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自分の「好き」を再確認する

前回、自分の繊細さはスリランカにいても忘れられないことを痛感した私は何かしらの形でそれを生かさねばと考えていた。

そこで、よくPodcastやオンラインの勉強会でも話す友人に自分の繊細さを生かすために、ラップをやってみようかと思っている話をした。すると、彼女は「たぶんラップじゃなくて詩じゃないかな?」と言った。

彼女のその言葉は、私のとってクリティカルヒット級のものだった。というのも、ラップをやること自体は発想としては悪くないのだが、少し思考が飛躍し過ぎている。その為、ぶっちゃけ何から始めたら良いのか分からなくなっていたのだ。しかし、この点において詩なら展示の時に何度か書いた経験もある。その上、ラップに派生できる可能性もあるし、現在の詩の形態は沢山あるからこそ、ビジュアルアート的な側面においても、色んな挑戦が出来ると思えたのだ。

正直、詩を書こうと思う前は、文字だけの勝負になってしまう詩に対して「自分には難しい」と思っている所があった。今でも精密に組み立てられたずとまよの歌詞みたいなものを書くのは、私にとって難しい。しかし、詩というものはそれだけではない。そして何より友人から「はるかちゃん、展示とかで詩作ってたじゃん」と言われたことが大きく私の背中を押してくれた。

過去の展示風景より

これだ!!と思えた私はすぐに詩の制作を始めた。インスタで写真と一緒に投稿したり、普通の文字としての詩を書いてみたりした。

詩を作っている時は、noteのような文章を書く時とは違う、より短い瞬間の出来事に深く入り込める感じがある。朝起きて、ただ天井のファンを見つめている瞬間、一緒にご飯を食べている時に微笑みかけられた瞬間。そんな些細な短い時間での出来事を、詩作を通すことでより豊かに味わうことが出来る。そして自分にとって、その行為が何よりも喜びであったことに気づくことが出来た。

それからと言うももの、急に生活することが楽しくなってきた。毎日、日本に帰りたいと思っていたスリランカ生活。ぶっちゃけ日本が恋しいと思うことには変わりないのだが、それでも詩を作り始めてからは、ご機嫌に生活そのものを楽しんでいけている。
きっとこれは、詩を作るという行為を通して、より生活の一瞬一瞬を味わったりする機会が増えたからなのだろう。本当に世界が180度変わったかのように、あまりにも楽しく生活できるようになったものだから、こればかりは自分でも驚いている。

詩を作るということが頭の念頭に置かれ始めてからは、谷川俊太郎や俵万智の本を改めて読むことが増えた。今までは読むだけで終わっていた詩集達が、言葉の選び方や言葉の置き方一つ一つがすごく勉強になる。こうして色々見ていくうちに短歌も面白いよな、なんて考えたりして面白いYoutubuまで見てしまう。

たぶんきっと、私は表現者として生きることが一番いいのだと思う。そう思えるぐらいに、今はお気に入りの音楽も詩集も小説も全てが輝いて見えている。

ずっとデビュー前から追っていた I’ll it もめちゃくちゃ素敵過ぎる。

よく大学院の先輩には「近所のコンビニに行くだけでも、色んな傷を作ってくる人」と言われていた。確かに何もするにしても擦り傷を作ることをやめられない私にとって、それを再度味わってアウトプットすることが最適解だったのかもしれない。それぐらい、今がとても楽しいし、やりたいことが沢山ある。
現時点での詩作における第一目標は日本語英語シンハラ語ミックスの詩を作れるようになることだ。シンハラ語、英語はまだまだ語彙力が乏しいが徐々に詩の中にも取り入れていきたい。

本当にありがたいことにスリランカに来てから、自分に対して沢山の気付きを得ることが出来ている。アートに対しての考えや、自分の特性、今の自分の武器とそれの活かし方。幸いにもスリランカ生活の序盤でそれらに気付くことが出来たので、今後のスリランカ生活では沢山場数を踏んで、実験を重ねていきたいと思う。

やっぱり生活や人生そのものをより豊かに味わうことが、私にとっての喜びなのだ。

こんな大事なことに気付けたスリランカ生活には、感謝しかない。

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