。なるほど、ティルマンスかぁ…。

3日目

1~2日目が身内の人で盛況だっただけに、3日目はどうなるのかイメージがつかなかった。その日は少し遅れてギャラリーに行ったのだが、先にいたオーナーに今日はどうでしたか?と聞くと「通行人で何名か反応がありました」と教えてもらった。

その後もコタツの中で、オーナーは自分の仕事、私はお昼ご飯のフォーを食べる。そこから聞こえる声や通行人の反応は、1~2日目と変わらないようにも思えた。しかし、日を重ねるにつれ、同じ人を2~3回見るようにもなり、私が感じていないだけで、ある人の中では体験が作られているのかもしれない、と感じた。

オーナーはしきりに「コタツは人間をダメにするデバイスです」と言っていた。そんな中でも、2人で2日間の上演のことや、いかに観客が持つ手持無沙汰感を上手く解消するか、という話をした。結局、少し展示の内容を変化させることになり、オーナーは倉庫に物を取りに行った。
当の私は、ギャラリーで留守番をする間に頭から下をすっぽりとコタツに入れて、完全に寝る態勢に入った。

コタツの魔力とは凄まじいもので、私は起きているつもりであったとしても無意識に目を閉じてしまう。フワフワと温かい空気に包まれながら、ボーっとする瞬間が生まれた。
そんな時、外から女性らしき声が聞こえた。どうやらその人達は二人で話しているようで「これ面白いよね!」「でも分かんない!」というやり取りをとても楽し気にしていた。びっくりするぐらい弾んだ声で「分からない!分からない!」と言うし、そのくせ「面白い」とも言い出すのだから、きっとその人達には何か感じるものがあるのだろう。果たして、その「面白さ」とは何なのか?じっと目を閉じながら声だけを頼りに考えた。

その後、荷物を持ってギャラリーに帰って来たオーナーに、私のコタツでお昼寝タイムの様子はしっかりと目撃される。ついでに写真まで撮られた。そこから、いそいそと展示プランの調整のためにプロジェクターの位置を見てみたり、モニターを置こうとしてみたりする時間があった。
その途中で、今日最初のお客さんがガラス扉の前に現れた。その人は男性で、よく前を通る人らしく、ギャラリーの展示を何度か見たことがあるらしい。その人は「DMを貰って良いですか?」と聞いた。私は入り口付近に設置されたDMの場所を教えて「そこにあるので、自由に取ってください」と言った。しかし、その人の様子がおかしい。その人は一切、中に入ろうとしなかったのだ。しかし、そんな状況でも動こうとしなかった私の様子を見てか、彼は膝をついてギャラリーの中に入り、DMを手に取った。その後にオーナーが「これはパフォーマンスです」と教えた所、男性は「いつやってるんですか?」と聞いた。「毎日です」と答えると、「へぇ~、ちょっと、また来ますね」と言って去っていった。

少し不意を突かれたタイミングでかなり印象的な観客の登場だった。彼はきっとこの上演の場自体を「舞台」のようなものだと思っていたのだろう。しばらくすると、また何名かの来客があった。今度はオーナーが読んだNFTアーティストに、大学院で一緒のゼミだった人だ。

上演が始まって3日ほど経つが、この場においては皆が等しく観客であるという前提が変化しているのも面白い。
私はこの上演を行っているアーティストでもある。しかし、この場では観客でもある。そこで、私はあえてお客さんに積極的に話しかけたり、作品について話したり、お茶をすすめたりすることはなかった。それは自分の行為によって無意識のうちに主客の関係性を作り出してしまうと考えたからだ。一方、ギャラリストであるオーナーは1日目こそ「お茶は自分で飲みたい人が自由に入れて飲むシステムなんです」と説明するだけで終わっていたが、3日目になれば、しっかりコタツに入った人にお茶を入れていた。
こうやって皆が観客であることから、徐々に別の関係性が積み上がっていく様子は、かなり興味深かった。やはりオーナーはオーナー的な振舞いを選択するし、私も無意識的にアーティスト的な振舞いをしているのだと思う。しかし、それが無自覚に行われているのでなく、一度ゼロの状態にしたところから再度立ち上がってきた様子が私には面白く思えたのだ。たぶんかもしれないけど、この個展のキーワードは「積み上げ」なのかもしれない。

クローズ時間のあと、ギャラリーに飾られたモノをのんびり見る時間が生まれた。ここには何か所か釘が打ってあり、そこに作品として訪れた観客がモノを飾っても良い。場所が気に入らなければ変えても良いし、美味しそうなお菓子は食べても良い。そんな左右の壁面は、この3日間で自分の想像以上に変化した。

袋やリモコン、ういろうに香水のサンプルまである。香りというベクトルが発生したのは個人的にかなり面白く、嬉しい出来事でもあった。さらに、展示物が増えただけでなく、作品の移動が発生した。私の短編小説は反対側の壁に移動していたし、LED照明のリモコンもこの3日間で大移動が行われている気がする。

この3日間、大学院のゼミの人や友人が多く来てくれた関係で、身内感が強かったかな?と感じる事もあった。しかし、1つづつ思い返してみると、通行人の人達による反応や体験も少なからず発生している。たぶん、これからもっと面白くなる気がする。オーナーと今後の2週間についての話をしながら、その日はギャラリーを出た。

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